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抉られランキングを降りる

私だってもっとつらい

そう叫びたい人たちが、大勢いる。
大勢いるけど、みんな自分が一番酷い目にあってると思いながら、一方で自分より酷い目の人はいるよね、とも考える。
比較の中で、ゆらゆらしている。

先日知っている人が死んだ。
コロナじゃない、終わりの近いことがわかっている人だった。
そんな人たちは今も世界中で、医療ベッドの中で暮らしているんだろう。

その苦しみは、比較できるのか。
その悲しみは、嘆きや悔いは、身近な感染者を亡くすよりマシなのか。

それでも、私はつらい

みんなつらいんだから、という言葉が地元で聞かれたのは、まだ2年前だ。
この国は毎年の勢いで、どこかの地域が被災する。
世界から祈られた大震災だって、たった9年前。
みんな、自分こそつらい、と、他人こそもっとつらい、を行き来して、陽性の発破にまた抉られて。

あなたのつらさは、軽いのか。
今日も誰かに抉られて流されて、自分史上世界一しんどいのに。

認めてしまおう。
私はつらい。
私が、つらいのだ、と。

抉られランキングから降りよう

つらさや悲しさは、外に出るまで理解されない。
ようやく外に出てきても、『自分のほうがつらい』と言われたら、気持ちの持っていきようがない。

あいつらより私のほうが絶対つらいのに、毎日抉られてるのに!

……なんて考えだしたら、本当に危険だ。それこそ、専門的な医療が必要な状態になってしまう。
だって、どんなつらさが上で、どんな悲しさが下かなんて、理屈で決められるものじゃない。倫理や宗教でも決めようがない。

だから、降りよう。
抉り抉られがどうしても繰り返す日々の中で、余裕のない頭が出し続ける、世界抉られランキングから降りよう。

彼らより抉られてるからつらいんじゃない。

私が、ただ、つらいんだ。


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