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【瀬織津の封じ込めを解く】

日本はなぜ変われないのか?

2月6日の世界を変える魔法セッションで、瀬織津姫の封じ込めを解こうと思ったのは、日本を解放するにはやっぱりそれしかないんじゃないかと思ったからだった。

日本では、罰則つきの厳しい規制がされているわけでもないのに、同調圧力で皆がマスクをし、規制に従っていたりする。西欧では、人それぞれの責任で好きに行動すればいいという感覚があるので、同調圧力はないわけではないけれど、日本ほど強くはない。ただ政府が勧めたからといって皆がマスクしたりすることはなく、だから罰金を科して警察がチェックして、ということをやっている。それが民主国家の危機だという意識を生み、抵抗運動が激しくなっていった。日本には厳しい規制もなければ、激しい抗議行動もない。それで皆が従っていて、やめることができないという状況だ。いったいこれがどうしたら終わるのか、その方向性がまったく見えてこなかった。

この2年ほど世界中で感染予防の口実の陰で独裁的な政策がゴリ押しされていった。さまざまな抗議活動がさかんに行われる中で、カナダでトラックドライバーのデモが首都に到着し、それがアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパへ飛び火していき、ようやく突破口ができたようだった。その中で、日本はそんな動きにはまったく影響されていないようなのが気になった。


人権が脅かされる危機感


さかんにデモが行われているのは、すべていわゆる西欧社会でのことだ。西欧社会には、今のこの事態が民主国家の危機であるという認識が強い。政府が国民の人権を無視し始めたので、これを死守しなければならないという強い思いがある。

西欧社会では、人権は国民が勝ち取ったものだという意識がともかくもある。それまでは王制があり、人々は人権というものを主張することができなかった。18世紀末から19世紀初めにかけていろんな形の革命が起こり、国民一人一人に人権があり、それが保証されなければならないということを認めさせるためにこしらえたのが憲法だ。そしてそれ以降、西欧の国々は立憲君主制とか議会民主国家になっていった。

フランス革命の前にジャン・ジャック・ルソーが「社会契約説」を書いて、王制というのはもともと人民と王とが契約してできたものだということを言っていた。王の地位とは生得のものではなく、契約によるものなのだから、契約違反の場合は取り上げてもいいということになる。

実際、西欧社会では王さまというのはつまり騎士の長であり、国民と国土を守る責任を負っているから国民が従っているというところがある。昔の映画で「七人の侍」というのがあるけれど、あれと似ている。村が強盗に襲われて困っていたので、侍たちに村を守って欲しいと頼んだのだ。守ってくれるかぎりは、村人みんなでもてなすからということだ。西欧の王制は、基本的にそういう関係性があり、だから王がもし国土の安全を守ることができなくなったら、民衆が変えさせることができる。これがつまり革命だ。

メルヒェンでは、農家の末っ子が化け物退治をしてお姫さまと結婚し、王さまになるという話があるけれど、あれはつまりそういうことだ。化け物が国土を脅かしているのに守ることができない王さまは、王であり続けることができない。だから、化け物退治ができた若者に姫と結婚させて王位を譲るのだ。


日本独特の支配システム

ところで、日本の天皇というのは武士ではない。古代は神武天皇の東征の物語があるように、原住民を征服して国を作った武士の長だったけれど、のちには国土を守る責任を負う存在ではなくなった。そして平安時代には、摂政関白制というので、藤原氏が実権を握り、天皇はいわばお飾りのマリオネットのようなものでしかなくなった。

日本の天皇制とは、天皇には実権がなく、実権がないから責任もないというとても特殊な支配システムなのだ。政治は後ろについている存在が操っていて、天皇はただ命令するだけだ。だから最高権威者なのに、責任追及をすることができないという、他にはないシステムになっている。これは、日本人が自分たちの権利のために立ち上がることができないということと深い関わりを持っていると思う。

平安時代のあとで、武家政権が生まれ、天皇制は政治から消えていったのだけれど、明治維新になって、また天皇を引っぱり出してきて、君主に据えることになった。西洋ではナポレオン戦争が起こり、王制から議会制立憲君主制に変わっていった頃だ。それが日本では、国民が立ち上がることによってではなく、外国からの圧力に答える形で、立憲君主制をこしらえたのだ。そのためにそれまで政権を持っていなかった天皇が引っぱり出された。

