若さへの執着は、どこからきてどこへ向かうのか
コウを追いかけてと「あの頃」への執着
「コウを追いかけて」という楽曲をご存知だろうか。映画「溺れるナイフ」の劇中曲であるこの曲は、TikTokで少し前にバズっていた。
いまK-POP業界激震の渦中にいる平均年齢10代のガールズグループ「NewJeans」。その公式SNSでも、この楽曲が使われたショート動画が投稿された。
コウを追いかけてを取り巻く一連の雰囲気やショート動画は、まさに大人がNewJeansに抱く感情をそのまま反映していると思う。
コウを追いかけてが使われたショート動画の雰囲気は、あえて一貫性を持たせるなら「戻れないあの時代」が共通項になると私は考えるが、必ずしも現実にあったことではなく、架空の世界も含まれる。
その雰囲気は、「dullcore」と呼ばれる暗く解像度の低い世界観を掛け合わせていたり、「エモい」「刹那的」「切ない」という言葉で表したりする。
特筆すべきは、TikTokメインユーザー層である20代以下が、このような雰囲気に強く惹かれているという実態である。
若さへの執着
若いときの尊さというのは、自分が年齢的に若いからといって必ずしも享受できるものではない。
「10代の頃、NewJeansを知らなくてよかった。今だからもう諦められるけど、あの頃出会っていたら絶望していた」
これは、X(旧Twitter)でバズっていたアラサー女性の投稿である。
NewJeansのような美しさと実力と強運を持つ10代の少女はごく稀だ。そんな少女たちが演じる世界が、コウを追いかけての世界観と重なる。
若さというものが最大限に美化され、誇張される世界。どんなに欲しいと願っても決して手に入れることのできない、特定の人間だけがある一瞬手にする、刹那的な美。そこに私たちは惹かれるのだろう。
過去の自分への執着
こうした作品としての「あの頃」への執着とは別に、私は過去の自分に対しても近い感情を抱く。その感情は、20代後半に差し掛かったときから現れた。
20代前半ごろまでの写真や動画を見返すと、懐かしさと共に苦しさが襲ってくる。それと同時に、いつまでもその瞬間を見続けていたいと願う自分もいるのだ。
これは、永遠に解放されることのない過去の自分への執着ではないか。いつだってその瞬間の尊さを理解する余裕はなく、気づいたら過ぎ去っている。あとで振り返ったとき、あの瞬間はなんて尊かったのだろうと思い出す。
一方で、これもこの年代特有の悩みかもしれないとも思う。10代の悩みで今悩んでいないように、これからの自分が今の悩みを抱えたままとは限らない。
執着から無理に抜け出さなくていい
今のところ、私の「あの頃」への執着は続いている。「老いることは恐ろしいこと」という感情から抜け出せていないとも言えるだろう。
どんなに美しい花でもいずれは枯れる。それが生物として誕生した私たちの宿命で、抗うことはできないのだ。でも、今すぐ抗うことをやめなくてもいい。執着したいならすればいい。一部の人たちにとっては当たり前にある感情で、それが自然であると思うから。
いつかこの価値観が更新されたとき、またこの続きを書こうと思う。
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