溜息で逃げた幸せは何処へ行く

今、僕は時間を潰さないといけません。
というのも、勘違いをしていて1時間前行動をしてしまっていたから、はぁ。
その上、電車で移動中に凄い雨が降ってきたので駅のコンビニで傘を買ったのに、階段を降りて改札を出るまでの数十秒でぴたりと止んでいたり、はぁ。
今の気分はブルーです。関係ないけど今日のマスクはグレーです。

いつもはカバンに入れている臨床心理学の本も今日だけたまたま持っていなくて、暇を潰す道具もこの薄い端末だけ。

なのでnoteを書き始めました。
伝えたい内容も特に決めていないので、とりあえず小学生の頃に考えた"溜息の神様"の話でもしようかと思います。

きっかけ

10歳頃の僕はある日、授業中にふと気になりました。
「溜息をつくと幸せが逃げると言うけれど、逃げた幸せはどこへ行くんだろう?」と。

当時の僕は溜息を着くことを全く悪いことに感じていなかったので、
①溜息で幸せは逃げる(溜息をついた人から失われる)
②しかしそれは、悪いことではない。
の2つを満たすいいシステムはないかと考えます。

そして

小学生の僕が創りあげた溜息で人類の幸せを管理するシステム。
この発想は
③人によって、状況によって何を幸せと思うかは違う
が加わる事で完成しました。

ざっくりと説明すると、

Aさんが溜息をついて幸せが逃げる
(この幸せは今のAさんには合わないものだった)

その幸せを神様が捕まえておく

捕まえた幸せを欲してる人がいたらその人に届ける
(届け先は他の誰かかもしれないし、未来のAさんかもしれない)

これを全人類を相手に行うことで様々な人の、その人の現状に合わない幸せを回収して、より適した人に幸福を届けるシステムを、当時の僕は"溜息の神様"と名付けました。

いま思うと

子供の頃から心が弱く、精神的なことが要因で平衡感覚を失ったり身体が硬直して何日も動くのが辛かったり、小学生の頃から自殺への興味が大きかった僕の「溜息を使って僕の幸せを代わりに誰かに届けたい」そんな気持ちの現れだったと思います。

今の僕は、今回テーマにした「溜息をつくと幸せが逃げる」の逃げてしまう幸せは、本人のものではなく周りの人の幸せだと思っています。
溜息をつくことで周りに与える影響は、どこの文化でも悪いようなイメージがありますし。
なので小学生の僕が考えた①は今は肯定出来ないし②は本人にとっては気分転換のきっかけになったりして悪くなくても、周りを考えると悪くないとは言いきれません。
また、科学に生きたい人間なので神や霊、占いといった類も娯楽としての楽しみはありますが信じてはいません。

ただ、こういった認識できない何かを考える、あてはめたいシステムを構想するのは時間つぶしには最適かなと思うし、肯定できないから、信じていないからと言って"溜息の神様"の考えが嫌いなわけでもありません。いい思い出でもあります。

以上

僕の暇潰しに最後までお付き合い頂きありがとうございました。
PS.コンテスト用の再掲です

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