それまでの支配者に国民の人権を認めさせるために憲法と議会を作るというなら、江戸幕府に対して行うべきところだったと思うけれど、そうではなく幕府をつぶして天皇を据えたのだ。明治維新も、日本の民主化と見えて、実は外国の傀儡政府の設立だったという説があるけれど、だとしたら天皇制はそこでもまたマリオネットとして利用されたということになる。

ニシキトベの復活の仕事をしていたときに、津名道代さんという歴史家の「国つ神情念史」に出会った。その第2巻「遥かなりこのクニの原型」で、天皇制がどのようにしてこのような巧妙な支配システムになっていったのかを説明している。

もともと日本は母系的な社会で、縄文時代には女性の首長が土地を治めていた。トベと呼ばれる女性首長たちは、権力で人を従わせるというのではなく、人を癒したり関係を調和させたりする能力によって人々から頼られて長を務めていたのだ。

大和朝廷は父系制の渡来の民族で、それが土着の縄文民族を征服していって、国を作っていった。そのときに縄文の女性首長と和合のために婚姻を結んだらしい。最初のうちはそれは対等な関係だったのだけれど、それが歴史を経るごとに大和朝廷が縄文民族を服属させるような関係性になっていって、縄文の女性首長は人質みたいに大和朝廷と婚姻を結んで、縄文の民に従ってくださいという役になっていったというのだ。

つまり、私たち日本人は天皇の中に、人質になっている縄文の首長を重ね合わせているということになる。支配された犠牲者のスタンスを、天皇制は日本人の集合意識の中に組み込んでいるというのだ。


国譲りという嘘

古事記に出てくる国譲りというのもまさにそれだった。神武天皇が東征を始めると、ニギハヤヒや大国主が出てきて、国を譲ったとある。譲ったということは、神武天皇が最初の天皇なのではなくて、その前に国があったのだ。ところで古事記をよく読むと、これはニギハヤヒたちが自分から譲ったなどというものではないのが読み取れる。国譲りの前に、神武の軍が地元の首長たちを和合の宴だといって招いておいて、酒がまわったところで突撃していって全員斬り殺してしまったという話がある。ヤマタノオロチ退治の話も、実はこういうことだったと言われている。退治したのは大蛇の化け物ではなく、8つの頭とは、8人の首長のことであり、その首長たちが治める土地を征服したということだった。そのような暴虐を受けたあとで、被害をこれ以上出さないためにはもう従ってしまうしかないと思ったのだろう。それで国譲りということになったのだ。

瀬織津姫は、もともと大地母神のような重要な女神だったらしい。天照大御神は本当は女神ではないという話があるけれど、ニギハヤヒと瀬織津姫を一緒にして封じ込めるために天照という女神を作ったんじゃないかという説もある。饒速日とは太陽という意味だし、もともと太陽信仰を持つ大陸系の父系的な民族らしい。ニギハヤヒの頃には、縄文の民との婚姻は対等なものだった。それがイザナギとイザナミの婚姻の話なのかもしれない。古事記でそれが女が先に言ったのはよくなかったという話になっているのは、縄文の女神を封じ込めるために後からつけ加えられた話だったのだと思う。

西洋では聖書が支配のためにメチャメチャに改ざんしてあるけれど、日本ではこれと同じなのが古事記だ。聖書も古事記も、あちこちの記述が矛盾しまくっていて、後に支配者の都合のよいように改ざんした書物だということがよくわかる。古事記は藤原氏の時代に編纂されて、これを貴族たち全員にこれが日本の歴史だといって暗記させていた。それは大和朝廷の支配を正当化するために他ならなかった。


縄文の神々を祓う女神にされた瀬織津姫

瀬織津姫が出てくるのは、大祓祝詞だけで、そこで祓いの女神の一人として登場する。ところで、大祓祝詞というのは「荒ぶる神を祓いたまえ」と言っているのだから、明らかに縄文の神々を祓うためのものなのだ。これを作らせた藤原氏は、縄文の神々に祟られる理由がいくらでもあった。縄文の山人族たちが本拠地としていた鉱山を坂上田村麻呂に征服させていたからだ。彼らは山人族たちを鬼と呼んでいて、捕らえた鬼たちを復活しないように八つ裂きにして別々なところに埋めていた。そんなことをしていたから、平安京は魑魅魍魎に祟られるようなことになったのだろう。それを祓うためにこしらえたのが大祓祝詞であり、柏手をたたくという作法だったらしい。瀬織津姫はその大祓祝詞に登場して、すべての罪を洗い清める女神だというのだから、都合のいいことこの上ない。

