~ヴィパッサナー瞑想修行 体験談~

ヴィパッサナー瞑想とは   

「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法として指導され「生きる技」と呼ばれ、全世界にセンターがあり、日本では千葉と京都にあります。

自分の内側で起こっているすべてのでき事を観察することで、無意識のレベルで日常感じ取ることができない、こころから生まれた身体の感覚に対して、渇望、執着、嫌悪で反応しない訓練を10日間のコースで行います。
心と身体の現象は、硬貨の裏と表のように思考や感情、呼吸や感覚と結びついています。
つまり呼吸と感覚を観察することは、間接的に心の汚濁を観察することになります。

人間は潜在意識では苦しみながら、表面では渇望の感覚を気に入り次々と渇望を生んでいきます。また、常に外に問題の原因を求め、内側の真実を知らず、苦しみの根が自分自身の内にあり、心地の良い、悪い感覚に対する盲目的な反発に起因していることに気が付いていないのです。

心のバランスを失うことなく、ただ観察することを学んだとき、人は反応することをやめ、苦しみを増すことをやめます。その結果、堆積された心の汚濁が表面に現れ、消えていき、苦しみから解放され、愛に満ちた純粋な心と完璧な平静さを保ちます。

ヴィパッサナーは、宗教や主義ではなく、内の現実を観察し本質を理解する教えです。そして自分や他人を傷つけず、自分にとっても他人にとっても建設的、創造的な有効な行動をはじめる智慧「生きる技」なのです。

※講話・サイトから引用。詳しくはこちら

コースの規律  

シーラ(道徳律) 期間中は五つの戒律を厳格に守らなければなりません。

1. 生き物を殺さない。
2. 盗みを働かない。
3. 一切の性行為を行わない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒・麻薬の類を摂らない。

・コース期間中はコース敷地内に留まる。
・参加者と話したり、ジェスチャー、目を合わせるなどあらゆるコミュニケーションは一切禁止。
・手紙、電話、および訪問者など、外部との連絡もコース終了まで受けることができない。
・書物や筆記用具などの持ち込みはできない。


修行中の一日の過ごし方  

■4:00~
起床/ チベットのシンバル(ティンシャ)が鳴り起床
■4:30~6:30
瞑想/時間は全て鐘の音で知らされる。ホールか自分の部屋で瞑想を開始。
■6:30~8:00
朝食と休憩/食堂で用意されている食材を盛り付けして各自無言で食べる
■8:00~9:00
グループ瞑想/必ずホールに集まり皆で瞑想
■9:00~11:00
瞑想/ホールか各自の部屋で瞑想
■11:00~12:00
昼食/
■12:00~13:00
休憩(指導者への質問)/掃除、洗濯、シャワー、など各々過ごせる
■13:00~14:30
瞑想/ホールか各自の部屋で瞑想
■14:30~15:30
グループ瞑想/必ずホールに集まり皆で瞑想
■15:30~17:00
瞑想/ホールか各自の部屋で瞑想
■17:00~18:00
ティータイム/果物だけが食べられる。バナナ、オレンジ、キウイなど。
■18:00~19:00
グループ瞑想
■19:00~20:15
講話/センター創設者のS.Nゴエンカ師の講話
■20:15~21:00
瞑想
■21:00~21:30
質疑応答/質問がある人は講師に聞ける
■21:30
就寝


受けた理由

・受けた周りの知人、友人の感想やすすめに影響を受けた。

「3日目くらいまでは辛くて足が痛いし雑念ばかりだったけど、8日目になってずっと瞑想し続けていられる感覚になった。庭に出て蟻を観察している時に、蟻になれる気持ちになった。」「あの時の感覚は人生でとても役立っている」「日常生活や仕事からは学ぶことのできない、生きる上でとても大切なことを勉強できた。」など。

・10日間強制的に閉鎖的な環境に身を置き自分と向き合ってみたいと思った。
・年末年始という新しいスタートにふさわしいと思った。
・無償で受けられるため経済的負担がなかった。
 ※施設運営は寄付と奉仕者の奉仕で運営されていて、合宿の参加費用は指導、食費、宿泊費を含めて一切請求されません。これは参加者が全てを与えられる環境の中で、自我をなくし無我の心境になる目的もあるようです。

環境

期間中二段ベットが4つある小さな部屋で生活。自分のスペースはベットの上しかなく、カーテンもなくプライバシーはほとんど無い。布団は薄い。男女は完全に分離。トイレとシャワーは別の建物にある。洗濯は手洗い。食事は食堂に行き料理を自由に盛り付けして食べられる(おかわり自由)。施設に庭があり散歩できる。1日10時間以上瞑想。睡眠時間を含めると17時間ほど無言で目を閉じている。
※年代が上の人は二段ベットではなくもう少し広い良さそうなベットだったので寝る環境は年代によって分けられていそう。


