【アークナイツ】比較考察 「ドッソレスホリデー」のテキーラとFF10のティーダ、ドッソレスと夢のザナルカンド
子は親の信念やその世界での役割を受け継ぐべきなのか?
※注意事項※
こちらはアークナイツ イベント「ドッソレスホリデー」とファイナルファンタジーX(FF10)のストーリーや要素を比較した上での考察となります。
真面目に書いていますが、こういったものが苦手な方は閲覧を避けてください。
また、FF10の核心的なネタバレを多く含んでいます。
アークナイツの内容も、ストーリーやオペレーターの昇進記録などの内容に触れているので、大丈夫な方のみご覧ください。
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ドッソレスホリデー。
今回の考察のはじまりは、テキーラのイラストを見ていてFF10のティーダを思い出したからです。
テキーラとティーダは似てる?
テキーラのイラストを大陸版情報で見たときから思っていたことですが、テキーラの昇進2絵って「FFX シナリオアルティマニア」(攻略本)の表紙に載っているティーダと似てませんか?
テキーラの昇進2絵
ファイナルファンタジーX シナリオアルティマニア(※↓は参照のためのAmazonからのリンク)
海と青い空の背景に、向いている方向(これはなんとなく)。
金髪(テキーラは黄色?の髪)に服装の配色には白・黄・青が使われ、スポーティーな格好。
持っている剣は波やその水をモチーフとしているようです。
また、テキーラは白いフードをかぶっていますが、上の攻略本のイメージ画像では分かりにくいながら、ティーダのほうも白いフードがついている服です。
「テキーラ」と「ティーダ」という名前の発音も似ているような気がしますし、いろいろな部分で2人はかなり似ているのではないかと感じました。
父からの継承と自立の物語
ここからは両者のストーリーにも触れていきます。
ドッソレスホリデーでは、チェンとリン・ユーシャをはじめとして「親世代の世界での役割を自分たちはどこまで引き継ぐべきなのか?」というような問いかけがなされていました。
テキーラは、ストーリー内で父パンチョとカンデラ市長の2人のどちらが正しいと思えるか悩んでいる中で父の計画に協力していました。
彼は、ボリバルの苦しみを糧に育つドッソレスが憎い父の思いもよく分かるが、現実的にはカンデラの作り上げたドッソレスは人々が比較的平穏に暮らす場所のあり方としていいのかもしれない、などと本当は思っていました。
そんな中での父への協力は、父の意志を尊重しつつも、子としての精神的な自立の最終段階を感じさせるものでした。
親に対する子の複雑な心境というのは、ティーダも同じでした。
シンを倒す一行となったのに自身がシンとなってしまった父ジェクトと、父がいなくなった約10年後にアーロンとシンに導かれ同じようにシンを倒す一行に参加したティーダ。
「引き継ぐ」というFF10にもあるテーマではないかと思いますが、それとは反対に最後には父を倒すという象徴的な出来事もあります。
また、継承と精神的自立というのは、ユーシャも本ストーリー内でのテーマとされてきたように感じました。
ドッソレスと夢のザナルカンド
「享楽の都市ドッソレス」。これは勲章名にもなっています。
「享楽」とは「思いのままに快楽を味わうこと」(goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BA%AB%E6%A5%BD/)ですが、ドッソレスにほかのボリバルから来る人々は、ボリバルの戦争という現実から逃避しているように見えます。
一方、FF10の「夢のザナルカンド」は、1000年前にザナルカンドが滅びに直面した際に、召喚士エボンが生き残った民を祈り子に換え今もなお召喚し続けている夢のような(=嫌なことの除かれた)都市とされています。
この2つの存在も、どこか似ているように感じます。
今のカンデラ市長が作り上げたドッソレスは、今のボリバルの戦争を利用し戦争下の人々をさらに苦しめているようです。
夢のザナルカンドは、安全に召喚するためにシンによって現在もスピラの住民を苦しめています。
都市の発展する前からすでにあった戦争と、都市を形作るのを安定させるために生み出されたシンという順序の違いこそありますが、都市の中には楽園を作り、外側には人々の苦しみがあるのは共通しています。
そんな世界の変化を求めるのか?
それとも現状維持を求めるのか?
これも、ストーリー中に出てきたドッソレスとFF10の世界の中にある選択肢です。
また、そのようなことを考えながらカンデラ市長のイラストを見ていると、髪の分け方、顔立ちなどがどことなくユウナレスカに似ているような気がします。
でも、彼女たちのストーリー内での立ち位置は少し異なるようです。
このあたりについては整理できなかったので省略しますが、FF10アルティマニアΩ(オメガ)を持っている方は読み直してそのあたりの違いにも着目してみると面白いと思います。
終わりに:自分の「物語」を歩む
もともとは夢のザナルカンドにいたが絶望とまやかしの希望の世界スピラに来たティーダと、ドッソレスに来るまではボリバルの戦争に巻き込まれていたテキーラ。
彼らは似ている部分が多いですが、そういった出身の背景を含めてどこか対照的な存在にも見えました。
途中で挙げた「親世代の世界での役割を自分たちはどこまで引き継ぐべきなのか?」という問いに対する答えは、人によっても違うし頭の痛い問題でもあります。
それでも、その答えはその人それぞれが苦しみながらも真剣に考え、行動することでしか見つけることはできないのでしょう。
ところで、ティーダには「これが俺の物語だ!」という終盤のセリフがあります。
この「物語」とは、自分が物語の主人公であり、どんなに辛くても親でもなくほかの人でもない自分自身の意志によって生き様、進む道を決める、そして決めたことでできる「人生」のことを表しています。
テキーラのプロファイルにある昇進資料には、
「考え続けることができるというのは、非常に得がたく尊ぶべき資質である。」
「この若者は、今や自身が前世代の意志と支配から脱したと確信し、新たな行き先を見つけようとしている。」
とあります。
ロドスに来たテキーラは、考え続けることで人生をどう進むか自分の意志で決めようとしているということでしょう。
彼はきっと、「彼の物語」を歩んでいきます。
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