いつか思い出す空の下|ミュージカル忍たま乱太郎 第12弾 感想

【まずはじめに】
12弾再演の感想ではなく12弾の感想まとめです。
初演の話も再演の話もちょろっとですが学園祭の話もします。あと突然10弾11弾の話もします。
ほぼふせったーやらもくりやらで垂れ流していたことの再掲なので基本的に脈絡がない。

⚠書いた人は12弾が大好きなので基本的には12弾良かった!という話ですが、褒め100%ではないです。褒めしか見たくない人は読まないでください。

⚠12弾も名前が大事な話なので、大変わかりにくいと思いますが「夜霧」「土井先生」「半助」は意図して使い分けています。「夜霧」であり「土井先生」でもあるみたいなニュアンスの時は便宜上「半助」と呼びます。

1. ここが特に好きだよ12弾

結論から言うと、私が12弾でいちばん好きなシーンは初演クライマックスの「鵺さま……!」で、次点でラストの「曇鬼! 楽しかったよ!」なのですが。
何が好きって、どちらも他者が理解したり納得したり共感したりすることは困難で、けど本人にとっては大事な、当人にしかわからない感情がこれでもかとこめられているのが好き。

まあ普段から私の感想を読んでくださってる方にはこの話するの何回目!?って感じだと思うのですが、したいのでします。

クライマックスの「鵺さま……!」と最後の土井先生のお辞儀、まあ初演初日は私もいまいち腑に落ちきらずもや……が残った部分もあり。
きり丸達を人質に取られた相手に対してお辞儀……?
いくら最終的には庇ってくれたからってそんなことある……?
というか庇ってくれるのもよくわからんな……いや名前で呼んでるあたり情があったのはわかるけど……
とぐるっぐるしていたわけですが、「曇鬼! 楽しかったよ!」に先輩達がちょっとびっくりしてくれていたおかげではっとしまして……

これ、我々は乱太郎が学園で曇鬼と過ごした時間を一部垣間見ているので、再び刃を向け合う関係に戻ったあのタイミングであの発言になる理由が理解できるし納得できるけど、先輩達からすると

【過去の経験】
ドクダミ城に行っていたため知らない

【感情】
上述の通りなのでわからない、想像するしかない

【行動】
ここだけ見ている状態

なのでそりゃあびっくりもするわと思うんですね。
……で、これって我々も鵺さまと半助に関しては、あのシーンの先輩達と同じ体験してるのでは?

【過去の経験】
ほんの一欠片しか知らない

【感情】
上述の通りなのでほぼわからない、想像するしかない

【行動】
ほとんどここだけ観ている状態

なので行動にいまいち納得しきれないのは先輩達と同様に当然なんですよね。
そういう意味で再演の滝の「(土井先生が抜け忍になった)本当の理由はわからない」はあまりにも真理で最高。
わからなくて当たり前なんですよ。所詮は他人(あえてこう言う)なので。その人の一部を知っているからといって全て理解することなんてできないし、ましてや12弾は、鵺さまのことを一切知らない学園勢と我々(オタク)、土井先生のことを一切知らない鵺さま、夜霧のことを一切知らない学園勢と我々、というところからスタートしているので。

ただ、「鵺さま……!」にこめられたたくさんの思いが全部はわからなくても、「夜霧は死んだ」に対する答えが「鵺さま……!」だったというそのこと自体が私はとっても好きで。
前述の通り、鵺さまにとっての半助って夜霧なわけだけど、でも今の半助は土井先生として強く生きていて、きっとこれからもそうで。鵺さまもそのことを土井先生の「強くありなさい」で改めて突きつけられていて。
だから半助と鵺さまの人生は今後絶対に交わることができないというか、鵺さま自身に交わる気がないからこそ「夜霧は死んだ」だったのだと思います。
だけどそこで、半助が土井先生として生きつつも鵺さまの名前を呼ぶことで「夜霧の存在を否定しない、あなたとの過去をなかったことにはしないしさせない」と答えているように、そして最後にそれが伝わったから鵺さまももう一度「夜霧」と呼んだように感じられてしまい……
特に初演は「鵺さまへの恩を忘れたことは一日たりともない!」という台詞がない分、ここの爆発力がものすごいんですよね。