10日間の心境の変化
※個人差があるのであくまで私個人の感想です。

<1日~3日>

アーナパーナ瞑想という、ヴィパッサナーに入る前の瞑想法を教わる。
鼻と上唇の上を三角形としてその部分に生じる全ての感覚を観察し、微細な感覚にも意識を研ぎ澄ませる訓練をする。瞑想中は雑念だらけで集中して行えず1時間の瞑想中にも足を組みなおしたり動いてしまう。
食事がどれもおいしくてテンションがあがる。味が薄いヴェジタリアンの和食、洋食、エスニック、中華、デザートなど。午前11時以降フルーツしか食べられないことに不安だったが案外全く平気だった。
意外と3日目になっても瞑想中雑念がなくならず、すぐ眠くなったりしてしまう。「自分は寝に来ているのか?」と少し焦るも身体は慣れてきて1時間全く動かずに座ることができた。
空いた時間は洗濯をしたり、ストレッチをしたり、庭を散歩して植物を観察したり、空を見上げてぼーっとしたり、昼寝をして過ごす。最近心で気になっている心配ごとや懐かしく忘れられない風景が夢にでてくる。

<4日~6日>

4日の夕方からいよいよヴィパッサナー瞑想に入る。
「頭の登頂から足の先まで、身体中の感覚を5㎝ごとにくまなく感じていき、感覚を感じないところでは1分間とどまる。」という瞑想法で、最初はどの部分でも殆ど感覚を感じないので、途方もない気持ちで愕然とする。
毎晩行われる講話が、人間の普遍的な苦悩、感覚に反応して生まれる嫌悪や渇望がいかに人間を苦しめているか、潜在意識の掘り起こしによって蓄積されたサンカーラ(苦悩)を根絶する心の手術を行う、という内容でとても怖く不安で一睡もできなかった(←自らの小心者度合いに気づく)。年末年始になぜこんなところに来てしまったんだろうという気持ちになるが、5日目から身体の感覚をかすかに感じられるようになる。
ヴィパッサナー瞑想に入ってからは最終日くらいまで、毎日昔の嫌な記憶や、懐かしいけれどもう見ることが出来ない愛着ある風景などが夢にでてくる。

<7日~9日>

ヴィパッサナー瞑想になれてくる。8日目は一番期間中で自由に気が流れているのを感じ取れた。
しかし8日夜のグループ瞑想のときに、集中して瞑想に入っていると少し頭が揺れてしまうのを先生に注意される。他の人の瞑想する姿への渇望と、自分への嫌悪がうまれてしまい、瞑想に集中できなくなってしまった。
「こころのバランスが崩れているときは、微細な感覚を感じとることはできません。大事なのはたくさんの種類の感覚を感じることではなく、どのような感覚にであっても渇望や嫌悪を抱くことなく完璧な平静さを保つこと。無常。無常。無常。」というゴエンカ師の言葉を思い出して、本当にそうだなと思った。
自分のこころの弱さや不安、恐怖に気づけたことが素晴らしい経験なのだから、感じられないならそれもまた良いだろう、という平静な気持ちを心がけて瞑想する。

<10日目>

最終日は、現実社会に戻る前にワンクッションおくために、今まで一緒に頑張ってきた参加者たちと話せるようになる。午前10時になり、聖なる沈黙がとかれた。
瞑想は「10日間全く辛くなかった。自分はブッタかと思った。」「夢に昔の嫌な記憶がでてきて辛かった。」「身体に痛みを感じた。」など人によって感じ方は様々で新鮮だった。
新潟から南は沖縄まで全国各地から、ポルトガル人、ブラジル人、ロシア人(東京大学院生、京都大学生)など全世界から集まってきているのを知り、参加者と話す時間も貴重な時だった。

受けてみて

不安や恐れから自分を守ろうとする心の弱さ、利己心、他者の思いやりや誠実さがいかに大切かに気づけた素晴らしい体験でした。また恩恵を分かち合うこと、奉仕が自分自身を豊かにするという発想が新鮮でした。
気分転換に外に出て植物や雲を観察していた時に、あらゆる外界の世界と自分の内なる世界(感覚)は、やがては流れて消えていくという共通点をもっているんだなと思いました。
ヴィパッサナーが読んだり聞いたりした知識ではなく、生まれては消えていく身体の感覚をただ観察する、体験を通した智慧を何より重視していることは、無常を理解する上でとても重要でした。
生きる上で食べたり運動したるすることが必要なように、こころにも栄養が必要であり、ヴィパッサナーは宗教ではなく、健康に必要な「こころの体操」でもあるようです。
私は慢性的な不眠症で、ずっと治らないだろうなと思っていましたがコースを終え急激に改善されました。
10日間は長いようですがコースは完璧に設計されていて、やはり最低10日は必要だと思います。
内なる旅として、海外旅行だけでなく一生のうちでぜひ一度は体験して欲しいです。

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