運慶と快慶 ふたりの仏師とふたりの写真家

 10月、2冊の写真集が相次いで出版された。
 ひとつは『運慶 六田知弘写真集』(求龍堂、税別5400円)。
 ひとつは『快慶作品集』(佐々木香輔著、東京美術、税別3200円)。


『運慶 六田知弘写真集』


『快慶作品集』

 運慶(?〜1224)と快慶(生没年不詳)のふたりは平安末期から鎌倉時代初期に活躍した日本の代表的仏師であり、ともに奈良仏師・康慶(生没年不詳)のもとで修行した。治承4年(1180)に起きた平家の南都焼き討ちの後、東大寺や興福寺の復興事業で腕をふるっている。
 ともに写実的な作風ながら、運慶は動、快慶は静と、作品の趣きは大きく異なる。

 六田さんと佐々木さんは、2017年に東京や奈良で開かれた運慶・快慶の展覧会で撮影を担当した。その精華を軸として、それぞれの写真集が奇しくもほぼ同時に刊行されたのだった。
 運慶と快慶が違う道を行ったように、六田さんと佐々木さんの本はいろいろな点で異なっている。
 まずは書名。六田さんはタイトルの中にご自身の名前を入れた。佐々木さんは「快慶の作品集」を強調し、タイトルとは別に著者を名乗った。
 表紙もそうだ。『運慶』のカバーは白地にモノクロームの写真が一枚ある。その写真は「足」。5本の指に力を込め、筋と血管が浮き立たせた姿は奈良・東大寺南大門の国宝金剛力士立像・吽形の左足とわかる。仏像の写真集の表紙に足というのは異例だろうが、運慶の力強さを最もよく伝えるものには違いない。
 対して『快慶』は東大寺の阿弥陀如来像をカラーでとらえた。作品名より大きく「KAIKEI」の文字が踊る。
 ページを開くと、二つの本の違いはより明らかになる。六田さんはほとんどをモノクロームとし、佐々木さんはカラーでまとめた。
 こうした差異は二人が意図したものではないだろう。運慶とは?、快慶とは?、を追究していった結果行き着いたゴールと言える。
 写真集なので、当然著者の文章は短い。それなのに、ここにも両者の個性が滲み出る。

 しかし、それよりも運慶仏を撮っていて、私がより強く惹かれるのは、運慶が創り出した仏像がもつ深い精神性をたたえた眼差しと像全体から発せられるゆらぎのような独特の波動である。
(略)

 色即是空 空即是色

 運慶仏から放たれる繊細かつ強靭な波動。澄明さをも湛えるその波動を受けながら撮影していくうちに、運慶という人間は、天から与えられた特別な使命を担ってこの地上に生まれ落ちた稀有な存在であったのだということを、私は知った。(六田知弘「運慶の眼差し」)

 仏像写真にとっての陰影とは、私は想像のための余白と考えています。人は見えないものを、頭の中で思い巡らせ想像しようとします。何も見えない陰影の暗闇にこそ、肉眼では見ることができないものが浮かび上がってくるのです。祈り、歴史、記憶、こころ……仏像を見るということは、そうした「見えないことを見る」行為でもあるのです。
 写真は光を用いて世界を切り取ります。そして被写体にあたった光は、必ず陰影を作り出します。その真っ暗闇の空間に写し出されるものは何か。
 私はその暗闇を注視しながら、これからも写真を撮り続けていきたいと思います。
(佐々木香輔「おわりに−仏像との出会い」)

 かたや波動といい、かたや陰影という。ここまで来ると、運慶と快慶が二人の写真家に乗り移ってしまったのではないかとさえ思えてくる。
いずれにしても、どちらの文章も仏を撮ることの深み、凄みを感じさせてくれる。これほど冴えた文を写真家に書かれてしまっては、しがない売文業者の私などはすごすご退散するしかない。
 さて、では書中の写真はどれほどに違うのだろうか。ここでは作品をご紹介できないので、書店で両書を見比べていただきたい。
 『運慶』は求龍堂のオンラインショップ(https://www.kyuryudo.co.jp/shopdetail/000000002184/)、『快慶』は東京美術のホームページ(https://www.tokyo-bijutsu.co.jp/np/isbn/9784808712334/)でもどうぞ。

 【追記】 『運慶と快慶 六田知弘・佐々木香輔写真展』(https://www.mitsuo.co.jp/news/unkei_kaikei_exhibition.html)が11月26日まで、東京・相田みつを美術館で開かれている。

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