半助の感情は半助だけのものだし、鵺さまの感情は鵺さまだけのものなので、他人が納得しきれなくてもその気持ちは本物だったはずで。
もう二度と会うことのないふたりの、最後の一瞬の心の触れ合いがとにかく美しいなと思ったし、その美しさを大事に扱ってくれたのがとっても好きだったな……という話でした。
人間は多かれ少なかれ矛盾を抱えた生き物だし、正しいことが美しいこととは限らないと思うので。

【蛇足】
ここでもう一度「曇鬼! 楽しかったよ!」の話をすると、先輩達、ちょっとびっくりはしたものの最後には納得して、笑顔を浮かべたり手を振る様子も見られるのがさらに良い。
ものすごく当たり前の話なんですが、我々⇔鵺さま・半助と六年生⇔一年生・曇鬼では過ごした時間が違うので。積み重ねてきた時間の重み……

鵺さま⇔土井先生は、前述の通りたった一言にこめられた思いの大きさだったり、その一言でやっと思いが通じるのが良さだと思うのですが、一方で再演滝の「本当の理由はわからない」に対して文次郎が「あとで直接聞いてみよう」って答える(でも聞かない)のもめちゃくちゃ良くて。
それを言える文次郎(筆頭に学園勢)⇔土井先生と、鵺さま⇔土井先生の対比がむごくて最高。
聞けるけど聞かない、と聞けない、は全然違うので……

2. ここが良かったよ再演の六年

六年生の話をします。
六年生の描写、再演で丁寧にやってくれてシンプルに良かったなあと。

【良かったポイント3つ】
💮文次郎は人の頑張りはちゃんと認めてくれる人だよっていうのが描かれていたこと
💮六年生それぞれが後輩の教育に責任を持った先輩として描かれていたこと
💮六年い組が、六年い組という枠の中に留まらず「六年生の中の六年い組」として描かれていたこと

💮文次郎は人の頑張りはちゃんと認めてくれる人だよっていうのが描かれていて良かった

まず何よりも、文次郎は頑張ってる人のことはちゃんと認めてくれるし具体的なアドバイスをしてくれる人だよってのをちゃんと描いてもらえたことが良かったなあと。

この話をするには文次郎が苛ついてる理由が初演よりわかりやすくなってて良かった💮という話を先にしなくてはいけないのですが、

文次郎がなんであんなに苛ついてたかっていうのは初演でも半分は本人が言ってますね。
①ドクタケだから
つまり信用できないと。それは本当にそう。

で、残り半分はやはり初演から小平太が解説してくれてて「ドクタケがちゃんとやってくれないから」なんですが、文次郎というか六い目線で「ちゃんとやってくれない」を分解すると、これは同じチームになった曇鬼の話になりますが
②信頼に値する実力がみえない(これは見れば誰でもわかる)
③にも関わらず頑張る姿勢というかやる気もみられない

で。
③はいやもしかしたら本人的には頑張ってるのかもしれないけど、少なくとも潮江七松には伝わってないんだよなあ……って思ってたらなんか上手いこと言って学園待機組に滑り込むので、やっぱりやる気ないじゃん!っていう。

ここまで初演の話で、まあこれだけでも
信用できない+信頼に値する実力がみえない+やる気もみられない
のフルコンボでえっ最悪……!? 怒っても良くない……?って感じだったのですが、再演だとさらにわかりやすくなってましたね。

まず①、文次郎自らドクタケの話を信用できない理由を詳細に解説してくれる親切設計になっていました。たしかに近年のミュはドクタケ以外の敵がいてドクタケ=悪の要素が薄かったので、この補強は本当に大きい。
さらに③、再演ではタカ丸が学園待機を申し出る際に「行きたくないわけじゃありません」って台詞があるのですが、その時曇鬼があからさまにギクッとしてるんですよね。行きたくないのかよ! いや知ってたけども!

