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次元移動の魔法


第1回 直線思考から平面思考へ


次元移動のセミナーを、いきなり公開ライブストリーミングでやろうと思ったのは、何だかもう集合的に次元の扉を開く時が来ているような気がしたからだった。少人数で少しずつ広げていく段階ではなくて、集合的に開いていけるような気がした。それがもう必要なときなのだと。

折しも、マヤ暦で9回目の20日サイクルが始まるイミッシュ(赤い龍)の日に、4回シリーズの第一回のセミナーを行うことになったのは、その直感が正しいことを示しているように思えた。9回目のサイクルは、頂点を越えて、一番大きな転換が起こったあとで、新しい世界を創造し始めるようなステージだからだ。革命が終わって、新しいシステムが作られていくように、だ。

地球のレイラインをひとまわり解放してから、日本の龍脈を解放し始めたら、毎回多次元的な世界が開けてくることに驚いた。まるで、銀河に繋がっている力が存在していて、それが今まで封じ込められていたといった風だった。それが今出てくるということは、宇宙的な次元まで越えていかなければ、世界は変わっていけないということを意味しているように思える。そして、そのときがもう来ているのだということも。

次元について語るのは、容易なことではない。それというのも、私たちは3−4次元の意識で生きてきて、それだけが現実だとする社会の中で教育を受け、それを前提として人とコミュニケーションしたり、仕事をしたり、取引したりしているからだ。だから、それ以外の現実を語る言葉が、共通認識として存在していない。そしてまた、3−4次元を前提としている意識のままで、そうした概念を理解しようとしても、理論としては理解できたように思えても、結局それを3−4次元の枠組みで解釈しているだけだったりする。そうではなくて、5次元以上の世界を現実感覚として感じられないと、やっぱり本当にはその次元を生きることができないのだ。その壁を乗り越えようというのが、今回の公開セミナー「次元移動の魔法」の課題だった。

だから、一体本当にうまく行くかどうかもわからないのに、ぶっつけ本番で始めてしまったような具合だった。しかし、参加者に例を挙げてもらって、それを皆でディスカッションし、それからイメージワークを皆でやっていくうちに、確かに次元の扉が開いたという感触があった。公開セミナーで100人以上の人が同時に意識を合わせているようなとき、意識の波動が強く共鳴して、意識エネルギーのパワフルなフィールドができるのがわかる。次元移動の魔法のセミナーでは、それがまるで、次元の扉が集合意識的に開けたような感覚があった。

次元というのは、私たちが「これが現実だ」と思っているような世界を表している。だから、移動してみないとわからないけれど、移動してみると、実は前からそういう世界に生きていたことに気づく、といったようなものだ。それは、子供のときには当たり前に知っていた世界かもしれないし、いつかどこかで魂が知っていた世界かもしれない。それまで何だか無我夢中で前へ前へと進んできたけれど、ふと立ち止まって、まわりを見渡してみれば、それだけが世界ではなく、もっと大きな世界が広がっていたことに気づく。そんな風な感じのことだ。

次元について、よく誤解されているのは、次元が上がれば上がるほど、上に行くのだという風に思われていることだ。だから、高次元領域に行けば、魔法のようなことができ、三次元的な現実からは離れていって、足が地に着かなくなっていって、宙に舞い上がってしまうみたいに思っていることがけっこう多い。だけど、次元というのは、現実を測る軸の数なのだ。だから、数が多ければ多いほど高くなって、上に行くのではない。そうではなくて、視界が広がり、現実の捉え方が深くなっていくのだ。そして、その結果として、魔法のようなことが当たり前にできてしまうようになる。次元シフトとは、実はそうしたものだ。


1次元から4次元まで


直線的な現実認識


平面的な現実認識


立体的な現実認識



一次元というのは、軸が一本だから、数直線の世界だ。数学でやるX軸Y軸のグラフは、軸が2本だから二次元で、これは平面の世界だ。これにZ軸が加わると、空間的になって、立体を認識することができる。これが三次元だ。ここにもう一本軸が加わると、この3つの軸が表す空間世界が一直線上に変化する。これが4次元の時間の概念だ。ここまでが、私たち人間が普通に誰でも認識している世界だ。

私たち人間は、そういう現実認識が当たり前だと思っている。だけど鶏はそうではなくて、一次元の現実認識で生きている。つまり、鶏にとっては、自分の頭が向いている前に一直線に続いている世界だけが、現実に存在している世界だ。だから、目の前に餌があっても、その前に一枚金網を置くと、鶏は餌に行き着けなくなってしまう。金網は右も左も空いていて、まわっていけば容易に餌に行き着けるのだけれど、鶏にとっては、「餌の間に金網がある」という現実しか見えていないのだ。それで、餌に行き着けないとなって、向きを変えると、今度は金網はないけれど、餌もない、という現実認識で生きることになる。鶏は三歩歩くとコロッと忘れてしまう、と言われるのは、そういうことだ。

鶏にとっては、餌の間に金網があったら、餌のところには行き着くことは不可能だ。ところで、犬は二次元までの意識がある。つまり、世界を平面的にとらえることができる。だから、目の前には金網があっても、右も左も空いていることがわかる。だから、まわっていけば餌にたどり着くということがわかる。犬は当たり前に金網をまわって餌に行き着くのだけれど、鶏から見ると、これがまるで魔法のように見える。まるで不可能なことを現実化しているように見えるのだ。鶏にとっては、餌の前に金網があるという現実しか存在しない。だから、犬はとつぜん姿を消して、再び向こう側に現れたように見える。それは、魔法のように思えるわけだ。

私たち人間は、金網をおかれても、まわっていってその向こうに行くのは当たり前にできる。だけど、これが時間軸となると、できなくなるのだ。私たちは通常4次元までの現実認識で生きているから、時間は直線的に流れているように見える。過去から現在へ、現在から未来へと、一直線の道しかないように見えている。

私たちは、いつも何かしらある目的を目指して生きている。仕事をしてお金を稼ぐとか、勉強して資格を取るとか、パートナーを探して結婚するとか、あるいは何かの芸術作品を作って完成させるとか、イベントを企画して実行するとか、あるいは単に掃除をして家をきれいにするとかいうときにもだ。そういうとき私たちは、まるで目の前に一本の道しかないみたいな現実認識で生きている。だから、何かしら思うようにいかないことがあると、まるで金網を目の前に置かれた鶏のようになる。壁の前で落ち込んだり、絶望したり、壁に何度もぶち当たってみたりする。



