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17|ポキポキの杉

家の近くの山の杉が、ポキポキ折れている。折れたところからクリーム色の木肌がのぞいていて、遠くからも折れていることがわかる。一箇所ではなくて、道すがらずうっと、ものすごいスケールで、折れている。

年始に降った大雪で、雪の重みに耐えられずに折れたらしい。海に近い里山だから、これまであまり雪が降ることがなくて、雪に慣れていないのが直接の理由。根本には、間伐すべきものがされていないから、ちょっとした負荷に耐えられないほど弱っていることがあるという。

たしかに密度が高いし、ひとつひとつがひょろひょろと細い。折れていないところでも、健康な状態ではないのだろう。

現実味がなくて、現代美術みたい。ランド・アートじゃないかと、視点が引いてしまう。一方で、植えるだけ植えてほったらかして、ごめんなさいと苦しくもなる。荒れているスケールが大きい…

お金になる成長が早くてまっすぐ育つ杉を植えよう、で植えたものの、時代が変わり、林業は衰退、コストが合わなくなって手入れが追いつかない。

伐られて植樹された斜面もよく見かける。基本的にはどこも斜面全部を裸にしてしまう皆伐。間伐のほうが治水的に良いことはわかっていても、すでに伐るべき年数を超えたものばかりで、皆伐さぜるを得ない、という現状らしい。

価格面で輸入材に押されての需要の減少。家になった後も、ひび割れたり縮んだり、木材が変化していくことがクレームになる、消費者がクセのない工業製品を求めてしまうから、集成材の方が扱いが楽とされてしまうとか。工業製品のように木材を加工すること、丸太を四角くすることが、そもそも流通の上流にある木材屋にとっては無駄と負担が大きいとか。とはいえ個性のある木材を扱える大工さんも少ないとか。家づくりではシステムキッチンやユニットバスや床暖房など、設備のほうが優先になるから、コストカットできる部分が木材になるとか。

家の木材をお願いする木材屋さんからそんな話をきく。流通のなかで林業が弱い立場にあること、林業者自体がとても少ないこと、それがポキポキの山に繋がっていることは想像がつく。

今は物が溢れているから、物を売ることはとても大変だし、耐久財となればそのハードルはどれほどか。空き家が溢れていて、サブスクで全国どこにでも住めるようになっていきそうな、家を持つことも不合理に感じられるようなところで、社会の需要と、住宅が不足していた時代に植えた木の量が、見合うことってあるんだろうか。建材以外に活路があるのか。輸出か。脱プラスチックの中で、木質系の素材開発が進んでいくと、風向きが変わっていくんだろうか。

ただ、資本主義に適応できない山は荒れていいかというと、そんなことないよね。

「自分でやる」資本主義の外側も引き込むことで、生活はおもしろく豊かになる、ほころびや矛盾に可能性がある、と思っていて、個人として山にできることはそういうところから繋がることなのだけど、山にはもっと大きな、公の論理が必要だと思う。

最近、二酸化炭素をより多く吸収する杉を扱う林業者には補助金を出す、みたいな法律が可決されていた。無花粉杉の開発も進められている。

二酸化炭素をより多く吸収する杉…人間に都合の良いところだけ切り取るやりかたは、山っていう全体のシステムを持つ対象と噛み合わなくて、また別の問題が出てくる気がするのだけど、そういう枠組みの取り方をしないと、行政もお金を動かせないのかもしれない。そういう公は公ではない。。

何もわかってないけど、今はまだ、興味を持った入り口に立ったところ。

自分が手を入れることで、山が姿を変えていくなら、そんなにダイナミックでおもしろいことも 、そうそうないよね。

ポキポキ折れていることには、苦しいなと感じるけれど、そもそも、よくもこんなに、見渡す限りの山に杉を植えたものだな、人ってすごいなとも思う。そういうことができたんだから、これから良くしていくことだってできるはず。

木材屋さんは、山で木を選びましょう、と言ってくれている。そのうち、山に床材を選びにいく。めちゃくちゃ楽しみである。


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