見出し画像

〈ものおもい日記〉0822*生きることも、過ごすことも、恐怖の積み重ねだ。

最近、社会なんて見てられないくらい今の環境に食らいつくことに必死だったのが、ようやく手馴れた指先から社会を垣間見るようになってきた。

私がよく見ていたインフルエンサーが死んだ。
最近そんなことばかりで、この時期ってそうだよねと、生きるのって怖いよねと、改めて感じるようになった。

本当にたくさんの人の日常や人生や価値観を覗ける時代になってきたと同時に、こちら側も日常や人生や価値観を監視される時代になってきた。

あの子もこう思ってるんだ。
が救われる時もあれば、苦しくなる時もあって。

あの子がこうしているんだ。
が安心材料にも、不安材料にもなりうる。

あの子もこの子も頑張ってるんだ、と思ったら、自分ってなんて頑張れてないんだと落胆したり、焦ったりもする。

これだけ考えても、今生きている中でどれだけ他人の日常や人生を、自分の日常や人生の指標にしているのかがわかるし、
どれだけ他人に寄りかかって、他人を大勢見た中で平均値をはかろうとしているかわかる。

しかも垣間見れるような他人の日常や人生なんて、ある程度脚色されてて、超ハッピーか超アンハッピーでしかないから、はかれっこないのに、それでもそこからスタンダードを求めてしまうのが怖いところ。

頑張らなきゃ。私は他の子と比べてこうなんだから。

焦ると、不安になると、
「本当にそうなの?」というストップを自分でかけられなくなる。
正常に休むことも出来なくなってしまう。

脚色された他人を見続けて、比較し続けて、それを辞められなくって、自分を苦しめてしまう。

そんな構造におかれている今が怖い。

ただでさえ、ネットで覗き見しなくたって、比較対象が常にいて、評価され続けるのに。
いつまで自分に鞭打って、走り続けるの?

そんな世界を生き続けている。
「自分を大事に!」「心の休息を!」
だなんて言われたところで、そんなことを経験したことないのにできっこない。

世の中の流れに忠実で、求められていることに従順な良い子が馬鹿を見る。

悪い子になって、ようやく自分の声が聞こえて、自分を大事にできるようになってきたし、

誰かに色んな迷惑をかけられるようになって、やっと心穏やかに生きられるようになってきた。
それでも仮初にしか過ぎないと思う日々だ。

誰かに教えられてきたことが、自分の正解であるかなんてわからない。
そして教えられている段階では、正解も不正解もわからない。

私たちは、不正解を繰り返して正解へたどり着くしかないんだと思う。

不正解を恐れている、不正解になれば人生が終わる、そんな呪縛があればあるほど、
自分の正解、自分である感覚から、遠ざかっていく。

自分が良しと感じる方へ進めなくなってしまう。自分が悪しと感じている世界から抜け出せなくなってしまう。

1歩、恐怖へ足を踏み入れたら、何か変わるかもしれない。

生きることも、過ごすことも、私には恐怖だ。
少しばかりの安心を抱きしめなければ、前にはすすめない。

頭の中に希望を、嘘を、誰かを。

そうやって植え付けて、毎日を過ごしていく。
安心を手に入れるために、生きていく。
生きていくためなんだけれども。

生きることに恐怖を感じて、絶望して、
たたかいつかれて、あぁもうやめよって。

…安心というガード力、そもそも敵に出くわさない運、自信と愛とかっていうバフ。

デバフかかりすぎでは?

色々考えちゃうんだ、この時期、特にね。
何があったわけでもないんだけど。

希望となった人が死んでいった。
私の頭の中の安心が消えていった。

それでも生きていくのは、生きていくことを決めちゃったからだ。

最後まで読んでくださって、本当にうれしいです……♡もしよろしければサポートして頂けると、もっとうれしいです💕