直線的な思考(4次元)


平面的な思考(5次元)



ところで、これが5次元の意識になると、実は他にいくらでも道があることがわかる。ふさがっているのは目の前だけで、右も左も開いていることがわかる。だけど、4次元の意識の私たちは、そこで別な道から行けるということが、なかなか信じられないのだ。それは不可能なことのように思える。向きを変えたら、目的から離れていってしまうように思える。それで、自分がこれと思う道から、離れることができない。これが、4次元の現実認識に囚われている私たちの状態だ。

5次元に移行するとは、つまりこの4次元の直線的な時間認識に、もう一本軸を加えて、平面にすればいい。それで、一本の道の上を進もうとして、道をふさぐ壁にぶつかっている自分をイメージし、その姿を上から見てみるというイメージワークをやってみることにした。そして、参加者の一人に自分がぶつかっている問題について話してもらい、他にどれだけの可能性があるのかを皆で7つくらい考えてみることにした。

「岡目八目」という言葉があるけれど、当人には目の前に壁が立ちはだかっているように見えても、他の人から見たら、一目瞭然に抜け道が見えたりすることがある。当人にとっては目の前しか見えていないけれど、何の関係もない他人には、状況が上から見るように見えてしまうことがあるからなのだ。岡目八目というのは、将棋とか碁とかを指しているときに、脇から見ている人の方が、どうすればいいかが容易にわかってしまう、ということを言っている。やっている本人たちは、勝つか負けるかで必死になっているから、目の前しか見えていない。だけど、何の関係もない傍観者には、事態を丘から見渡すように全体の状況が見えてしまう。

その際に、それが現実的かどうかは一切考えないで、これは絶対無理だろうと思うようなことでも、突拍子もないようなことでもいいから、言ってもらうということにした。それというのも、4次元までの現実認識の私たちが、普通に「これは現実的ではない」と思うようなことは、直線的な時間軸の世界に囚われている認識にすぎないからなのだ。私たちは、何か望みを叶えようとするときに、それに向かって努力していったら行き着けるように思っているけれど、実際には、そんなのではないことが、実はけっこう多い。パートナーに出会うとか、新しい仕事が見つかるとか、あるいは外国に移住するとか、何かしら人生に変化があるとき、計画して努力したからそうなったというのではなくて、たまたま何かの偶然で出会いがあり、縁が繋がって、ということの方が、実は多かったりする。

これは、変化の多い人生を送ってきた人は、よく知っていると思う。むしろ、一回絶望して、崖から飛び降りるように、すべてを断念したときに、不思議な縁で導かれるように、新しい人生が始まって、気がついたら望みが実現していた、というようなことがよくある。それは、壁にぶつかっているのをやめて、向きを変えたら、いくらでも道が空いているのがわかった、というようなことにも似ている。それは、4次元の意識では、まるで不可能なことが可能になったような、魔法の力でも動いたかのように思えるけれど、平面的な時間認識で見たら、まったく当たり前のことが起きたにすぎないということになる。

参加者の男性の一人が手を挙げてくれて、お金持ちになって女性と恋愛したいけれど、収入が減る一方で、どうしていいのかわからない、という悩みを語ってくれた。それで、解決法を皆で出してもらうと、「自分で通貨を発行する」「宝くじで3億円当たる」「ユーチューブ動画を作ってヒットする」といった案が出た一方で、「タロットの愚者みたいに、一回崖から落ちてみると、人生が開ける」とか、「女性を所有するような関係性の概念を捨てる」「お金に対するこだわりを捨てる」というようなことを言ってくれた人もいた。

実際、パートナーに出会うのも、お金が入ってくるのも、何があったから、というようなものでもないことが多い。出会いもお金も、がんばったから得られるというようなものでもなくて、縁があったら何もしなくても出会うし、お金も本当に必要なときには、どこからともなく入ってきたりする。

それで、お金のない男性と一緒に幸せに暮らしている人の例を、参加者の皆に挙げてもらうことにした。これは、家族が聞いているから言えなかったという人も多かったようなのだけれど、お金がないならないで、楽しく暮らしている人はけっこういる。それで、お金に困ったら、安く住める家が出てきたりといったことを経験した人も少なくない。

私たちは、多くの場合、それぞれの思い込みで、「こうするには、こうでなくてはならない」ということにしがみついていることが多い。それには、過去のトラウマが働いていて、前にこういうことでうまくいかなかったから、今度もそうなるに違いない、という思い込みから離れなくなっていることも多い。ところで、「今度もそうなるに違いない」と思っていると、私たちは見事にまったくその通りの現実を引き寄せていたりする。それがまさに、たった一本の道しかないかのように、同じ壁に何度もぶつかっているというような状況を作り出している。

それで今度は、それぞれに自分のぶつかっている問題を、一枚の壁みたいにイメージして、その壁の前で動けなくなっている自分を、空の上から見て、その自分に「すべてが可能だったらどうする?」と聞いて、どういう反応をするかを見てみるというイメージワークを皆でやってみた。すると、お金がないからと思っていた人は、お金じゃなくて好きなことをすればいいんだと気がついたとか、本当はお金が問題じゃなかったことに気がついたといった人が多かったようだった。

現代に生きる私たちは、お金を追いかけさせられることで、直線的な時間軸に生きさせられていることがいかに多いかということなんだと思う。何でもお金がなければと思う習慣がついていて、だからとにかくお金が稼げるようになるために、有名な学校を卒業するとか、資格を取るとか、就職して会社に従うとか、そういう道に駆り立てられていくわけなのだ。そして、まさにそうした社会の構造が、今の世界の奇妙な状況を作り出しているということに気づく。お金が稼げなければと、多くの人は、おかしなことにでも従ってしまう。それも、それしか現実がないかのように思えているからなのだ。

このイメージワークをやったときに、直線的だった現実認識が平面的になるという意識が大きく共鳴して、パワフルなエネルギーのフィールドを作り出したのを感じた。それはまるで、5次元の扉が集合意識的に開いたかのようだった。多くの人は、具体的なイメージは見えなくても、何だか気持ちが軽くなって、世界が広がったような感覚を感じたようだった。ある一点にだけ意識が向いて、何とかしなければと焦っていたのが、ふいにこのままでいいのだと思えたような、そんな感じだった。

