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満月の夜

それはばあちゃんの口癖だった。夕方になると、ばあちゃんは必ず三面鏡を閉じる。いたずら心から鏡を開けようとすると、いつもすごい勢いで怒られた。
「なんで?」と聞いても、幼い僕にはわからないと思ったのか「ダメなものはダメだ」と言うだけだった。いつもニコニコして穏やかなばあちゃんの、ただひとつ知っている恐い顔だった。

「じゃあ、行ってくるね」
濃い目の化粧を終えたかあちゃんが慌ただしく仕事に行き、家に静寂が満ちる。ばあちゃんと二人で留守番だけど、ばあちゃんは一年前に大腿部を骨折して、今はベッドで寝たきりの状態だ。
「おやすみ、ばあちゃん」
部屋の灯りを常夜灯にして出ていこうとする僕に、ばあちゃんが声をかける。
「大丈夫だよ。ちゃんと閉めとく」
ばあちゃんの言葉にそう答えて、後ろ手で襖を閉めた。居間に戻ると、かあちゃんが使っていた三面鏡が開いていた。
「また…。だらしないなぁ。ばあちゃんに怒られるよ」
かあちゃんのいい加減さにげんなりして、窓際に置かれた三面鏡を閉じようと前に立つと、鏡に映る自分と目が合った。その顔がくにゃっと歪んだ。
「ねぇ、ジャンケンしない?」
正面の僕が話しかけて来た。三面の鏡が何人もの僕を映し、世界を広げている。
「え、え? なんで?」
「だって、誰かに会うの久しぶりなんだもん。ジャンケンって一人じゃできないじゃん?」
鏡の中の僕が人懐っこい笑顔で話しかけてくる。つられて僕も笑顔になる。
「いいよ」
なんでそんな風に答えてしまったのかを不思議に思いながら、僕は応じる。
「「最初はグー」」
「「ジャンケンポン」」
二人の声が重なる。
「「あいこでしょ」」
あいこが続く。当たり前だ、鏡に映った自分としているのだから。12回あいこが続いて、もうやめようと思った僕は鏡の中の自分から目を逸らした。
「あいこでしょ」
聞こえてきた僕の声にびっくりして、僕は反射的にグーを出した。視線も鏡に戻す。
え?
その時、鏡の中の僕はパーを出していた。にやっと笑った僕の手が鏡の中から出てきて手首を掴んで引っ張った。

「満月の夜に三面鏡を開いてはいけないよ」
鏡の向こう側から、ばあちゃんの声が聞こえた気がするーーー。

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