というわけで、怒っても良くない……?がこれは怒って良いだろ!!!くらいにはなったところで本題。
これ、①②③フルコンボだから文次郎は怒ってただけで、③だけでもクリアできてれば、頑張る姿勢さえあれば文次郎はあんなに怒らないんだよなっていうのが大変わかりやすく描かれていたのがもうめっっっちゃくちゃに良かった。

そうなんだよね……仙蔵はともかく(喜八郎をみていると笑)、文次郎はおそらく過程を大事にするタイプなので……
その証拠に初演からドクダミ城潜入失敗の一因であるタカ丸に対しては別に怒っていないので(これは自分に責任があるという自覚があるのもあると思いますが)。

再演はそこに、
・多くは語るまい仙蔵との一年次のエピソード
・訓練時の滝夜叉丸への具体的なアドバイス
が加わることで、あ〜文次郎ってやっぱ優しいんだよな〜!というのが、多くの人に伝わったであろうことが本当に嬉しかったなあと。

💮六年生それぞれが後輩の教育に責任を持った先輩として描かれていて良かった

これはだいたい
ドクダミ城潜入失敗後、タカ丸「僕のせいで迷惑かけちゃってごめんなさい」に対し初演の留三郎はタカ丸、と声をかけたあとに「気にするな」と励ますが、再演だとそれがないの、良い!
という話なので特に留三郎をべた褒めするターン。

そう、それは気にしなきゃ駄目なんですよ。再演は仙蔵が仕掛け罠があることを教えた上での失敗なのでなおさら。
気にしなきゃ次に繋げられないので。そこで気にしなくて良いよ、は、真に優しさなんかじゃないよっていう……

↑の文次郎もそうなんですが、「気にするな」を言わない留三郎が「じゃあどうすれば良いのか」を具体的に助言するのも含め、六年生が四年生を指導する時間が初演よりだいぶ長くなっていたおかげで、ただ四年生より強くて指揮が取れて格好いいだけではなく、後輩の教育にしっかり責任を持つ先輩としての六年生が見られたのがとってもとっても良かったです。
私が六年四年で見たかったものはこれ!!

そしてこの、その場限りの慰めは優しさじゃないよっていうのは、鵺さまと夜霧にも通ずるものがあるので……つくづく良いな……!

💮六年い組が、六年い組という枠の中に留まらず「六年生の中の六年い組」として描かれていて良かった

初演にも鍛錬組的な良さはあったのですが、再演はさらに強化されてて良かった💮
具体的には立花・善法寺コンビと潮江・立花・食満トリオが追加されてて、ひたすらに良かったし何より私が助かりました。

【立花・善法寺コンビ】
細か過ぎて伝わらない12弾再演の好きなところというほどではないと思いますが、合同訓練前の文次郎とドクタケのいざこざに介入しようとした山田先生を伊作が止めるシーンがめちゃくちゃ好きなんですよね。
ここ、マイクに乗っていなかったのでおそらくではありますが伊作が「大丈夫ですから」って言ってるんですが。

初演だとこのシーン、即座に山田先生が介入してたじゃないですか。
(いや初演はここ日替りだったせいで仙蔵も怒ってることが結構あったというアレはあると思うんですけど……)

その前から伊作が六いの方をちらちら見て気にしてて、からのこれなので、同室のそれとは違う種類の信頼が垣間見えて良き。
そしてこれは山田先生の話になりますが、生徒で解決できることは生徒に任せるという判断でその場は引く、干渉し過ぎないのもすごく良かったなあと。

【潮江・立花・食満トリオ】
ドクタケと共闘するか否かを巡って意見が割れてしまった六年生だけど、再演良くなったな〜と思う理由だいたい留三郎だわ、ありがとう留三郎、という話。

まず私は六いにしろ六はにしろ、気質*は近いものがあるのに意思決定のプロセスを全然共有していないところが本当に面白いと思っています。
そんなふたりが同室やってるという事実が愛おしいよねっていう。

*い組気質:自画自賛の優等生~!
己は優等生であるという自負が時に己の首を絞める……
もうちょっと肩の力抜いて生きて良いのよ……
まあだから私はい組のオタクなんですけど……
みたいな……
このへん喜八郎はわりと謎なんですよね。喜八郎は難しい。

さてここで突然11弾の話をします。
11弾で長次が倒れたあと、
長次がこうなった要因を考える組:立花、食満
六ろのメンタル面を案じる組:潮江、善法寺
という分かれ方をするのが好きなのですが。