ハワイのシャーマニズム、フナ(ホオポノポノ)では、私たちの意識を、クー(無意識、身体意識)、ロノ(顕在意識)、カネ(宇宙意識)の3つに分けて考えている。ある望みを実現しようと思うときには、実現する目標を決めるのは顕在意識であるロノで、それを実現するのは身体意識と潜在意識であるクーだ。クーは、有能な右腕のようなものだから、部下を信頼する社長のように、クーを信頼して任せるのがいい、とフナでは言っている。

それというのも、私たちの潜在意識は、4次元に囚われている私たちの顕在意識が知らない可能性をすべて知っていて、一番簡単に行ける道をちゃんと知っているからなのだ。だから、顕在意識で、それは違う方向なんじゃないかとか、それは無理なんじゃないかとか思っても、クーはちゃんと知っているはずだから、と信頼して任せておけばいい。私たちは、顕在意識で何でも判断して、こうするべきだとか、これは無理だとか思っているのだけれど、まさにそれによって直線的な現実認識に囚われてしまっている。ところで、私たちのクーは、ちゃんと平面的な次元を知っているのだ。

それで最後に、自分のクーをインナーチャイルドみたいに想像して、自分の望みを言って、「どうすればいいか知ってるよね。任せるから、頼むよ」と信頼を示すというのを、皆でやった。4次元の直線的な世界観に囚われていると、ロノがクーを信頼しないで、ああしなきゃダメ、こうしちゃダメ、と支配している状態になっている。それで、自分で自分に絶えずダメ出しして、自己イメージを下げていたり、自分で自分を罰してガチガチになっていたりする。ところで、自分のクーを信頼するのをやってみると、 分裂して戦っているような状態になっていたクーとロノが和解して、自分自身を信頼できるモードになる。そして、この分裂が解けて潜在意識と顕在意識が一つになったとき、実現不可能に思えていた望みも、何ということなく実現してしまう状態になるのだ。

すると、多くの人が、自分の中に実はこんな力があったということに気づいたという感覚を持ったようだった。自分の中に天使がいたとか、龍がいたという風に感じた人もいたし、自分が巨人のように大きい存在になったような気がした人もいた。

4次元の直線的な時間認識が封じ込めていたものは、まさにこのクーのありとあることを知り得る能力だったのだろう。私たちの潜在意識は、4次元の意識からすると、絶えずとんでもないところへ行こうとする、やっかいな子供のように思えるのだけれど、実はすべての可能性を見て取って、最短の道を見つけることができる、最も信頼できる相棒だったのだ。

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セミナー次元移動の魔法 第一回「直線思考から平面思考へ」
ライブ配信の録画はこちらで見られます。

第一回 直線思考から平面思考へ

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Thursday, July 13, 2023


セミナーのプログラムと参加方法はこちらで見られます。


セミナーの翌日の空。次元の扉が開いたような開放感があった。


2023年7月14日



第2回 時間軸の平面思考 過去



公開セミナー「次元移動の魔法」の第1回で、現在の時間軸を直線から平面に開くというのをやってから、何だか集合意識的にも次元の扉が開いたような感覚があった。私たちはこれまで4次元の時間感覚で生きてきたわけなのだけれど、そこでは時間は過去から現在、現在から未来へと、一直線に進んでいくように見えている。それはまるで、たった一本の道しかないところをただ前へ前へと進んでいるようなもので、何か一つでも思ったようにならないと、とたんに私たちは、もうダメなのかと思ったり、必死になって戦ったりするわけなのだ。それが、5次元の意識になると、時間軸がもう一本増えて、平面的になる。時間の流れはたった一本ではなく、無数の可能性があることがわかる。

第1回のセミナーでは、そうした平面的な時間感覚のイメージを持つのを皆でやっていたのだけれど、すると、これまで世界を何とかしようとして必死になっていたのも、もっと気楽にやっていてよかったんじゃないかという気がしてきた。まるで世界が急に広がって奥行きを増したかのようだった。世界ではひどいこともたくさん起こっているけれど、それはそれとして、それぞれに自由に生きられる空間を持つこともできるんじゃないかと思えてきた。たしかに私たちは世界で何が起ころうと、それぞれに自分の領域で自由に生きてもいる。そこに意識を向けていっただけで、あるいは世界はグレンと引っくり返ってしまうのかもしれない。だとすれば、それこそがまさに、起こる起こると言われていた4次元から5次元への次元シフトなのだろう。その感覚を皆で共有することができたんじゃないかと思った。

第2回のセミナーでは、過去の時間軸を直線から平面に広げるのをやった。私たちは、過去はもう過ぎ去ってしまったから、変えることができないと思っている。そして、その過去があるから、今の自分があるので、それも変えることができないと思っている。しかしそれは、時間が直線上を流れていくかのように思えているからなのだ。4次元から5次元に移行したとき、時間軸はもう一本増えて、時間は平面的になる。すると、過去は無数に存在しており、私たちが今、「こういう過去があった」と思っているのは、無数にある過去のたった一つだけを認識しているだけなのだということがわかる。

これをイメージ化するために、過去のある時点を、直線上の一点ではなくて、網戸のようなものとしてイメージしてみることにした。無数にある編み目の一つ一つが、さまざまな過去のヴァリエーションだ。その編み目の一つに、紐を通したところを想像してみる。その編み目が、私たちが今「こういう過去があった」と思っているものだ。

そして今度は、現在をやっぱり一枚の網戸のように想像して、その紐を編み目の一つに通すのを想像してみる。これが、私たちが今思っている現在だ。過去が無数に存在するように、現在もまた無数に存在する。そして、この二枚の網戸に通した紐が、私たちが過去から現在への時間の流れと思っているものだ。無数にある可能性のたった一つを選び、それを結びつけているのにすぎない。私たちが因果関係と呼んでいるもの、「こういう過去があったから、今の自分はこうだ」と思っているものとは、実はこの紐のようなものにすぎない。4次元の時間感覚では、それ以外の事実はないように思えているけれど、5次元の時間感覚になると、それは実はこじつけとも言えるようなものでしかないのがわかる。だから、5次元になると、過去は自在に変えることが可能になるのだ。

過去が無数にあるというのは、一つには私たちが「過去はこうだった」と思っているものも、どこに意識を向けるかで、違う経験になってしまうということがあるからだ。たとえば、二人の人が一緒に旅行に行ったとき、まったく同じところへ行って、同じものを見、同じ人と出会って、同じ体験をしたのに、旅行から帰ったら、一人の人は「人は親切だし、いいところだった」と言い、もう一人の人は、「人は差別的だし、嫌なところだった」と言ったりする。そうしたことは、誰でも経験していると思う。同じ体験でありながら、どこを見て、どこに意識を向けるかで、まったく違う体験になってしまう。

