見出し画像

jour de muguet(ジュール ドゥ ミュゲ)

私は一軒の屋台でスズランのミニブーケを購入した。爽やかな香りのする、小さなベルの様な形をした花がかわいらしい。

✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼

「かわいいお花でしょ。5月の誕生花のスズランには素敵なエピソードがあるのよ」
小さなガラスの花瓶にスズランを生けながら君は言った。窓から差し込む光を浴びて、花と花瓶が輝いて見える。
「スズランは16世紀のフランス国王だったシャルル9世に、国の発展と王の幸せを願って贈られたお花なの。王はとっても喜んで、次の年からスズランを贈られた5月1日になると宮廷内の女性にスズランをプレゼントするようになったのよ。これが『スズランの日』の始まり。国王の『みんなに幸せを』という気持ちから始まった風習が国中に広まって、この時期にはスズランを売る屋台が並ぶんだって。街中にこんなにかわいい花があふれていたら、素敵よね」
街並みを想像しているのだろうか、君は優しい笑顔でスズランを見つめていた。
「いつか、一緒に行けたらいいね」
「そうね」
いつか、君と。
「その時はスズラン、プレゼントしてね」
果たせるかわからない、夢。もしも果たせなかったら、君を悲しませてしまうかもしれない、儚い夢。
飾られたスズランに目だけを向けて君を想う。
「もちろんだよ。街中のスズランを買い占めよう」
「あら、それはダメよ。大切な人の幸せを願う気持ちはみんな一緒だもの」
いつか、君と。フランスの街を歩く。カフェでひと休みしながら、アンティークショップや蚤の市を覗こう。
君の幸せを願って、スズランを買い占めよう。呆れられるかもしれないけれど、全て君に贈ろう。
病院のベッドの上でままならない体を持て余しながら、私はスズランを見つめた。

✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼

春の訪れを告げる花として愛されているスズラン。可憐な白い花は、純粋・純潔の象徴だ。
キリストが磔刑に処された時、聖母マリアが流した涙がスズランになったという伝説もある。スズランの花言葉は幸福の再来、純愛、希望。
キリストの様に復活して、幸福を運んで来て欲しい。望んでも叶わぬ事を、何度思っただろう。
君と一緒にフランスに来ることは叶わなかった。びっくりするほど壮健だったのに、私の寛解と入れ違いに病に倒れ、君はあっけなく逝ってしまった。

今日はスズランの日。フランス中のスズランを買い占めて、君に贈ろうと思ってやって来たんだ。でも、早々にやめたよ。
屋台でスズランを買い求める人たちの笑顔は、本当に素敵だったから。大切な人の幸せを願う笑顔を奪ってしまったら、君に叱られてしまうだろうから。

スズランのミニブーケを持って、私はゆっくりとホテルへの道を辿る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?