11弾以外にも10弾の、長次の声が聞こえた!誰か怪我したのかも!行かなきゃ!に対して
①どこにいるのかもわからないのに危険だ
→情報が全くない状態で闇雲に動くのはデメリットの方が大きいという「それはそう」な意見
②チームで動いてるんだから少しはぴよこちゃんのことも考えてくれ
→(伊作が勝利に拘るかどうかは置いておいて、公式には)自チームの勝利という目的を考えても、ぽぽたんには仙蔵もいるけどぴよこちゃんは伊作が離脱すると六年1:四年1:一年2になってしまう(やばい)という状況を考えても正当性は留三郎にある
てな感じで留三郎がド正論を伊作にぶつけていたりとかね……
(あんな同室の代名詞みたいな六はが……)

このあたり振り返ると、同室って意思決定プロセスに関して似た性質を持つふたりが高め合うというパターンもあるとは思うんですが、少なくとも六いと六はに関しては違うよな~と思っていて。
目的や状況に対する論理的/効率的な正しさを大事にするのか、己の正義を大事にするのか……という話をした時、立花食満は前者で、潮江善法寺は後者だと思うんですよね。立花食満は理念の人たち、文次郎は人としての信念の人、伊作は保健委員の信念の人。

でも違うからこそバランスが取れているというか、むしろ
〜異なる性質の個と個がそれぞれを補い合うことによって、より高みへ〜
みたいなことができている。

【蛇足】
前者を極め過ぎると忍者という職業の性質上11弾外伝を経ない雪鬼とか12弾で言うと夜蜘蛛みたいになる気がするんですけど、そこは忍術学園の教育がマジで上手いというか、立花食満は前者でありながら道理は捨てていないのが大事なんですよね。論理と道理は両立し得る(=合理性)ので。

***
さてこの、
〜異なる性質の個と個がそれぞれを補い合うことによって、より高みへ〜
を上手くやれているから六年生は強いし(そして今回それをやれた四年生も強くなるし)、その極地が六いだからこそ、12弾初演の仙蔵は文次郎を正論でぶん殴らなくてはいけなかったんですが。

再演がどうなったかというと。

それぞれの選択はそれぞれの選択として尊重されるべきなので、今さら各々の立場が変わることはない

じゃあ再演はもう少し文次郎がドクタケの話を信用できない理由とか葛藤を丁寧にやろう! そのためにはやはり彼の頑なさを和らげてくれるような人間が必要! はい同室の立花くん!

なら初演で仙蔵が担っていた「文次郎を正論でぶん殴る」役割を代わりに担えそうのは誰?

それはもう留三郎しかいない

という……いや改めて書くと最高だな……
再演の留三郎、本当に良い仕事をしている。大好き。

仙蔵、自分が合理性ベースで動くようにしてるから、ついshouldで話したりド正論でぶん殴ったりしちゃうんだろうし(15歳〜!)、たしかにそれも必要なんだけど、でもそれだけじゃ駄目なこともあるよね、という感じの初演だったので(再演をみたから言えること)(そのへん六ろは初演からバランスが上手)、いやあ再演本当に良かった。
北風と太陽的な……いや仙蔵は月だと思いますが……

しかもこのあと仙蔵が「みんな文次郎を頼りにしている」と伝えることにより、留三郎が厳しいこと言うのはなんだかんだで文次郎を頼りにしているからなんだよなあ、という犬猿的な良さもあり(初演もそこの信頼はちゃんと見えてたけど再演の方がアツいので好き)。
潮江・立花・食満トリオ、ハッピーセット……最高……

あともう1回伊作の話に戻ると、潮江・立花・食満トリオはハッピーセットなんだけど「留三郎は黙ってて!」は見ている側としても「留三郎は(今は)黙ってて!」なので、そういうバランサー的な役割を担ってくれるありがたさ。ここは同時にぶつけてはいけない。

まあ何が言いたいかというと、六いは補色の良さだけど立花食満は類似色(同系色ではない)の良さだと思うので、そこが上手く機能したからこその再演の良さだと思うし、色んな良さを浴びられる再演最高〜!ってことです。
同室はもちろん最高なんだけど、それはそれとして他の組合せも良いよね!

3. 満を持して六いの話をします

とりあえず、12弾が初演東京→初演地方→学園祭→再演とやれて良かった〜!!