だから、過去をまったく違うように変えたつもりが、実はそういう過去も存在していた、ということに気づくこともある。たとえば、親に虐待されていたから、自分に自信が持てないのだと思っているとしたら、自分の親にかわいがられた、という過去に変えてみることができる。そうしたとき、虐待された記憶が遠くへかすんでいってしまい、その代わりに愛された経験が記憶によみがえってきたりすることがある。そして、親にかわいがられていたという過去が、実際にあったことに気づいたりする。

あるいは、絶対なかったような過去に変えてしまうことも、5次元以上の時間認識ではできる。たとえば、ぜんぜん違う親に育てられたことにしてしまうことができる。これは、やってみれば実感としてわかるのだけれど、絶対に存在していなかった過去が、そのときから存在し始めるのだ。本当にまるで愛されて大事にされて育ったかのように、人を信頼できるようになったり、自分に自信が持てるようになったりする。

どうしてこういうことが起こるのかはわからないけれど、おそらくは意識の世界には境界というものがないからなのだと思う。今の生では確かにそんな経験はしていないとしても、あるいは過去生でそういう経験をしていたのかもしれない。あるいは、自分の体験ではないけれど、誰か他の人がそういう体験をしていて、それを共有しているのかもしれない。この宇宙のすべての経験は、アカシックレコードのようなものとして、誰もが共有できるようになっている。だから、そこにアクセスするならば、どんな経験だって、自分のものにすることができるはずなのだ。つまるところ、私たちはそれぞれに特殊な経験をして、その経験をアカシックレコードとして集合的に蓄積していくことで、宇宙を進化させ、より大きなバランスを作り出している。そうだとすれば、人類がこれまでに体験したすべての経験も、私たちは自分のものとして取り入れ、自分の人生を豊かにすることができるはずなのだ。

それで、参加者の一人に変えたい過去を話してもらって、それを皆でどんな風に変えることができるかを考えてみることにした。これまで世界中あちこちへ旅してまわっていたので、パートナーに出会うことができなかったから、パートナーに出会う過去に変えたいという人が、名乗り出てくれた。それで、どういう風な可能性があるかを、現実的かどうかは一切考えないで、皆に出してもらった。

すると、旅先で出会った人と結婚したという人がいて、結婚しても一緒に旅行したり、別々に旅行したり、たがいに自由にできるような関係になったことにすればいいんじゃないかと言った。結婚しても、一カ所に住まないで、一緒にあっちこっち移動しながら暮らしていく人もいる。あるいは、一人の人とパートナーになるという発想を変えて、港々に女がいるっていう感じで、行く先々にそれぞれ恋人がいるっていうのはどうだろう、と言った人もいた。また、過去生のパートナーが、自分よりもいい男でなければ、別なパートナーを持つことを許さないと言ったから、今までパートナーができなかったのだ、ということにして、だからこれからもっといい男が見つかるところなのだとしたらどうだろう、と言った人もいた。

その人は、それだけいろいろな可能性があるとなったら、「旅行が好きだから、パートナーに出会えなかった」というのは、本当に網戸に通した紐みたいな発想だったというのがよくわかって、何だか身体がすっかり軽くなった、と言っていた。私たちは、「過去がこうだから、今がこうだ」と決め込んでしまいがちで、まさにそう思っているからこそ、その通りの現実を自分で作り出しているようなところがある。だから、そう思い込む必要もないとわかると、とたんに意識が切り換わって、別の現実を作り出し始めたりする。

それから、それぞれに自分が変えたい過去を考えてもらって、それを意識上で変えるワークを皆でやった。過去のできごとをなるべくリアルに思い出して、違うようになったようにイメージするのだ。違う家に生まれて、違う親に育てられたとか、ぜんぜん違う過去を考え出してもいいし、ある人に何か悪いことをしてしまったのならば、やっぱりそれをやらなかったことにするとか、謝って和解できたことにするとかしてもいい。重要なのは、自分が納得できて、問題が望むように変わっていく感覚がするかどうかということだ。相手が関わっていることでも、そういう意識になっていたら、無意識の領域で相手に伝わったりもする。あるいは、特に変えたい過去がないときは、ただ過去のいい思い出に戻っていって、そのときの体験をもう一回楽しんでくる、というのでもいい。私たちは、過去はもう過ぎ去ったものだから、もう戻ってこない、と思っているけれど、5次元以上の時間感覚では、過去は失われてはいない。いつでもそこに戻っていって、体験してくることができる。

すると、親にかわいがられた過去にして、すっかり満ち足りた気分になったとか、両親を早くに亡くした人は、幸せだった時に戻っていって涙が出たと言っていた。これで自分の娘に対するわだかまりも解けるような気がすると言っていた。思春期の頃に反抗していた祖父母に、「ありがとう」といって花束を渡してきたら、これまでも祖父母に守られてきていたことがわかったと言った人もいた。また、トカゲだった過去生を見たことがあるという人は、その生に戻っていったら、ありとある生物に歓迎されて、皆で楽しく共生していて、ただそれを楽しんできたと言っていた。自分が今、自然と共生する生活をしようとしているのは、だからなのだとわかって、安心したそうだ。どんな過去に変えるのも自由だと思ったら、ああいう子供時代でよかったと思えたという人もいた。そうやって体験をシェアしているうち、過去というものが、実に多様な広がりを持ったものなのだということが、リアルに感じられた。そして、過去も現在も、多様な広がりに開かれていて、どのようにでも自在に変容させることができるのだということもだ。

それから、うまく過去を変えられなかったという人に手を挙げてもらった。親が戦争のときに財産を失うという体験していて、そのために親子の関係がうまくいかないところがあるので、戦争がなかったことにしようとしたのだけれど、どうもうまく行かなかったという。戦争のような大きなことを変えるのは容易ではないので、戦争はあっても、財産はなくならず、幸せに暮らせたことにするという手がある。しかし、戦争がなかったことにするというのは、面白いテーマなので、これを皆でどうやったらいいか、一緒に考えてやってみることにした。

