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絶滅してもいい

 出産した時、あまりの痛さ、もうただの拷問でしかなったなという痛さに、次産むことがあれば無痛分娩にしたいと思った。ただあんまりにも痛かったのと、無痛といっても痛くなる身体の仕組みが変わるわけじゃなく、麻酔で感じないようにするだけだから、無痛があたりまえになった後で災害とかで医療が享受できない環境になったら誰も子どもが産めなくなってほんとに人は絶滅しちゃうんじゃないかとも思った。それで、じゃあまあ無痛はやめとくか、と思ったりした。痛みの記憶をつないでおくか、みたいな。予定もないのに。
 でも出産について知っているのは「わたし」ではなくて「身体」のほうで、一生にそう何回もすることではないそのやりかたをわたしが知っていても知らなくても身体は勝手にそれをやってのけたのだから、無痛分娩があたりまえになっていても、それがないとなれば、いざとなれば身体がなんとかするんだろうとも思った。

 医療がなければ出産で死ぬ可能性はけっこう高いらしい。たしか妊娠中にきいた話では1/50とかだった気がする。出産は医療がなければかなり死ぬ可能性の高い特異な生理的現象だと言われた。これはその後自分で調べたことだけど、人は進化の過程でそうなってしまったので、動物がみんなそうなわけではない。
 いま「妊産婦死亡率」で検索したら、2003年のユニセフのwebサイトが出てきて、妊娠中から出産まで、サハラ以南のアフリカでは1/16の割合とあった。そして先進国では1/2800だと。医療の有無だけではない条件も重なるのかもしれないが、出産て何なんだ…という気持ちで頭がグチャグチャする。

 無痛分娩について考えていた時は、いざとなれば身体はできるだろうから大丈夫、というのだけじゃなくて、世界中に無痛分娩が普及することもないだろうから大丈夫、とも思った。そして生き残るのはそっちのほうなんじゃないかと。今のウィルスの状況下でそう思ったことを思い出した。そういうことを書こうと思った。
 でも数字を見て、違うと思った。生き残るとか残らないとかはどっちでもいい。全体は絶滅してもいいから、今生きているひとりひとりの人が幸せにあってほしい。

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