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【アークナイツ】 画中人のアニメPV使用曲「Till the Wave Ends」と「拙山尽起図」――タイトルによる解釈の違いを考える

曲をもってシーの絵を疑似体験する。


※以下の文章は、アークナイツのイベントストーリー「画中人」のネタバレを含みます。また、曲などについての個人の解釈が多く含まれていますので大丈夫な方のみご覧ください。



はじめに:他人による改題とは何なのか

画中人のストーリーの中で、シーが描いて「拙山尽」と名付けた山水画をサガの住職様が「拙山尽起」と改めたというエピソードが出てきます。

今回はおもにアニメPV使用曲「Till the Wave Ends」について考えていきますが、上記の改題についてもあわせて考えさせられる部分がありました。

今回は曲のタイトルに特に注目して書いていますが、改題について(もくじを見ていただければ分かるように)中盤で触れるので少しだけ覚えておいてもらえればと思います。


「画中人」アニメPV使用曲を鑑賞する

この先を読む前に、まずは曲を聴いてみて下さい。聴かずに進むんでしまうと、あなたなりの解釈に少し迷うことになるかもしれません。

ここでは私の解釈を書いていますが、ストーリー内でシーが「どういう意味かは、見る人自身の解釈に拠るのよ。」と言っていたように、人によって作品に対しての感じ方は異なっていいんです。


PV曲のタイトル(英語)と中国語タイトルを比較する

さて、「Till the Wave Ends」という曲のタイトルですが、直訳で「波が終わるまで」という意味になります。

それに対して、中国語のタイトルは先ほどの動画画面の表示にもあるように「尽波澜」となっています。訳については、bilibili(大陸版)の動画と日本版の動画の曲紹介の文章から「波を尽くす」という意味になるようです。

日本版(上の動画と同じ) https://www.youtube.com/watch?v=L9Z3jCJlPOE&t=245s より

————

潑墨で山水を描き、走筆で波を尽くす。

風と月が収まり、雲と虹が散り、百年の夢を見た。

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大陸版(bilibili)より

破墨浣山海,走笔尽波澜。
风月收敛云霓散,一梦百年。

漢字の並びからこれら2つの動画の文章は同じことを表しており、「波を尽くす」=「尽波澜」だろうということが推測できます。
(※中国語の文法などが私にはよく分からないため、もしかするとタイトルの意味と異なる可能性もあるかもしれませんが、ここではこの曲紹介の文章の訳語「波を尽くす」で考えていきます)

「波を尽くす」という言葉の表すところをどう理解すればいいかは難しいところですが、例えば「~を尽くす」という形になる「力を尽くす」から考えると、「尽」には「あるだけのものを全部出しきって何かをする」というニ意味合いがあるように思います。

先ほど挙げた冒頭の曲動画に添えられた文章を読むと、シーが絵を描いている様子を表現しているように感じられるため、私は彼女が次々と波を懸命に描いている様子を「波を尽くす」と表しているのではないかと感じました。

ここで不思議に思ったのですが、同じ曲なのに英語と中国語の意味が異なる、もっと言うと逆のような気がしてきます。

英語「Till the Wave Ends」は暫定的に「波が終わるまで」という訳にしましたが、私の中ではこれが「波を尽くす」と同じタイトル(訳語)だとは思えないのです。

「波を尽くす」というタイトルでは波を生み出す原動力のようなものを感じますが、「波が終わるまで」だと、波の終わり、波が最後に消えていく瞬間を特に意識して付けたようなタイトルだと感じるのです。

「尽」の文字は「拙山尽起図」にも含まれる

ここまで来てお気づきの方もいるかと思いますが、ストーリーで出てきていた「拙山尽起図」という言葉の中にも「尽」の文字が含まれています。曲と絵のどちらもがシーと関わりが深いため、少し「尽」という言葉について考えてみたいと思います。

「拙山尽」と「拙山尽起」の中での「尽」の文字の使われ方を見ていきます。シーの絵画については作中でタイトルの意味が説明されていました。タイトルとその意味、そしてそこから「尽」の意味を抜き出すと次のようになります。

「拙山尽」:古拙な山が尽き途絶える ……つきる(尽きる)

「拙山尽起」:古拙な山が尽く起きる ……ことごとく(尽く)

