私信
私信のような文章を書くということはこれまであまりしてこなかったのですが、ふと思い立ってTwitterにお題箱を連動させたところ、こんな相談をいただきました。お返事を書きたくなったので(そしてそれが長文になると思ったので)、ここに書こうと思います。
いきなり自分の話になってしまって申し訳ないのですが、学生時代の恩師に言われた言葉で印象に残っているのが2つあります。
ひとつは高校時代、行きたい大学特にないんだよね、と私が話したときに担任が言った「じゃあとりあえず○○大くらいは狙っとけ、いざってときに選択肢多いほうがいいんだから」というので、もうひとつは、大学のときに学部長が言った「いいか、教授なんか年に1回くらいしかいいこと言わないんだから、その1回を聞き逃さないように授業は毎回出ろよ」というのです。
後者はさすがに冗談半分だったと思うのですが(そういう先生でした)、両者はだいたい同じことを言ってたんだな、といまになって思います。つまり、「いざというときのために備えて、選択肢は多く持っておけ」みたいなことだろうと。
その「いざ」(たとえば希望する進路や、年1回の超面白い授業)がいつくるかは分からないから、そのときのためにとりあえず備えておく、というのは有効な手段だと私は思います。今回相談してくださった人が送ってくれた内容で言うなら、「とりあえず就職する」というのも間違いなく、ひとつの手です。
私はいま一応フリーランスということになっているのですが、正社員として企業に就職したことがないので、不便なことが死ぬほどあります。ボーナスも出ないし身分も証明しづらいし、平日の昼間に家の近くを歩くときは結構気を遣います(まともな大人は平日の昼間に出歩かないと思ってる人は意外と多いので)。
仮に私が数年後に正社員になりたい、と思ったとしても、もう入ることのできない会社や業種はわりとあるはずです。そう考えると、私は20代のはじめに、使えたかもしれないカードの何枚かを自分で捨てたことになります。
だから、「とりあえず就職する」は全然いいと思います、それでいつか「ほんとうにやりたいこと」が見つかったら、そこからやりたいことに向かってシフトチェンジすればいいわけだし。
……というお返事で終わらせてもよかったのですが、送ってくださった文面を何度か読み返していて、悩んでいることの中心はそれじゃないんだろうな、となんとなく思いました。
なのでもうすこしだけ踏み込んだ(?)話をします。抽象的な話になるので、もしもここまででなんとなくスッキリしてくださってるなら、ここから先はおまけみたいなものだと思ってください。
これまでに私はインタビューの仕事で、「いまの仕事に就いたきっかけは?」という質問を結構いろんな人にしてきました。
で、「○○という本を読んで衝撃を受けて」とか「小学生の頃、父親に連れていってもらった科学館の展示で」とか、「ボリビアにボランティア活動に行ったときに」みたいな美しい“きっかけ”もたくさん聞いてきました。
その一方で、個人的な飲みの席で友人たちに「○○さんなんでいまの仕事選んだんだっけ?」と聞くと、大体みんな笑って「なんとなく」「ここしか受かんなかったんだよ」「うるせえな辞めてえよ」とか言います。
インタビューを受けるような人たちは志が高い、という話ではなくて、どちらかと言うと「編集を加えないかぎり、人のエピソードなんてそんなもんだよな」ということだと私は思っています。
私自身、「なんで文章を書くようになったの?」と聞かれたとき、「小さい頃に入院したことがあって、友達ができなかったので本ばかり読んでいて」と答えることもあるのですが(そしてそれは嘘じゃないんですが)、もっと身も蓋もないことを言うなら、「授業で書かされてたら褒められることが多かったから」です。ただ運がよくて、向いてたというだけの話です。
少し前に、SONGSで小沢健二が「いま自分が過去を語ったら、過去を“三割増し”に見せてしまう気がする」というようなことを言っていて、だよなあ、と思いました。
(余談ですが、そのあとの「現在というものには、一瞬で過去のすべてを見せる力がある」という言葉で、彼が「現在」にこだわる理由が、そしてそれがとてもきらめいている理由がわかったような気もしました)
送ってくださった文章の中の「やりたいことは見つからないし、自分はおとなになれないような気がします」というフレーズがとても気になって、しばらく考え込んでしまいました。
ああ、たぶんこの方は「おとなはみんな“やりたいこと”を見つけた人」だと思われてるんだろうな、それはすごく辛いよなと。
たぶん大抵の「おとな」は、自分の生涯を賭けてやりたいことを見つけないままで大人になっています。
私はさいきん、長い旅行を経て東京に戻ってきたら季節が勝手に秋になっていて「うそじゃん聞いてないよ」と思ったのですが、たぶんそれと同じで、なんとなく日々をやり過ごして生き延びているうちに「大人」は勝手にやってきます。「うそじゃん」と思うのですが、相手は時間なので待ってくれません。
でも逆に言うと、やりたいことがなくても大人にはなれるし、どんな仕事でも、というか働いてなくても、大人として日々を乗りこなしているというのはものすごい大事業だと私は思います。
なので、この文章を送ってくださった方が「何かになる」ことに大きな価値を置いているのだとしたら、「なる」ものが見つかるまで目の前のことをこなしていけばいいし(文章からすごく頭いいの伝わってきたのでどんな仕事もできると思います)、もっと抽象的な目標(幸せになるとか美しい人になるとか)に価値を置くのであれば、それに向かって歩み始めればいいんじゃないかなと楽観的に思います。
ただ漠然と「やりたいことがない、情熱的になれない」ことに後ろめたさを覚えているのであれば、みんなそんな感じですよ、と言いたいです。とりあえず生きといて様子を見ましょう。情熱はなくて大丈夫です。
サポートほんとうにありがたいです。本を買います。