これは初演はアレだけど再演は良かったから、という話ではなく、シンプルに色んなあり方を観られたのが良かった💮という話です。
(あとメタ的なあれそれなのでここでは控えますが、初演地方と学園祭がなかったら再演の良さは生まれないので……)

フォロワーが、初演と再演をルート違いって表現してたのがめちゃくちゃしっくりきたんですけど、初演の六いも再演の六いも間違いなくしっかり六年い組なんですよね。
これは六いに限った話ではないですが、初演には初演の良さがあるし再演には再演の良さがある。

■初演東京と初演地方と再演、ざっくり振り返り

初演って文次郎の恐れは再演ほど詳細ではないものの描かれるけど仙蔵の恐れは描かれないし、闇駆け周辺(後述)の印象もあって、仙蔵の立ち位置としては文次郎に発破をかけて手を引いてやる役という印象が強かったし、まあ実際そういう話だったと思うんですよ。

ただここが「これだから地方遠征はやめられないぜ!」ポイントなのですが、初演大阪公演には「仙蔵、思ってたより冷静じゃないぞ……」という話がありまして。

これは当時の己のメモが我ながら動揺し過ぎで愉快なのでそのまま載せておきます↓

「あとはふたりにしてやれ!後の仙「文次郎、」がやたらと柔らかくて、こんなの知らないが……?と動揺しました。東京の時もうちょっと厳しさとか熱さがあったじゃん、どういう心境の変化があったんですか……? え……?」
(10/30マチネ)

※12弾初演は仕事の都合がつかず大阪初日を泣く泣く見送ったため、土曜がマイ地方初日だった。
後に初日の話を人から聞いてさらに動揺した。

補足すると、大阪公演の仙蔵は文次郎への接し方が毎公演違ったんですよね……もちろん台詞は同じなので、言い方が、という話ではあるのですが。
ルート違いというワードが便利過ぎるので乱用しますが、毎公演ルート違いだった。エンド一緒だけど。

さらに先生方の会話を立ち聞きするシーン、東京だと仙蔵の立ち位置が遥か上方なので動きまでははっきり見えなかったんですけど、大阪だと良く見えて。
で、文「しかし……!」で仙蔵の足も一歩前に出かけているのがはっきりわかって。
秘めたる熱さじゃん……!と息をのみました。

このように初演地方公演で、
仙蔵は学園一クールと言われるけど、学園一クール(であるように努めている)ってだけなんだよな、仙蔵だって熱くなるし、どうすれば同室に伝わるのか、悩んで試行錯誤することもあるんだよな〜!

……と再確認した上での再演ですよ。
※学園祭は本編外ボーナスステージという認識なので一旦スキップします。

再演は前述の通り文次郎を正論でぶん殴る役割が仙蔵から留三郎に移植されて、そのぶん仙蔵が文次郎に寄り添ってくれるようになったおかげで、
・文次郎の葛藤もわかりやすくなり
・初演地方で見えた仙蔵のクールじゃないとこがよりクリアに見えるようになり
六いの話をやるうえで、六いはこういう人たちです!を示すのにめちゃくちゃ良かったなあと思っていて。

(けど仙蔵の考え方が根本的に初演と変わったわけではなくて、初演と同じ「今回はドクタケとの共闘を受け入れるべきだし、文次郎にもそれをわかって欲しい」という立場でありながら、立ち位置を変えてきたのが再演すご……!ポイント)

その上で仙蔵が「共に勝利に導いて欲しい」という絶対の信頼を、口にしてくれることの良さ……
11弾や12弾初演の六いのツーカーっぷりはめちゃくちゃ解釈一致なのでそれはもう大感謝なんですけど、だからこそこの時「仙蔵が、文次郎に対して」口にしてくれるということの重み、その良さ……

***
あとやっぱり再演はマスクないのが良かった。仙蔵ってキャラ的にあんまり大きくリアクションしてもアレだし、繊細な表情のお芝居が多いので。

六い思い出話をしたあとの「仲間として当然のことをしたまでだ」を聞いた瞬間の仙蔵の表情が本当に良くて。ガッツ前のそれと同じなんですよね。しかもそれ聞いた瞬間声も明るく晴れやかにちょっと柔らかくなるの……