縄文時代には戦争がなかったということなのだから、縄文人の意識をもったらいいんじゃないかとか、戦争をしかけた人が、何かのきっかけでやっぱり戦争するのをやめることにしたことにしたらいいんじゃないかとか、武器がない世界にしてしまえばいいとか、いろいろな案が出たあとで、未来の5次元意識を過去に送り込んで、人々がもう騙されなかったことにしてしまおうということになった。つまるところ、戦争というのは、何かが足りないから、それを他の国から奪い取らなければならないというような意識から生じている。しかし、物であれ、能力や名声みたいなものであれ、何かが欠如しているという感覚は、4次元までにしか存在していない。5次元以上になると、過去も現在も未来も無数の可能性から自在に選ぶことができるのがわかるので、欠如意識というものは消え去ってしまう。その状態であれば、何も争う必要などないのがわかる。だから、戦争などそもそも起こりようがない。たとえ誰かが戦争を始めようとしても、何割かの人々が5次元意識で生きていたら、もう人々が騙されて、戦争に向かって煽られることもないはずだ。

それで、それが第二次世界大戦の前でも、第一次世界大戦の前でも、あるいはコロナパンデミックが起こりかけた頃でも、それぞれ好きなところに戻っていって、5次元意識が未来からやってきて、人々が騙されなくなっていたことにしてみることにした。

すると、参加者の顔つきが、何だか緩んで、ホッとしたような感じになっていた。何だかわからないけれど、身体が暖かくなって気持ちがよかったと言っていた人もいた。5次元意識を送ってみたら、戦争はやってはいたけれど、それでも多くの人はそれとは関係なく自立して幸せに生きていたというような過去に変わっていた。戦争は、過去の中のごく小さな部分にすぎなくなっていた。

それは、あるいは今までもそうだったのかもしれない。戦争に煽られていく人たちがいる中で、煽られずに自分の人生を生きていた人も確かにいた。実際、そのように自立性を失わないでいられる人が何割かでもいたら、国中を戦争へ煽っていくようなことは、できなくなってしまうのだろう。そして、何があっても自分は自分で自分の人生を生きていけるのだという信頼感こそは、人々を危機感に煽られないようにしてしまい、争いに煽られ続けたこれまでの歴史を、ついに変えてしまうのかもしれない。

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セミナーの録画は、こちらで見られます。

第2回 時間軸の平面思考

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Thursday, July 20, 2023



2023年6月にイギリスにできたクロップ・サークル

2023年7月20日

第3回 時間軸の平面思考 未来


公開セミナー【次元移動の魔法】の第3回は、未来の時間軸を直線から平面にすることがテーマだった。

私たちはこれまで、4次元の現実認識で生きてきたわけだけれど、4次元では時間軸は一本だけなので、時間は直線的に動いていくように思える。過去から現在へ、現在から未来へと、まるで一本の道を通っていくかのように見えているわけだ。だけど、ここにもう一本時間軸が加わると、時間は直線ではなく、平面的になる。つまり、数直線ではなく、X軸とY軸でできている平面になる。

こうなったとき、時間というものは、実は一直線上を進んでいるのではなく、無限の広がりがあることがわかる。過去も無数にあれば、現在も無数にあり、未来も無数にあることになる。すると、直線的な時間軸で考えたときには、絶対に不可能だと思えるようなことが、何でもなく可能になってしまうのだ。それは、直線的に見た場合には、目の前に壁が立ちふさがっているように見えても、平面的に見たら壁は目の前にしかないということが難なくわかってしまうのと同じことだ。だから、4次元の意識で現実を見ている人にとっては、5次元の意識で生きている人は、まるで魔法が使っているかのように思えるかもしれない。しかし、5次元の意識で現実を見ている人にとっては、4次元の意識で生きている人は、右も左も開いている壁の前から動かないでいるようにしか見えないわけだ。

第2回のセミナーでは、過去の時間軸を平面にして、過去が自在に変えられるのを皆で経験したのだけれど、第3回のセミナーでは、未来の時間軸を直線から平面にするのをやった。

私たちはこれまで、こういう過去があるから現在はこうで、現在がこうだから、未来もこうなるだろうというように、未来というものが過去と現在から必然的に決まっているように思ってきた。だから、「このままだと未来はこうなるんじゃないか?」とか「もしこうなってしまったらどうしよう?」とか「もしこうならなかったらどうしよう?」とかいつも未来に対する不安を持ちながら生きることになっている。たとえば、「もし志望の大学に入れなかったらどうしよう?」とか「もし年金がもらえなかったら、老後はどうなる?」とか、あるいは「もしグレートリセットが来たら大変だ」とか、そういう風に未来を考えるとき、未来は一本しかない道の先にあるように思えている。これが、5次元になると、道が一本しかないのではなく、360度すべてが開いていることになる。すべてが開いているのにもかかわらず、目の前の一本の道だけが現実的に存在しているように思い込んでいるのが、4次元の時間感覚だということになる。

それで、「未来がもしこうなったらどうしよう?」とか「未来がもしこうならなかったらどうしよう?」と思っていることを参加者に挙げてもらい、それを皆でどれだけの可能性が他にあるかを考えてみることにした。すると、日本でこれから施行されようとしているインボイス制度が来たら困る、というのと、ワクチンパスが導入されたら嫌だ、というのが出てきた。

未来を直線から平面にしたときに、未来は網戸の網目のように無数にあることがわかる。私たちが直線の時間軸で見えている未来とは、そこに一本の紐を通して、その紐だけが未来の可能性だと思っているようなものなのだ。それで、インボイス制度が施行される未来を網戸に通した一本の紐のように考えて、他の可能性がそのまわりに網目のように無限に広がっているのをイメージをするのを皆でやった。そして、どんな未来が見えてくるかを言ってもらうことにした。

すると、311のあとからお金を稼がない生活に変えてこれまでやってきたという人が、お金を稼がないと生きていけないと思うのをやめればいいのだ、と言った。たしかに、お金がなければ生きていけないというのも、実は直線的な時間認識で見えている現実にすぎない。311のあとで、これまでのように普通にお金を稼ぐ生活をやめてしまった人は少なくないけれど、ほとんどの人は、それで生きていけている。実はお金を稼がなくても、必要なものは、だいたいちゃんとどこからかやってくるようになっているのだ。それは、食糧危機が来るかもしれないと思っていると、野草が食べられることに気づくというのとも似ている。お金にこだわるのをやめると、実はすべて差し出されていたことがわかってしまうのだ。それは、野草や古物みたいに、物質的に存在しているものであることもあれば、不思議な引き寄せだとかシンクロみたいなことだったりもする。こうしたことは、どういう理由でであれ、お金を稼がない生活をしたことがある人は、誰でも経験していることだ。