このように、それぞれの「尽」の意味が異なっています。

また、大陸版曲タイトルを同様に並べると、

「尽波澜」:波を尽くす ……つくす(尽くす)

と、上の2つと違う使われ方をしています。

ちなみに、アニメPVでもラヴァの声で「尽(ことごと)く描く」というセリフがあるため、画中人ではいろいろな部分で「尽」の字をこだわって出してきているのだと思います。

「つきる」、「ことごとく」、そして「つくす」。「尽」にはいろいろな意味の言葉がありますが、この漢字はほかの漢字とは少し異なるのかもしれません。

説明が難しいのですが、たいていの漢字にはプラスのイメージとマイナスのイメージ、そしてどちらでもない中間のイメージというのがあると思います。

ですが、マイナスイメージが強い「つきる」、「ことごとく」(※失敗する など悪いことに使われることが多い)と、プラスイメージの強い「つくす」が同じ漢字で表現されるのです。

「尽」という漢字には、持っているものを可能な限り出し、後に何も残らないというニュアンスがあるそうです。この、持っているものを可能な限り出す部分がプラスのイメージ、後に何も残らないの部分がマイナスのイメージを抱かせるのだと思います。

これらのことを考えて、英語のタイトル「Till the Wave Ends」をあえて日本語で表すとすれば、「波が終わるまで」よりも「波が尽きるまで」としたほうがよさそうです。

また、プラスのイメージの強い「尽波澜」(波を尽くす)とマイナスイメージの強い「Till the Wave Ends(波が尽きるまで)」という2つのタイトルが「尽」という漢字によってつながっているのだとも感じられます。

曲の中の波 ≒ 絵の中の山 ではないか?

ストーリーを読んで「Till the Wave Ends」を聴いた方の多くは同じ疑問を抱いたのだと思いますが、なぜ突然「波」が題材として取り上げられたのでしょうか?そして、曲の中の「波」とは、なんのことなのでしょうか?

私の記憶違いでなければ、画中人のストーリー上、「波」というものはまったく出てこなかったと思います。そして、シーのテーマ曲とも言えるこの曲の映像中にも険しい山々やそこから流れ落ちる滝は見られるものの、波の部分はまったく存在しません。右下に家のようなものが小さく見えますが、あの辺りが川なのかもしれないというだけの描写になっています。山水画を描くからといって曲の題材にするのは少し不思議です。

これについて、曲と絵「拙山尽起図」に関係がありそうなことから、曲が絵と対になっていると考えてみるのはどうかと思います。要するに、波と山は同じようなものを表している要素があると捉えてみます。

「拙山尽起図」の中にも出てくる漢字の山は、「人生山あり谷あり」という表現があり、人生を山登りに例えることもあります。

これに対して波にも同じような言葉の使い方があり、波瀾万丈(波乱万丈)という表現があります。波瀾とはタイトルに使われている「尽波澜」の中の「波澜」とまったく同じ言葉だと思われるので、曲「Till the Wave Ends」の波とは人生の辛いことや苦しいことという荒波を含む、人が人生の中で乗り越えてきたさまざまな波を表現したものではないかと受け取ることができます。

また、絵を描く人(=シー)の側から考えると、中国の山水画に見られるようにそびえるように高い山々を描くのと、激しい波々(波瀾)を描くのは似た部分があるのではないかと思います。

「Till the Wave Ends」のもう一つのタイトル

突然ですが、あなたはこの曲「Till the Wave Ends」の作曲者であるAdam Gubmanのサイトを見たことがありますか?
(※2023.8.16修正 「Game Audio Studio」という下記のサイトに変更されていますが、下に説明している方法でもう一つのタイトルについて確認することができます)

実は、こちらでも「Till the Wave Ends」と同じ曲を聴くことができるのですが、なんとタイトルが異なっているんです。

上のURLからサイトへ行き、「WORK」の中の上から現在(2021.9.5)2番目に表示されている曲は「Arknights - Make Waves」と書かれています。「Arknights」はアークナイツ(ゲーム名)のことなので、曲のタイトルは「Make Waves」の部分になります。

聴いてみると分かりますが、曲は「Till the Wave Ends」とまったく同じでタイトルだけが違います。

同じ英語での、アークナイツ公式での曲タイトルと作曲者のサイトでの曲タイトルが異なる……これはどう考えればよいでしょうか?

