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人は山が好き

そこに山があるのに、誰もが無関心て土地ってあるんだろうか。日本だとない気がする。大きな山が象徴的存在として人々に愛されていない土地が思い浮かばない。それは世界共通なんだろうか。

神奈川なら富士山と丹沢連峰。茨城なら筑波山。富山は立山連峰。住んだことないけれど鹿児島なら桜山。鳥取なら大山。石川なら白山。岩手なら岩手山。山形なら月山…

とはいえ神奈川県民は山への思い入れはそこまでではないかもしれない。海越しに望む富士山は神奈川ならではの景勝だと思うけど、富士山は山梨か静岡のものやなっていう感覚がどことなくあるというか、そう思うまでもなく、自分たちのものって感覚がない。丹沢に深く思い入れている人にも出会った記憶がない。

筑波山はそれよりも茨城の象徴としてある感じがあった。筑波山は立つ位置によって形がかなり変わる。見える範囲に住んでいる人はそれぞれに、うちから見るのが一番と思っているから、下手に話題にするとバトルになるから、形の話はしないのだと言っている人がいた。

そして富山の人の立山への思い入れはほんとうに強いと思う。わたしが引っ越そうとしている場所からは立山がそんなによく見えなくて、地域の世話役みたいな人に暮らしについてヒアリングする機会があったとき、開口一番「立山見えないけどいいんですか」と言われてびっくりした。立山がよく見える場所に住むのが良いこととか、家や地域からの立山の景色を誇るような価値観があるのかもしれない。まさに山マウンティングが…

考えてみると、富山県の中心地、富山県庁や富山市役所がある場所は、県内で一番立山連邦がきれいに見える場所じゃないかって気がする。山は近づくと全容がわからなくなる、遠くなると迫力が薄れる。それが一番ちょうどいい。奈良時代の県庁:国府(こくふ)があった場所も、少し距離は離れるけれど、海越しの立山連峰に他から見るのとは違う良さがある。

NHK富山放送局が休日に漫然とついていると、たくさんの人がスタジオに集まって歌っている映像が突然始まる。コスプレイヤーのような人がいたり、演歌歌手の人がいたり。知っている雑貨屋の店長もそこに混じっている。サビの歌詞は「ああ これが富山 自慢の 立山連峰」。はじめはなんでみんなで立山連峰を自慢してるんだろうとかムダな疑問を持ってしまっていたけど、何度かきくうちに、何かわかったわけじゃないけど、だんだん、よく思えるようになってきた。とにかく立山が自慢なんだってことがそのまますっと入ってくるようになった。

阿弥陀ヶ原、鳶山、鷺岳、ザラ峠、雄山と大汝、剱岳…ひとつひとつ立山連峰にある山をうたいあげる歌詞になっている。これを覚えれば立山連峰の山々がまるっと覚えられるのだろう。とにかくひたすらに立山連峰の歌である。






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