お金を稼がなければ、税金を払う必要もないわけで、だからインボイス制度が来ても困ることはない。インボイス制度に切り換えたくないので、事業登録をやめたと言った人もいた。結局、従わない人が多ければ、システムは機能しないわけで、事業登録するのをやめて、そもそもお金を稼ぐ生活をやめてしまう人が増えたら、このシステムは破綻することになるのだろう。オーストリアでは、ワクチンパスがワクチン義務化まで行った国なのだけれど、それでも従わない人が多かったので、結局、違反者を検挙するところまで行かないままに、法律そのものが撤廃されてしまった。だから、「義務化してしまうのだから、しかたがない」と思い込んだ人だけが、そのような現実に自分から飛び込んでしまっただけだったということになる。

パンデミックのことでもまったく同様で、ウィルスに感染して死ぬかもしれない、と思い込んだ人たちは、まるで未来が一本の道でそこへ進んでいるかのように、自分から病気になるような現実を作り出してしまったわけだ。このように、未来がまるでたった一つしかなくて、そこへ必然的に繋がっているのだと思い込ませると、その人は自分からその通りの現実を作り出し始めてしまう。誰かに呪いをかけるというのは、実はこの原理を使っている。未来にたった一つの選択肢しかないように思わせることで、人を思い通りに操作することができてしまうのだ。実際、メディアを使ってそうした心理操作で人を操作しようとしていたということもわかっている。

しかし私たちは、危機に直面すると、そのたった一本しかないように思える道から飛び降りるという選択にも意識が向くようになる。311のあとで都市を離れて、お金を稼ぐ生活をやめてしまった人も少なくなかったようにだ。プランデミックが始まってからは、医療機関を使うのをやめて、自己治癒力を信頼するとか、自然免疫を鍛える方へ向かった人も多い。抗議活動をしていて、仕事から干されてしまった人たちは、寄付金だけでやっていく生活に変えていった。すると、お金は利益を追求するから入ってくるのではなくて、人のために仕事をしてさえいれば、入ってくるという風に変わってしまう。実際、こうした人たちは、お金よりも愛に生きることを選んだからこそ、仕事を干されてしまったわけなのだけれど、そうなると、愛が豊かさになるという原理で、現実に生きることになる。すると、そうした生き方こそは、お金があるなしと関係なく、何よりも満たされて幸せに生きられるということがわかってしまう。

こうした経験をすると、実は今まで私たちは、たった一つの可能性しかないかのように思わされていただけだったということに気づいてしまう。だから、まさにこうした危機によって、私たちは4次元から5次元へと次元シフトしていっていたのだとも言えるわけだ。

それから、参加者それぞれが、自分が不安に思っている未来を一本の道の先に見ている自分を想像して、それを上から見てみるイメージワークをやることにした。地上にいる自分は、一本の道だけを前にしているように思えているけれど、これを上から見たら、実は360度いくらでも他に道があることがわかる。それで、一本の道しかないと思っている地上の自分に、「可能性は他に無数にあるんだよ。だから、好きにしていいんだよ」と言って、自分がどういう未来へ向かっていくかを見てみることにした。

すると、水瓶をもらうことにしたのだけれど、水瓶が来たらそこから幽霊が出るような気がすると言っていた人は、水瓶が来たら、それは幽霊ではなくて水の神だったことがわかり、豊かな水がいくらでも湧いてくるようになる未来が出てきたと言っていた。

移住したいと思ってあれこれ見ているのに、ちっとも決まらないと言っていた人は、すべての可能性があると思って歩いていったら、同じところにいた、と言っていた。あれこれやっているのに、どれもこれもうまく行かないというときは、違うところに本当の自分の行く先があるということもある。その場合は、不思議とすべての目論見が失敗に終わることになっている。私は、陶芸でお金を稼ごうとしていた頃、同じような体験をした。あれこれ試すことが、不思議なくらいことごとくつぶれていったのだ。今から思えば、確かにそれが私がこの地上でやろうとしていたことではなかったのがわかるから、あの時うまく行かなくてよかったのだと思える。

うまく行かないからこそ、私たちはこれまでやらなかったような、まったく現実でなさそうなことをやってみようという気にもなるのだ。時代の転換期に生きている私たちは、これまでの常識を外れていく生き方へシフトすることを選んできているとも言えるわけなので、普通のやり方がどうにもできないような事態に追い込まれるときには、何かしら思ってもみなかったような可能性に開かれているということもある。

核戦争が起こるのが恐いと言っていた人は、そういう未来は出てこなくて、ただガイヤさまの存在を感じ、祝福されている感覚がしたと言っていた。第三次世界大戦が来るとか、核戦争になるとか、完全管理社会が来るとか、いろいろと恐ろしいことが言われているのだけれど、それが直線上の時間軸の先にあると思うのをやめると、そういう未来が来るようには思えなかったりする。あるいは、そういう恐ろしい未来が来るというのは、人々をそういう未来へ向かっている直線的な時間軸にはめ込もうとして言っているだけなのかもしれない。つまり、人々を集合的に呪いにかけて、そういう未来を自分から作り出すようにしてしまおうとしているのだ。

その状況を上から見てみると、ただそういう未来が来ると思い込まされた人だけが、一直線にそういう暗黒の現実を作り出しながら生きていて、他の世界中の人々は、それぞれに別な道を進んでいることがわかる。あるいは核戦争みたいなことも起こるのかもしれないけれど、それもそういう現実を作り出している人だけが、そこで犠牲になっているようだ。世界で何が起ころうと、犠牲になる人もいれば、それとは関係なく生きていく人もいる。実はそんな風に、同じ世界に生きていながら、すべての人に同じ現実が来るわけではないのかもしれない。結局、それぞれに作り出している現実が違っていて、生きている世界が違う。そういうものなのかもしれない。

それで最後に、世界中の人々の時間軸が直線から平面に変わるというのをイメージしてみることにした。この瞑想を始めたとたんに、次元が集合意識的に開いていくのが、かなりパワフルに感じられた。その瞑想には、ズームだけでも50人くらいの人が参加していたけれど、人々の意識の波動が大きく共鳴すると、次元が開いたような感覚が、波動としてかなりはっきりと感じられる。何人かの人は、世界が網目のようにあるだけではなく、一つ一つの網目に一つの世界が入っていたというような、立体的なイメージを見ていた。網目ではなくて、中心から放射状に広がっている球のようなものが見えたと言っていた人もいた。表面的に見たら、人それぞれ違う方向へ向かっているようだけれど、中心のところは同じで、それぞれ幸せを望んでいるだけなのだということがわかったそうだ。だから、どっちへ向かっているかではなくて、中心のところを見れば、誰とでも共振できるのだと思ったと言っていた。

