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他人におやさしい方へ☆ご自身こそ、お先にお優しく☆
〖自分を優先すると、他人へ無条件の優しさが登場します〗
(ぜひ、お試しあれ、実体験しか味わえません)
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いつも、他人にお優しい、自分よりも他人を先に重んじるお方。
逆に、ご自分にお優しくできているか?とお伺いすると、
『自分にはあまり、、、出来ていないです。つい先に他人の人へと、、』
その繰り返しを無意識にしている、知らぬ間にしています。
わるいことではありません、むしろ良いことの枠に入ると思います。
ですが、ご自分の心の中を感じようとしたとき、
・心の不満、不快、疲労、疲弊を感じていることはありませんか?
そのようなことはありませんか?
・他人のことをお世話する、優先して関わると、自分が疲弊する、
心の疲労感、心の枯渇感を感じてしまう
・ご自分を優先⇒「わがままま」「自分勝手」と捉える発想がよぎってしまう
上記について、思い当たることがあるとき、
共依存(境界線がひけていない)の傾向があるかもしれません。
カンタンに言うと、自分のことは、ほっておいて。という言葉を敢えて使います。
自分を大切に扱わないで、他人をお世話しようと思う状態
(このような場合)
・人のお世話役にまわってしまう、人に気を遣う、そうしながら、
「心は快晴ではない」状態。
・なぜか、くすぶっている、曇りのよう。
・元気はあるけれど、元気がそこまでない(微妙な感覚)
・他人優先にした方が落ち着く
・自分優先は落ち着かない
・人に気を遣う、気疲れしてしまう傾向
《古い反応》
・自分を先に行うことは⇒「わがままだ、自分勝手だ」と思ってしまう。
・他人優先、他人のお世話をすることはよいことだ、美徳だ、いい人だ。
⇒親から褒められる、周りからいい人と言われるから、
もっとしようと思う。
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しかし、「共依存(境界線)」がある方にとっては、無意識で行うのですが、心は疲弊、苦痛、心が空回りという感触を味わう状態になりやすい傾向にあります。
共依存≠他人への思いやり
共依存から、お互いの個人個人を尊重する見方へ、シフトする。
他人の宿題(体験)を解いてあげることは、その本人の学び、体験、気づきん機会がなくなってしまう、残念なことにもなってしまいます。
見守ることも一つ、自力ですることも一つ。
ヘルプと言われたら、協力することも可能。
何も言われないで行うことは、共依存の傾向が登場していると
思うとよいでしょう。
この心がけのサジ加減が難しいのですが、毎回意識しながら、
取り組まれることで、だんだんと体感としてわかってくると
思います。
《自分を嬉しくさせる、満足させること、優先することで心の感じ方》
是非、実際に体験してみてください。
例)
・大好きなもの、ことを満足するまで好きなだけ食べてみる。
(他人にあげないで自分を優先してみる)
・その後に、他人におすそ分けするということを行ってみてください。
(満足後)
⇒実際に行うと、どんな感情が心に感じているか、体感されてみてください。
*ご自分を先に満足で満たすと、無条件に他人に奉仕しても、
心が既に充足しているので、心の疲弊、枯渇、不満が出にくい
今まで「わがまま」「自分勝手」だと思うことは、きっと、
自分を先に優先的に扱うことと、錯覚していたと思います。
実は、それは違うのです。
他人優先に出来る時、自覚なく無理して、ちょっとガマンして行う場合、
(控えめにする場合)
どこかで、なにか不満や、イラっと他人に感じた時、
「不快な感情、してやった感」が登場してくる。
その感情が表面に浮上した場合は、
「私は、自分にムリ(ガマン)して、他人を優先にしていたんだ」
と気づくこと。
そうすると、
次回は「自分の心を再確認して、納得のOKのときに、他人に何かしよう」と心がけるとよいでしょう。
(共依存は、心がけしても、何度も出てくるので、
意識しながら、自分の心を確認して行うことです、
ガマンしてたと気づけば、次回へ繋げればよいだけ。
ただ、それだけ。
出来た、出来ない、関係ないです。
心がけだけでOK
《自分を満足させればさせるほど、他人に優しくできる》
是非、体感されてみてください☆