私が瀬織津姫に出会うことになったきっかけは、最初に六甲の磐座に行ったとき、封じ込めがひどいのが気になったからだった。昔からの封じ込めもあれば、現代のものもあった。とりわけ関西電力の高圧線が磐座のところを通っていて、電線から出る電磁波で磁場がめちゃくちゃになっていた。

あれを何とかしなければ、日本は変わっていけないんじゃないかと思ったのだ。だから、いつか六甲の封じ込めを解こうと思って、山好きの友達に頼んでこれはという場所を探してもらってきた。彼女が見つけ出してきてくれたのが、六甲比命神社の磐座で、ここに祀られているのが瀬織津姫だという話だった。


瀬織津姫

瀬織津姫の封じ込めを解く


2018年に磐座ツアーといって15人くらいでその磐座に行ってきた。最初はただ大きな岩壁があるだけのように見えたし、波動もどよんと重かった。中心になるポイントを見つけて、皆でそこに輪になってエネルギーを感じ取ってみると、地下に黒っぽい存在がいるようだった。鬼女のようなみにくい女性のようにも見えた。正直言って、これを外に出していいのかと思ったくらいだけれど、これも封じ込めのせいなのだ。縄文の神々は鬼だ悪魔だ化け物だと言われて封じ込められてきたために、オドロオドロしい姿に見えることがある。

それで、皆で地下に意識を合わせて、そこにいる存在にどうか出てきてくださいと念じてみた。その存在は、みにくい姿を見られたくないと言っているように思えたけれど、それでも出てきてくれた。出てきたら、これまで私たちが知らなかったものすごく大きな何かになったようで、私たちはそれが何なのかもわからないまま、ただとてつもない力が出てきたという思いに圧倒されていた。

すると、さっきまではただののっぺりした岩壁に見えていた磐座が、実は巨大な女神の姿だったということに気がついたのだ。岩壁の上には、二つの大きな丸い岩がのっていて、それが巨大なヴィーナスの乳房のように見えた。

磐座の封じ込めを解いたとき、よくそういうことがある。それまでモヤがかかったように思えていたものが、急に霧が晴れて形が見えてくるようなことが。

瀬織津姫といったら祓いの女神で、水の流れと関係のある女神だろうくらいの認識しかなかったのだけれど、これは何と巨大な大地母神のような女神だ。地球そのものと言ってもいいかもしれない。それが地上の生き物たちのすべてを守り養っているその力そのものだと思った。


瀬織津姫は宇宙根源神だったのか?

そのツアーのときに撮った磐座の写真を使って、この巨大な大地母神としての瀬織津姫のエネルギーに繋がり、それを集合意識に送り込んだらいいのではないかと思ったのだ。とにかく日本が同調圧力に流されるのをやめて、一人一人が自立して判断することができるようになるには、西洋風の権利意識などではなくて、何か別の力が必要なのだ。それを瀬織津姫は与えてくれるのじゃないかと思った。おそらくは、まさにそのために瀬織津は封印されていたのだ。日本の人々を支配可能な状態にしておくために。

それで、2月6日の世界を変える魔法セッションで、皆でこの磐座のエネルギーと繋がってみた。すると驚いたことに、見えてきたのはもはや大地母神の姿というよりは、宇宙的な女神の姿だった。岩の上から美しい女性が飛び出してきて、宇宙へ飛んでいったように思えた。地球の大地の女神でもあるのだけれど、宇宙の女神でもある。何かとても根源的な感じの存在で、インドのサラスヴァーティのような宇宙を生み出す根源神だという気がした。

またしても、とてつもない存在が出てきたと思った。この女神は、一瞬で宇宙を破壊もできれば、新しく生み出すこともできるのではないかと思えた。それほどとてつもない力が外に出てきたのだという思いがあった。

縄文時代の日本では、人々はこんな存在とともに暮らしていたのだろうか?縄文時代のみならず、平安時代の頃までの縄文民族は、こんな女神に守られて生きていて、それ以降も東北の方ではこの存在を知っていた人々が生きていたのだ。これが日本の本当の姿だったのだろうか? それはまだ出てきたばかりで、何と形容していいのかもわからないくらいなのだけれど、これまで想像もできなかったようなとてつもない力であることは確かだった。


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