参加者の表情が、とたんに落ち着いてどっしりした感じになっているのがわかった。直線的な時間軸に生きていると、私たちは、この先どうなるのか、そのためにこれをしなければ、とつねに不安を感じながら、浮足立って生きている。ところが、時間軸が平面になって、実はあらゆる可能性に開かれていることがわかると、何も焦って人を出し抜こうとしなくても、自然に調和していけるのが、体感としてわかってしまうのだ。それぞれに十分に空間が開けているのだから、何も争う必要などないことがわかってしまう。そうなると、それぞれのあり方を尊重して調和していく、ということが、ごく当たり前にできてしまうようになるのだと思う。

ちょうど前日が7月26日で、マヤ暦の新年だったのだけれど、そこで世界が新しい次元にシフトしたような感覚がしていた。そして翌日の今日、折しもサンクトペテルブルクでは、ロシア・アフリカ・サミットが開催されていて、ほとんどのアフリカの国の代表団が集まっていた。それはこれまでのどのサミットとも違っていて、本当にそれぞれの国のあり方が認められ、対等な立場で協力し合おうとしているのが感じられる。多極化世界とは、つまりはこのように、直線的な基準で争い合うのではなくて、それぞれのあり方でやっていって、それで調和できるという信頼をベースにしているのだ。そうした国際関係が、すでにできているのが感じられた。

まさにその同じ日に、次元移動のセミナーで、世界中の人々の時間軸を直線から平面に変えるイメージワークをやったのは、偶然ではないのだろう。それは、昨日から始まったマヤの新しい年が、多極的な調和へ向かっていくことを、示しているように思えた。


物理学での5次元。網目の一つ一つに別々な世界がある。


セミナーの録画はこちらで見られます。

第3回 時間軸の平面思考 未来

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Thursday, July 27, 2023

2023年7月27日



第4回 平面思考から立体思考へ 5次元から6次元


公開セミナー「次元移動の魔法」第4回は、平面思考から立体思考へ次元移動するのをやった。つまり、5次元から6次元への意識の移行だ。

私たちはこれまで、時間は直線的に動いているかのような意識で生きてきた。過去から現在、現在から未来へと、まるでたった一本の道を進んでいくかのように思えていた。これが、4次元の時間感覚だ。これにもう一本時間軸が増えて5次元になると、時間の認識が平面的になる。つまり、一本の道を進んでいるのではなく、ありとある可能性が広がっていることがわかる。だから、まるでパラレルワールドを乗り換えていくかのように、過去や現在、未来を変えてしまうことができる。これは、4次元の時間感覚で生きている人にとっては、まるで魔法みたいだ。しかし、5次元の現実認識を知っている人にとっては、当たり前のことでしかない。空間が目の前だけではなく、360度広がっていることを知っているのと同じように、時間もまた、一本の道しかないのではなく、360度広がっているようなものだからだ。

ここにもう一本軸が増えると、この平面的な時間感覚が、さらに立体的、空間的になる。これが、6次元の時間感覚だ。

鶏は、1次元の現実認識しかないので、目の前に金網を一枚置かれたら、もうその先にある餌のところへはたどり着けなくなってしまう。鶏にとっては、目の前の世界だけが現実なのだ。だから、餌の前に金網がある、という現実しかない。だから、目の前に金網一枚置かれただけで、動けなくなってしまうのだ。

ところで、犬は2次元までの知覚がある。だから、目の前に金網を置かれても、他のところは開いていて、まわっていけるということがわかる。犬にとっては、360度の平面が現実だからだ。しかし、犬のまわりに渦巻き状に金網を置くと、犬はそこから出られなくなってしまう。渦巻き状だから、360度どこを見ても、つねに目の前に金網があるということになる。そうすると犬は、すべての方向がふさがれていると思ってしまう。つまり、八方ふさがりだと認識するわけだ。

人間は、渦巻き状に金網を置かれても、まわっていけば出ていけるのがわかる。それは、人間が三次元の現実認識、つまり空間的な知覚を持っているからだ。金網が360度すべてにあっても、この金網を上から見たら、渦巻き状になっているということがわかる。だから、どこをどう行けば外に出られるかがわかる。このように、上から見たとき、あるいは下から見たときに、どうなっているのかがわかるというのが、空間的な現実認識なのだ。公園とかの地図を見たら、今自分がどこにいて、どこをどう行けば外に出られるのかがわかるというのと同じだ。

しかし、これが時間軸となると、私たちはわからなくなってしまう。これまでのセミナーで、時間軸を360度開いて平面的に認識するのをやってきたけれど、360度ふさがっているように見えると、八方ふさがりだと私たちは認識してしまうのだ。

ところで、私たちは意識していなくても、実は多次元的な意識を内に持っていて、6次元の意識もちゃんと持っている。それは顕在意識には入ってこないかもしれないけれど、潜在意識の中にはちゃんとあるのだ。つまり、八方ふさがりになったと思っても、私たちの6次元意識は、ちゃんとどこをどう通っていったら抜けていけるのかを知っている。それが、まるで天の声とか宇宙の導きみたいな感じで降りてくる。

職場が居づらくなって、でも辞められない事情があり、延々と悩んで心身症にまでなった人が、あるとき何かの宣伝ポスターに「考えたってしようがない!」と書いてあるのを見て、あれこれ考えるのをやめて、仕事をやめてしまった、という話をしていたことがあった。その人にとっては、その宣伝ポスターが天の声のようなものだったのだ。それは、まるで天から降ってきたみたいに思えるわけだけれど、実は私たちの内にある6次元意識がどうすればいいかをちゃんと知っているからこそ、宣伝ポスターを見たときに、これだ、とわかるのだ。そういう風に、宣伝だとかある人の言葉だとか、そういうものが、内なる6次元意識からのメッセージだったりすることもある。

八方ふさがりになって、そこから抜けてきたというような経験は、誰でも一つや二つは持っているはずだ。そのときにどうやって抜けてきたのかを考えてみると、まったく予想もできなかったようなところを通っていっていることがわかると思う。何かが見えていたわけではなく、何となく直感的に選んだ道だったり、あるいは本当にどうにもならないから、こんなことでもとりあえずやっていようと思ってやっていたことが、意外な繋がりができていって、出口に繋がった、というようなことだったりする。