画中人のシーの絵の「改題」を意識したのではないか

この先は私の想像ですが、この曲はアークナイツのゲーム制作側がタイトルを変えることを念頭に置いて作曲者に発注したのではないかと考えます。

日本語版や英語版をプレイする人の多くは、中国語よりも英語のほうが理解しやすいので、この「Till the Wave Ends(波が終わる(尽きる)まで)」というタイトルを見てそういう意味の曲だとしてこの曲を聴いたと思います。

でも、実際は「Make Waves(波を作る)」として作られた曲を聴いている……という不思議な体験をしたのかもしれません。

なお、「Till the Wave Ends(波が終わる(尽きる)まで)」はネガティブなイメージがありますが、「Make Waves(波を作る)」は波を作り出す、創造するということで非常にポジティブなイメージがあります。

これはストーリー中でシーが付けたマイナスのイメージを持つタイトル「拙山尽」が、サガの住職様の改題によってプラスのイメージを持つ「拙山尽起」となったのと逆のニュアンスとなっていて、改題に合わせて逆のイメージを想起させるようにわざとそうしたと考えるととても面白いことだと思います。

もう少し踏み込むと、シーの絵では絵を見る人であるサガの住職様による強い想いによってタイトルを「拙山尽」から「拙山尽起」へと変化させたということがうかがえました。

これに対して、曲のタイトルは見る人とは反対の位置にある作り手がタイトルを改題し、私たち曲を聴く側がそれぞれのタイトルで聴いたときにどう感じるのか、その違いはあるのかないのか、などを問いかけてきているように思います。

このように、絵と曲で対比させて複数のことがらを逆に持ってくる構成には非常に驚き、興味深いと感じました。


曲の鑑賞:音楽で波を描く

ここからは曲の内容について、言葉で書けることをできる範囲で書いていきたいと思います。

せっかくなので、もう一度曲を聴いてみましょう。


中国をイメージさせる楽器の音色にオーケストラを合わせたような楽器編成、技術の高そうな演奏に東洋の音階を一部使っていることなど聞き所の多いこの曲ですが、ここでは曲の中でどのように波を表現しているのかについて、私の気づいたことで大きく2つ挙げます。

1つ目は拍子、そして2つ目が繰り返されるメロディーの形です。


まず1つ目の拍子については、曲を聴く限り全体として主に6拍子、そして3分の1程度が5拍子で構成されているようです。

6拍子については、一般的に海や川、そしてその水でできる波の表現として3拍子や6拍子(厳密には3の倍数の拍子)や3連符が多く用いられているようです。

例を挙げると、「♪海は広いな~」の「海」や、パイレーツオブカリビアンのテーマ曲である「我こそが海賊」、クラシック音楽なら「モルダウの流れ」など。曲の印象はさまざまですが、どれも水に満たされた場所を舞台とした楽曲です。それらのリズムは、実際のイメージとしては水の動き、寄せては返す波や船の上で波によって上下するリズムに近いものがあるのだと思います。

このため、この曲での6拍子は波の表現の一環として使われているように思います。

5拍子については一般的に聴く機会が少ないですが、この曲の5拍子の部分は曲の中でも一番盛り上がるところで歌ものでいうサビの部分のように印象に残りやすいフレーズ(動画 0:58~1:30)があります。そして、始めの6拍子から5拍子に変化する(動画 0:58)ことは一波と次に来る波との間隔が狭くなる、荒波の迫る様子を表しているようにも思えます。

なお、そのあと曲の中で5拍子が続く中で一小節だけ6拍子(動画1:35~1:37)を挟んだり、その後一旦静かになり6拍子に変わる(動画1:47)のは曲の流れもあって波が徐々におだやかになるかのようです。それ以降も中盤に5拍子が再度登場し、6拍子に戻り終わりに向かいます。

2つ目の繰り返されるメロディーの形については、楽譜を使ってではありますが実際に絵のように「見て」いきます。

印象に残りやすいフレーズを2か所挙げますが、まずは出だしの笛のフレーズ(動画0:03~0:11)。(※テンポはおよその数字です)

画中人の曲 主題

このフレーズは、曲を最後まで聴く中で何度も繰り返されるのでもっとも印象に残ると思います。この譜面の直後のフレーズと合わせた部分が、厳密には少しずつ形を変えながら動画0:28~0:58、2:53~3:12、3:28~3:55とかなり長い区間で使われています。

