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今日もまた、変な夢を見ている

正午に目が覚めて、急いでパソコンを開いている。ベットから足を出して、体を冷やしながら、まあ随分と寝ていたらしい。今日もまた、変な夢を見たのだ。

「焦り」

今日の夢をそう名付けよう。

暗くて巨大なプールが広がっていた。それはまるで水族館の水槽のようで、みんなが首まで水に浸かっている。水は少し濁り、嫌な匂いを漂わせていた。中には私の妹や知人の姿も見え、皆一同に何かを待ち続けている。自分の順番が来るのではないかとそわそわし、自分に割り振られた意味もない活字を頭に叩き込んでいるのである。テストのような何かかと思ったが、そこにはどことない恐怖が漂っていた。

(こうしてノートに文字を起こしている今この瞬間も、記憶が少しづつ薄れてきている。夢で見たものは、記憶の引き出しの一体どこに仕舞われているのだろうか。それとも、忘れられるように計算された空想なのか。忘れたくない夢もたくさんあったのに、もうほとんど覚えていない。悔しい。見たものにもきっと意味があると思うから、こうして文字にして残してしまえ、と思ったのである。)

私も含め、一同が焦っていた。私も何をしていたのかははっきりとは覚えてないのだが、きっと周りと同じように、何かが訪れるのを憂い、ひたすら画面、もしくは紙面に向かっていたのだと思う。

向こうの扉が開き、(水槽に扉などあるのだろうか)誰か背の高い人が入ってくる。全員が緊張している。しかし、その人は笑っていた。しかも、他の見知らぬ誰かを大勢引き連れて。するとさっきまで緊張で張り詰めていた周りの人々も徐々に和やかな雰囲気を取り戻していく。なぜ?私はまだこんなに焦っているのに。

妹とサヨナラをしなくてはならないことを、その瞬間察した。いかなる理由であれ、受け入れなくてはならないものであることも、わかった。そしてこの人達が誰で、何をしに来て、私たちは何に怯えていたのだろうか、その瞬間、虚無に包まれて私は逃げ出すのである。

逃げ出した先で、私はなぜかチャーハンを炒めている。大きな中華鍋の方が美味しくできるのだろうが、私が使っていたのは平たいフライパンだった。私が実際に使っているものと同じだった。少し安心した。

チャーハンももうすぐ出来上がる、というその瞬間。空からスズメが落ちてきたのである。なぜだ。なぜ今落ちてくる。もうすぐ出来上がるのに。スズメはすぐ退けてくれると思っていた。しかし、スズメはそこから動かぬままだった。足が鍋の熱に負け、くっついてしまったのである。最悪だった。

スズメを食べる国があるというのは知っている。そしてたかが、鳥である。そう思いたかった。

私は小さい頃、死んだスズメを見つけ、その美しい羽と対照的に、固く冷たくなった体に恐怖を覚えたことがある。背筋がキュンと冷え、すぐに掴んだ手を離した。その感触を今でも覚えている。スズメは可愛いが、死んだら恐怖そのものである。

吐きそうになるのをこらえ、急いで周りにどうしようかと相談した。周りの声は、覚えていない。ここでもまた、必死に焦っていたのだ。チャーハンなら「ごめんなさい」してしまえばいい。のはずが、夢の中の私は全く自分の脳とは異なる判断をしていた。スズメの入ったチャーハンを、そのままお皿に盛るのである。今でもゾッとする。意味がわからないが、これが夢の中の私であるとするならば、一生、絶対にここにいる私とは交わらないで欲しいと思う。必死こいて、夢の中の私を夢の中に放置させていただく。

この話を友達にしたところ、怖すぎる、と言われた。間違いない。できれば、忘れてしまいたいほどである。しかしここに書くと決めたのは、完全なるこちら側の私なので、仕方のないことかもしれない。夢は、完全なる自家生産、自家消費であるので、他人に見せるのはどこか恥ずかしく、そして彼らもまた、私の夢には不可侵なのである。だからこそ、たまには、自分で消化しきれないものを見た時、私のこのnoteに吐き出しておこうと思う。


現実と空想の隙間に入り込む、気味の悪い物語。いつか、この物語を共有できる時代が来るんだろうか。



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