ここはただでさえ、不器用ゆえ遠回りもするけど己の義を貫こうとする文次郎という人間の良さ、彼の優しさが詰まっていて、それだけでもう好きなんですが。
それはきっと仙蔵にはない部分で、だからこそ仙蔵は彼のこういうところが好ましいんだろうな、というのがこの一瞬に詰まっていて大好き……

(このシーンみて欲しいがために配信期間中に滑りこんだのでみて)

で、千秋/蒼天を経て、からの名前を呼ぼうの捌けですよ。
いやまず再演でこのイベントに参加できたの本当に良かったなありがとう学園祭。

いつもの文次郎に戻ったことを確認して、静かに優しく微笑む仙蔵……
隣で何かを言うでもなく、ただ中段下手から下段上手を見て、っていうのがね……良……

■初演闇駆けと千秋/蒼天の話

ここでまた急に11弾の話をするんですが、11弾学園祭で突然SORAをお出しされた時の感情、ぶっちゃけ
嬉しい<<<<<なんで?????
だったんですよね。
(しかも察しの悪いオタクなので、2日目にもう1回歌われるまであそこは日替わり六年いろはデュエットコーナーだと思いこんでいた)

なんなら12弾学園祭ですら「えっ闇駆けをふたりで歌ったのにもう一曲みせていただけるんですか? なんで?」だったんですが、今となっては、SORAを二度歌った六いが「おまえとともに飛んでゆこう無限の空を」に到達するの……辿り着いたね……みたいな……

というわけで初演闇駆け(六いver)と千秋/蒼天の話をします。

初演大楽直後にこういうツイートをしたんですが、今思い返しても初演闇駆けの良さってだいたいこんな感じ↓

「なっさけない声出してた文次郎が仙蔵とのやり取りで覚悟を決めて、力強くその手を掴む男になり、逆方向に捌けていく……という、手を掴んではいるけど自立した人間同士の、六年い組のやり取りを毎公演浴びられて本当に本当に幸せな毎日でした」

初演闇駆けって、前述のように仙蔵の恐れが描かれないまま始まるし、曲の入りも仙蔵が文次郎より上の段に立っているところから「文次郎、やり遂げよう」「ああ……やってやる」で文次郎が同じ段に一歩踏み出しイントロが始まるので、文次郎にとっては己の覚悟の歌だけど、仙蔵にとっては文次郎へのメッセージソング的な感じかな〜という解釈でいました。
この曲自体がひとつの儀式という印象だったんですよね。文次郎が恐れの鎖を振り解き、いつものように同じ地平に立つための。

ちょっと重々しいんですけどそのぶん、鎖を振り解いたからもう別々に走っていける、あとは最終目的地で会おうな、みたいな清々しさが際立っていたのが初演闇駆けの良さだな〜と思うんですが……

一方で再演の六いは仙蔵が文次郎に共感を示してくれるポジになり、同じ目線で話をしていたおかげで、千秋が始まる瞬間から同じ地平に立てているのが良さなんですよね。
「導いて欲しい」という仙蔵の言葉に文次郎の側から「やり遂げよう」と答えるし、それぞれがそれぞれの決意を歌い、同じ方向に捌けていく。

同じ空を目指しがらも別の方向に走り出すことで、個と個の良さを印象的に見せてくれた初演の鮮やかさは今思い返してもめちゃくちゃに好きですが、それは初演の二人だからこその良さであり、そもそも闇駆け(六い)も初演の二人だからこその曲であり……

考え方も歩みの速度も違う他人同士がそれでも相手に寄り添える一瞬があるならそれは間違いなく美しいことだと思うので、それを描いてくれた再演が好きだし、再演の六いには再演の六いの曲があって、同じ地平で歌い同じ空へともに走り出せたこと、ひたすらに良かったねえという気持ちが溢れてしまいました。感無量。

■闇駆けアンコール

ところで初演闇駆けデュエダン、お兄ちゃん回を経た今改めて浴びるとま〜あ威力が増し増しでして。
こちとらただでさえふたりの歴史をアニメとミュ両方でお出しされて大変だというのに……(ありがとうございます)

