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自分を大事にする

実は、心療内科を1回変えたことがある。
というのも、最初にいったときは本当に突発的に「これは病院や!」と思い立って、一番家から近くてすぐに見てもらえるところで探した。
それまで全く知らなかったのだけど、心療内科とかメンタルクリニックってすぐに診察してもらえないところがものすごく多い。だから、通いやすいとか云々ではなくて、今日診察してくれるところ、で選ぶしかなかった。

最初にいった病院は、たぶん界隈ではすごく有名なところで、当日でもOKですよ~という感じだった。保険診療だったけど、正直「こんなにするの!?」と度肝を抜かれる金額だったのをよく覚えている。そこでは、何故か病名等の診断もなく、休職等についての言及もなく、ぶっちゃけおじいちゃん先生がモソモソと喋っているのが全く聞き取れず(コロナの影響もあって、診察室のドアがフルオープンで待合室のBGMやざわめきが入ってきてたからというのもあると思う)、早い段階から面倒になってしまってとりあえず「はいはい」を繰り返してた。(だから、何も診断されなかったんだろうなぁ…)
診察は5分10分で、心理テストの診断結果を聞いたりするだけで、薬以外の治療?はカウンセリングにて行うようだった。(そして、そのカウンセリングは自由診療扱いで、ここも金額に度肝を抜かれた…)

結局、ここの病院はおじいちゃん先生との相性もあって、2回の診療と1回のカウンセリングしか受けなかったのだけど、この1回のカウンセリングが自分と向き合うきっかけになってくれた。

その普通って、なに?

診察はおじいちゃん先生の言葉がほぼ聞き取れない状態だったけど、カウンセリングはきちんとした個室で実施したせいか、とてもよかった。
これまでも考えることや物事を整理するのは嫌いじゃないので、一人で悶々と考えてきたけれど、カウンセラーさんとの対話はそれの比じゃなかった。

当時の私は「これまでみたいに普通に仕事ができるようになりたい」という思いがものすごく強かったのだけど、カウンセラーさんに「普通ってどれくらい?」って聞かれて、全く回答ができなかった。
でも、普通くらいに仕事ができるってあるじゃん?でも、その普通ってなんだ??今の私って、自分でも業務量がはちゃめちゃに多いって思ってて、それでもちゃんと結果を残したいって思ってて、でもそれは今の仕事量じゃ難しいよねぇっていうのも分かってた。ということは、今の環境で「普通に仕事できるようになる」のはそもそも無理なんじゃ…?
というところまで、対話スタートから5分10分くらいで連れて行ってもらった。
結局、「普通に仕事ができるように」ではなく「自分に仕事を振ってくる人たちに認めさせたい、認められたい」ていう、周囲からの評価と自分自身の評価を混同してるのがよくなさそう、という感じに一旦着地した。
カウンセラーさんに「いいのよ、無理言われたら『これが終わったらやってやるからちょっと黙って待っとけ』くらいに思ったり言ったりして」ってカラカラと笑われたときは正直「そんな評価が下がるようなこと言えるか」と思ったけど、しょうがないんだよね。できないもんはできないんだから。
「普通」ってすごく曖昧で、その環境の平均くらい程度のものでしかないのにそこにしかフォーカスが当たらなくて、しんどかったんだなぁ。
会社の評価は、当然いわゆる評価者が行うものだから、ある程度「期待に応えたい」みたいなものは必要になるんだろうけど、それはその評価者が課している課題設定が適切である前提があるよね、と今は思えるくらいまで図太くなりました。

このカウンセリングを通して、私はすごく「普通であること」にこだわりが強いんだなぁ、と痛感した。
私の中の普通って、平均点よりちょっと上くらいのイメージで(なんでか、その辺が中央値かなって思ってる)常にそこを目指したいし、そこにいたいって思ってた。そこって、人がたくさんいるし、人がたくさんいるってことは、それだけ評価されてるってことでもあるよねって思ってた。(それ自体は間違ってないと思うんだけど)
けど、その評価がイコールで自分の評価ではないし、それを自分の基準にする必要はないんだよねってことに、気付かされた。
これまでは、自分の「OK」とか「NG」って思える基準が自分になかったから、常に人と一緒にいたかったし、誰かが「OK」ってしてることを基準に見てしまっていた。だから、仕事も自分が「こうだろ」って思うことを軸に周囲に働きかけられなかったし、周囲の「これくらいできるはず」で潰れてしまった。よかったんだよ、「いや、これ無理でしょ」ってもっと言って。

自分が幸せになる基準を見つける

仕事だけじゃなくて、プライベートでも周囲の基準を自分の基準にしてることが少なくなかった。だから、土日は常に誰かと遊んでいたかったし、一人で家で過ごすのがすごく苦手だと思ってた。
誰かといると感情がガンガン刺激されるし、あんまり努力しなくても楽しいことが手元に届いちゃう。友達が「いいねー」って言ってると自分も「いいねー」って思った気がしちゃえて安心した。
自宅で一人でいると、ぼんやりしてるかお昼寝してるか、ぼんやり動画見たりするくらいしかなくて、価値がなさそうな時間の使い方をしちゃうなぁって思っていた。だから、一人は苦手だと思ってた。
けど、休職したこともあって、一回そんな怠惰な生活を許してみたら割と私はそれを楽しんでいたらしいことが分かった。そしたら、無理に出かける必要もなくなったし、好きなときに一人で楽しめる趣味の時間を持つことができた。
そうすると、段々友達と会いたくもなってきて、一人とみんなのバランスが見え始める。一人のときの発見を共感してもらえたら嬉しいし、怠惰なだけだった一人の時間も、趣味をやりたいなぁと、思えば生活リズムもちょっと変わった。週末でも、早めに寝て平日と同じくらいに起きるとお休みの1日が長くて、得した気持ちになることも発見した。逆に、遅くまで友達とオンラインで繋がっておしゃべりした翌日の寝坊の贅沢さも楽しい。

たぶん、他の人達はみんなとっくに発見して体験してることなんだと思う。「自分が幸せになる基準」を持って生活していくこと。
私はちょっと人より時間がかかったけど、その分その楽しさを当たり前に思うのではなくて、実感できているのかもしれない。

おいしくお酒飲みます!ビール!