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野望

こんにちは。

 最近上司に教わったのですが、「目標」を軸としてもつこと、発信すること、文字や絵として目に見える形にすることは、日々の中で、仕事に対しての向き合い方や一日一日の後押しにつながる大きな指針になると教えていただきました、確かに、日々の仕事の中(最近は失敗も多くへこたれ気味なので)で忘れてしまいがちなのですが、私の「目標」は高校入学時から大きくはぶれておらず、このまま自分で掲げたものに向けて、突き進みたい。そう強く感じます。

 今日は改めて整理してみようと思い、仕事帰り、ちょっと贅沢にカフェに寄り、ずっと気になっていた宇治抹茶ラテを飲みながら考えます。私も社会人として二年生になったのですが、責任のある仕事を任せていただいて張り切ったものの、まだまだ知識不足や経験不足を痛感する日々でうまくいかない試行錯誤の毎日です。私はいま仙台の工務店で住宅・暮らしをつくる仕事をしています。住宅といえど業務は想像以上に多岐にわたり、まだまだ覚えなくちゃいけないことが山ほどあるのですが、立ち戻って考えてみるとやっぱり自分の「目標」ととても近い環境の中で働かせていただいています。

 では、私の「目標」とは何なのでしょうか。

 私の祖父は地元、日光の歴史あるホテル、「金谷ホテル」の従業員でした。そこで外国人観光客に対して日光の案内に尽力していたり、町の人々のために寺子屋のような塾を開いていたり、とにかく「日光」が好きで、自分の町を誇りに思っている姿がとてもかっこよく、私も町を愛し行動に移す人間になりたいと密かに思っていました。

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 ↑金谷ホテル 

  私が高校一年生のとき祖父が他界してから、その想いはさらに強くなり、自分なりに一生懸命に勉強したのですが、目指していた地元の国立大学には行けず、、、結果、大学の期間だけ地元を離れ、学ぶのも手だなと思い、仙台のまちづくりやデザインが専攻の大学に入学しました。大学に入学して、はじめは周りと比べて自分の劣等さとなれない環境の中でうまく馴染めず、挫折しかけていたのですが、大学三年生のころ、ずっと学びたかった教授の研究室に奇跡的に入れていただけることになってから、教授や研究室の仲間のおかげでどんどん建築が楽しくなっていきました。

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 あちこちの建築を巡礼するようになり、同時に自分が好きな建築がどんなもので、そのような建築を深く知るたびに、日光にもこんな建物が増やせたらなあという考えになります。

 そうこうしているうちにもう就活です。結果として働くことの現実を知る中ですごくすごく頭を悩ませましたが、自分が本当に好きだ!日光に広めたい!と思う住宅をつくる会社に就職しました。今、2年目になり、辛く悔しいこともたくさんありますが、携わっている住宅が好きな気持ちと日光に広めたいと想いは全く変わっていません。

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 このような建物を日光で広めたい!という理論的なものはたくさんあるのですが、そのプレゼンはもうちょっと成長してからにさせてください(笑)自分の目標・野望に向けて、これからも進んでいきたい。そう思うのと同時にその前に!今の会社の多くの上司や職人さん、お客さんにいろんなことを教えてもらっています。その人たちにしっかり恩送りをしてから日光に帰ります。

 以上!だらだらと今の野望を文にしました。最後まで読んでいただきありがとうございます!!

NPO法人日光門前まちづくりnote部|宮崎千遥

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