だって仙蔵は、文次郎に手を掴んでもらったあの日をずーっと覚えてたわけで……

初演で我々がみた六いはたまたまタイミング的に、仙蔵が先に覚悟を決めていて文次郎に発破をかけてるふたりだったけど、それはきっと手を掴んだり掴まれたりっていうのを立場を入れ替えながらお互いにやってきたからこそ、おまえならできると信じているからこそ成立するものなんだよねっていうのがこう、1年越しにしみじみと……

だってもう 文次郎に手を掴まれてぐっと引かれた瞬間の仙蔵のあの「そうだそれで良い」と言わんばかりの頷きみた!?
びっくりしたもんあれ初めて観た日。まさか1年後にさらにびっくりすることになると思いませんでした。
六年い組が好きで良かった!

4. 諸々つれづれ

まとめるにあたってどこに入れれば良いかわからなかったことを雑に再録しておくコーナー。

■大人と子どもの話

これはいつもなんですけど、六年生って後輩からみたらそれこそ頼れる先輩で、きっとずっと大人に見えていると思うんだけど、先生方から見たらどんなに優秀で頼れる最上級生でもいつまでも子どもなんだよな〜っていうのが大好きなので、先生方が六年生のカバーに入ってくれるシーンや指導してるシーンが好き。
あと再演の「彼らがいますから!」後に土井先生が六いの肩を後ろから抱えてぽんぽん労うのが狂おしいほど好き。

それとはだいぶ違うけど、土井先生も鵺さまにとってはどんなに強くなってもずっと夜霧なんだよね……でも今は土井先生なんだよね……

(追記)
でもやっぱりここは再演の山田先生がいちばん好きですね。ちゃんと大人をやってる大人はシンプルに最高なので。

■四年生の未来が明るい

六年生の話のとこでちょろっと書いたのですが、六年生同様、というか以上にそれぞれが異なる性質を持ち、しかも5年以上一緒にいた六年生と違って編入生がいる四年生、バラッバラだった四年生……
その四年生がああやって意見を交えて、歩いてきた道さえ違う人たちがそれぞれの経験を持ち寄って解に辿り着こうとする光景、めちゃくちゃに良かったな。もっと強くなるよ君たちは。

あと四いが見せた六いばりのツーカーっぷり(「喜八郎!」だけで察する喜八郎とそれで伝わるとわかってる滝)も二年後を思わせて良きだったし……

というわけでそろそろ「がんばれ四年生!」をやりません?って話。

■縦割りも最高だけどやっぱり委員会も最高、そして同室は強し

まあ作法は縦割りでも作法なんですけどね(大勝利)
初演の会計、再演の会計、再演の作法、同室は強し……みたいな。

【初演の会計】
いつも通りじゃなかった潮江先輩に、ガッツ1番Bメロ終わりあたりでちょっと迷って、あえて明るく声をかける後輩。やだ健気……

【再演の会計】
合同訓練前の潮江先輩とドクタケのいざこざで、潮江先輩のことは立花先輩が回収してくれるけど、ドクタケを回収してるのは三木ヱ門なんですよ。「厳しい人だから」と言いながら。

【再演の作法】
合同訓練②にてドクタケに歩み寄る潮江先輩を見て、どういうことなのかしらと立花先輩を見る喜八郎、何も答えずただ微笑む立花先輩。後輩にはわからないことがある。
でも(これは初演もそうですが)このあと偽書の術に気づいた立花先輩が潮江先輩と学園に戻れたのは、君たちを信頼してるからなんだよ~!っていう……
みんな頑張ったと思うけど、四い本当に頑張ったね……

こうなるとやはりがんばれ四年生もみたいけどそろそろ委員会がみたいな〜という気持ちもある。オタクは強欲。

5. さいごに

というわけで、12弾についてあちこちで垂れ流していたことのまとめでした。
まとめる力があまりにもなくて心折れそうだったんですが、今回ばかりはきちんと出しておきたかったので。

12弾、やっぱり何度思い返しても美しい話だったな。
この先もう二度と会うことがなくなっても、あの日ともに見た空を見上げるんでしょうね……
だってこの空は繋がっているので……

終わった感じになってますがまだ配信期間残ってるので、なにとぞよろしくお願いいたします。

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