紙漉きの里・吉野に起きた文化的奇跡

 さて、クイズです。
 次の人物に共通するのはなんでしょう?

 寿岳文章(英文学者)、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男(以上俳人)、犬養孝(万葉学者)、狹川明俊(東大寺長老)、高田好胤(薬師寺管主)

 わかりますか? わからないでしょう。もしわかるなら、あなたは相当の和紙フェチかもしれません(笑)。

 実はこれらの人物は、奈良県吉野町の福西家が所蔵する墨蹟の作者です。

 福西家は吉野で紙漉きを続けてきた旧家です。同家には、これらの人々を始めとする錚々たる文化人の墨蹟が残されています。

 興味深いのは、その作品群が好事家による収集作品ではないことです。福西家の紙漉きをみたいとやってきた人たちを中心に文人墨客の輪ができ、折に触れて自作を福西家に寄せたのでした。

 作品群は静かに眠っていたのですが、2017(平成29)年に同町を訪れた万葉学者の上野誠さんと俳優の松坂慶子さんが町長らの案内で福西家を訪ねた時、一部の作品が飾られているのを見て驚いたのだそうです。そして、上野さんが「これは調査すべき、貴重なコレクションだ」と訴え、町が『紙漉きの里のたからもの 福西家所蔵墨蹟等報告書』(非売品、主要図書館などで閲覧可能)を編むことになりました。

 報告書の「この本のはじめに」で、上野さんはこう書いています。

 福西家の墨蹟は、紙を通じた心の交流によってもたらされたものであるということができる。売買によって成ったコレクションではないのである。家は、生命と生命を繋ぐ場であるとともに、文化を継承する場でもある。

 興味深いのは、墨蹟を残した人々が皆、自分の意思で福西家を訪ねたのではないことです。奈良大准教授の鈴木喬さんの論考「文化的磁場としての紙漉場 −福西家所蔵資料にみる近代俳人を中心に」によれば、中村草田男や山口誓子を吉野に案内したのは、大阪の表具師、辰巳秋冬だったそうです。鈴木さんは水原秋桜子も辰巳の導きで吉野へ来たのでないかと推論しています。

 辰巳秋冬もまた文化的磁場をなし、人と人との結節点として文化の醸成に機能していた。

 紙漉きという伝統的な手工業が、紙と書の縁を通して人々をある家に吸い寄せました。そこには文人同士のつながりだけではなく、表具師という、これもまた紙とは切っても切れない技術者も関わっていたのです。

 奈良はさまざまな人を惹きつける魅力を持っているのだな、と改めて教えられました。

 ただ、それは観光とは別物でしょう。地道な営みが生み出した奇跡、なのかもしれません。まさに「宝物」ですね。

 以下に、同書の中から2ページだけご紹介します。

画像1

【薬師寺管主 高田好胤さんの作品】

画像2

【俳人・水原秋桜子の作品】

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