楽譜が読めない、苦手といった方もいるかと思いますが気にしなくて大丈夫です。この音符の並びを読むのではなく、「見て」みましょう。

画中人の曲 主題の波

イメージしやすいように、ラフにではありますが音符を音の鳴る順につなぎ、下の部分に色をつけてみました。この「絵」を見ると、メロディーが波の形をしているように見ることができるのではないでしょうか。(ちょっと離れて見ると分かりやすいかと思います)

なお、厳密には完璧に音符の幅が時間と対応していないのですが、おおまかにイメージするには問題ないと思います。

もう1か所、歌ものでいうサビに相当すると思われる5拍子の部分(動画0:58~1:05)も見ていきましょう。

画中人の曲 サビ1
画中人の曲 サビ2

noteに不慣れなため表示位置が少し変ですが、上と下の楽譜はつながっています。

これも先ほどと同じように音符に線と色をつけてみます。

画中人の曲 サビ1の波
画中人の曲 サビ2の波

波の形として大きく①と②に分かれることが見えます。

①について、休符の部分も色を塗っていますが8分休符の部分はなくてもいいかもしれません。かなり演奏が速い(32分音符が使われている)ため聴いていると一瞬ですが、波の形としては体裁を保っているように見えます。なお、音を聞いて想像すると波が強く打ち付けている様子が浮かびます。

②では波の高さは一気に落ちていますが、揺れながらもどんどんと上に昇っていっています。このあと①のフレーズに戻る(1:05~1:08)のですが、②の最後の音符の音が①の出だしの音と同じなので、うねる波が低いところからせり上がっていき高波になるまでの様子で、①の波につながるかのようです。

波を「絵」として見てみましたが、これは、現在作曲する際に一般的に用いられるDTM(Desk Top Music=デスクトップミュージック)ソフトの編集画面でも同じような光景が見られます。カラオケによく行く方は、映像に表示できる音程などの採点の映像(「音程バー」というそうです)になじみがあるかもしれませんが、そのように音が棒で表されます。

楽譜を筆で描くということに焦点を当てると、私の見てきた中では日本の詩吟の唄のもので、西洋の五線譜と同じような横線に歌詞と合わせて筆で描くように記されているものがあります。(※なお、ネットで検索すると手書きではなく棒線で書かれているものが多く見られます)

このように、拍子と繰り返されるメロディーの形の両方で波を表現したのが「Till the Wave Ends」、原タイトル「Make Waves」なのではないでしょうか。

作曲者にとっては曲を「作る」のだから、「Make Waves」=波を作る という原タイトルはとても合っていると思います。Adam Gubmanさんはまるでシーのように波をメロディーによって描いてみせたのかもしれません。


シーのテーマ曲としての解釈

この曲をシーと深い関わりがあるとしてどのような曲ととらえるか考えると、シーが見てきた人の一生に向かい合って描いた絵を表現しているのだと思います。それはレイなのかもしれませんし、そのほかの人なのかもしれません。サガもいくつも絵の世界があると言っていたので、長く生きている様子のシーがほかの人を想って描いた絵があっても不思議はないと思います。

ストーリー内では私たちはシーの絵の中を探索しましたが、その絵自体を見ることはできませんでした。ですが、この曲からは彼女がそれを描いている様子を感じることも、描かれた絵を想像することもできるのではないでしょうか。そしてそれは、曲の動画の曲紹介に書かれている文章が表す内容と同じような気がします。


曲鑑賞のおまけ:ドビュッシーの「海」

おまけとして、似た要素のあるオーケストラ曲を1つ紹介します。

ドビュッシーの「海」です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)#%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E6%A7%8B%E6%88%90

オーケストラの楽譜(スコア)表紙には上の画像でも使われているとおり、葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」という大波の左側が使われているようです。

3楽章あるうち、第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」が3の倍数の拍子や3連符が多く用いられています。全体的にゆったりとした曲ですが一部で東洋の音階が使われているように聞こえるなど、西洋音楽であるにも関わらず雰囲気の似ている部分があります。

一部はWipipedia内に譜面が書き出されているので、曲を聴きながら音符の並びの形を比較してみるのも面白いかもしれません。





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