渦巻き状の迷路に入れられていたら、どこがどう繋がっているかわからなくても、とにかく行ける道を行けるとこまで行こうと思って進んでいったら、端までたどり着いて、急に視界が開ける。八方ふさがりの状況に陥って抜け出していくときというのは、まさにああいう感じだ。どうしようもないから、もう何でもいいからとにかく生きていこう、と思って進んでいくと、とつぜん可能性が開ける。それは、私たちの6次元意識が、地上の私たちを上から見ていて、導いていってくれているようなものなのだ。

それで、今、八方ふさがりの状態に陥っているという人に手を挙げてもらって、状況を話してもらい、それを皆で6次元意識を使って見てみることにした。家族で実家に戻ってきたら、実家の家族と折り合いが悪く、実家の家族が使う洗剤の化学物質アレルギーで、夜も眠れない状態が続いているという。アレルギーがあるから田舎で田んぼを作って暮らしたいのだけれど、家が見つからないで、とりあえず友達が経営しているマンションに引っ越してきたけれど、都会なので長くは暮らしていけないと言って、疲れ切っている様子だった。

それで、皆でその人のハイヤーセルフになったつもりで、6次元意識で上からその人の状況を見てみることにした。これは、チャネリングとかリーディングとか言われているようなことなのだけれど、実は誰にでもある知覚なのだ。しっかり身体の力が抜けていると、たとえ言葉とかイメージになって顕在意識化してこなくても、潜在意識ではちゃんと受け取っていて、何かを感じ取っている。それで、それぞれ見えてきたものを部分的でもいいからシェアしてもらった。

すると、その人が女神のような大きな存在として見えていて、風に吹きさらされているようなイメージが見えたと言った人がいた。今はまるで嵐の中にいるようだけれど、それによって過去のトラウマなどが洗い流されて、成長するということのようだった。それを経験するために、今は困難な状況に置かれているけれど、それが過ぎれば、望んでいる家はすでに用意されている、みたいなメッセージを受け取った人もいた。

誰か他の人のハイヤーセルフの視点でその人を見ると、誰でもすぐに無条件の愛の意識になれてしまうというところがある。そのワークをやっていたら、参加者の顔がまるで観音さまか仏さまみたいに、慈愛そのものの表情になっていた。神々しいとも言えるような顔つきだった。無条件の愛は、与えると同時に自分も受け取っているので、同時に自分も無上の愛に満たされる体験をする。これは、他の人にやった方が、実はうまくいくことが多いのだ。それというのも、私たちは、自分のことだと思うとつい遠慮してしまって受け取れないのだけれど、他の人だったら、いくらでも遠慮なく与えられるからだ。抱えている問題を解決しようとして、これまで何時間も座禅したりしてもできなかったことが、できてしまいましたと言っていた人もいた。

化学物質だとか、まわりの人間だとか、外の要素に自分が傷つけられるという感覚になっていて、振り回されている感じだから、グラウンディングして、大地と繋がったらいいのじゃないかということになり、皆でグラウンディングして、何でも恐れているものを無抵抗で受け止めるワークをやってみることにした。これは、「内なる闇を統合する」という公開魔法セッションでもやったのだけれど、身体の力を抜いて、完全に無抵抗になっていると、悪いものも通り抜けていくだけなのだ。それで、一発で肚がしっかり据わって、深くグラウンディングできてしまう。

まず、ルートチャクラが活性化するポイントの熊野のある磐座の画像を使って、そのエネルギーを遠隔で受け取って、ルートチャクラを開いてしっかりと大地に光の根っこを下ろすイメージを作った。それで、しっかりグラウンディングできたと思ったら、「何ものも私を傷つけることはできない」と言って、化学物質でも攻撃してくる人でも、闇政府でも何でも、それぞれ恐いと思っているものを無抵抗で受け止めるというのをやった。

そしてそのあとで、それぞれ自分自身のハイヤーセルフになったつもりで、宇宙から地上にいる自分を見て、自分の状況がどうなっているのかを見たり、どういう意味があってそうなっているのかとか、を見てみることにした。そのときに、地上にいる自分に向かって、「よくがんばっているね。ありがとう」と言ってみることにした。

このワークをやっているとき、時間軸が空間的に開いたという感覚が、大きなエネルギーのフィールドになって広がったのを感じた。6次元意識が集合意識的に開いたのだと思った。実際、参加者もほとんど皆6次元に意識が開けたらしく、世界が空間的に広がったのを感じたようだった。「このままで大丈夫なのだ」というよく言われるあのことを、リアルな感覚で感じた人が多かったようだった。それは、世界が平面的な状態から空間的に広がったとき、他の人や害になるものやらと、ぶつかるように見えて実はぶつからないのがわかる、というようなことなのだ。それぞれが好きなように自分の選んだ人生を生きていけるのだということを、空間的な意識として、感じることができる。

この感覚は、なかなか言葉には表しがたいのだけれど、言葉にするならば、「ああ、これでいいのかと思っていたけれど、本当にこれでいいんだ」とか「本当にすべてには意味があるんですね」とか「それぞれが経験したいからやっているんですね」とかいう言葉になる。それが、時間軸が空間的に開いて、6次元になったときの現実認識なのだ。だから、6次元になると、宇宙には無条件の愛しかないことがわかる。

このセミナーを始めたときは、本当に次元が開くのか確信があったわけではなくて、ぶっつけ本番で始めてしまったような具合だったのだけれど、毎回集合意識的にも次元が開いていくのが感じられた。それで最終回では、皆で6次元まで行くことができた。何だかもうその時が来ているという気がして、無我夢中でやっていたのだけれど、やっぱり本当にその時が来ていたということなのだと思う。

不思議なシンクロで人が入ってきたり、たまたまピッタリの例を出してくれる人が現れたり、いろいろなシンクロがあってこそ、うまくいったセミナーでもあった。だけど、6次元くらいまでが意識に入っていると、そういうことも不思議だとも思わなくなっていて、当然のことのように受け取っていたりする。しかし、その「当然だ」という感覚は、宇宙が無限の調和と愛でできていることを感じて、感謝と愛に満たされるような感覚なのだ。


グラウンディングするのに使った画像。熊野のおながみの森の磐座


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セミナーのライブストリームの録画は、こちらで見られます。
https://www.facebook.com/100000165488492/videos/268036882615487/

第4回 平面思考から立体思考へ

Posted by Chihiro Sato-Schuh on Thursday, August 3, 2023


セミナーで話が出た、ナノカプセルの香料の臭いを消すCDのリンクこちらです。


クロップサークル。立体になっていて、トーラスを表している。


2023年8月4日



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