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ケロヨン堂は芳香剤の匂い──正しくないものと子ども

ステイホームのさなか、無性に不真面目なものが摂取したくなって、本棚にある蛭子能収のマンガを手に取った。読んでいたら、子どもが奪っていって、パラパラページをめくっている。しばらくそのままほっておいたら、内容を見た夫が「捨てる!」と激怒。いや捨てないよとヘラヘラしながら、これが一般社会の反応なのかなとしみじみした。

わたしが読んでいたのは『わたしは何も考えない』という一冊のなかの、「わたしは真剣な話が嫌いだ」というタイトルの、3人のサラリーマンが喫茶店で話していて、一人がオレは真剣な話が嫌いだ、くだらない話だけしろよといって、猥談とかくだらない話をして、そうそうそういう話が聞きたいんだよといって、「真面目な話をするんじゃねえぞ!」と、クワッと切れて終わるっていう話。

蛭子さんといえばテレビのトボけたおじさんのイメージしかなかったから、初めて読んだときはその切れ味にびっくりした。不条理の角度がキレキレで、くだらなさの発想が豊かで、さらに線や構図、特に色使いが格好いい。(とはいえなかなかグロテスクなので万人にはおすすめしない。耐性のある人はぜひどうぞ。)

この本を買ったのは大学生の頃、小田急藤沢本町駅の近くにある変な古本屋だった。たしかコミックキューが創刊号から全部揃っていて、祥伝社とかのA5サイズのマンガ、太田出版の本が充実していた。ほかにもマンガの品揃えが良かったので、たまに行っていたある日、棚にズラリと蛭子能収が並んでいた。

それでジャケ買いしたんだったか、いや、それより前に『わたしは何も考えない』が友人間で流行っていたんだったか、とにかく蛭子さんだ!と思って、たしか1冊100円くらいだった(値札がついたままのものを発見、52円だった。やすっ)ので、これは買いだとなって、それからさらに良く通うようになった。

レジにはとろんとした目つきが怖いおじさんと、ほんのりゴスロリ風味の色素の薄いギャルのどちらかがいた。店内には蛍光灯の白い光と、芳香剤の人工的な匂いが満ちていて、それらが醸し出す清潔感は、サブカルチャー系の商品ラインナップとミスマッチで、なんとも気持ち悪かった。臭いものに蓋をしてごまかすような芳香に、おじさんは店に何か隠してるのかとか、裏の仕事があるのかとか、ギャルとの関係性は何なんだろうとか、色々考えさせられた。

お店はケロヨン堂という名前で、スタンプカードにはおじさんかギャルのどちらかが、かわいいカエルのスタンプを押してくれた。シャレた感じとは無縁のよくわからなさが溢れてたけど、欲しいものがゴロッと棚に並ぶことがある、好きなお店だった。

藤沢本町駅周辺には当時、ガロ系の、青林堂の漫画がたくさん置いてある古本屋もあった。藤沢駅まで歩いていく途中に、大竹伸朗の画集が置いてある古本屋もあった。古めかしい小さい映画館も点在していた。どれもわたしが大学生のときにはあった。でも就職して実家を離れているうちに、全部なくなってしまった。藤沢市の人口は今も増え続けているのに、どうしてそういうことになるんだろうか。

小さな映画館はシネコンに、個人の古本屋はブックオフに、床面積がやたらあったCD屋はユニクロになったけど、個人店がなくなってしまったわけじゃない。魅力的な個人店は湘南地域は特に増えていると思うし、本屋もミニシアターもコミュニティスペースも農園も、想いのつまったあたたかな場が少しずつできてきている、そういう動きは確実にある。

だから、なくなってしまったのは、特別な理念を感じられない、感動も共感も応援もされない、でもなんだか面白かったお店なんじゃないか。

ケロヨン堂がなくなった経緯は知らないし、どこかに移転しただけかもしれない。モールや大規模チェーン店の台頭がなくても、その店は遅かれ早かれなくなっていたのかもしれない。

ただ、感動も共感も応援もされないお店も、存在していてほしい。

適当でヘンテコなお店も、存在できてほしい。

ソファの上に置きっぱなしていた蛭子さんの『バカウマ天国』を、また子どもがパラパラめくっている。これまた怒られるやつと思って、本棚にしまう。

脳科学的には、子どもが悪意や不条理を知るのは、ある程度成長してからのほうがいいらしい。まず必要なのは、自分が社会に受けいれられるという全面的な肯定感で、たとえば歴史を習うのが小学校6年生からなのは、戦争や支配や搾取、残虐性と切り離せない人の歴史を知るには、ある種のフィクションとして、距離を置いて受けとめられる基盤が必要だからだろう。という話を持ち出すまでもなく、2歳児に凶暴なマンガは見せない方がいい。倫理観がぐちゃぐちゃになりそうだし、無邪気に真似されても困る。

でもわたしはそれを捨てない。いつか子どもが出会う可能性を本棚に置いておく。この世には理不尽も暴力も存在する。よくわからないものがある。子どももいつかそれを知る。くだらないマンガにまで存在理由を求めるのはそれまた、さもしいのだけど、純粋培養で守るより、ある時期になったら触れさせた方が、耐性とかしぶとさを育てる気がするんだよなあ。


10代の頃はものすごく面白がって読んでたはずなんだけど、今読むとキツイところもある。蛭子さんほんとに狂ってるとも思う。それでいていまだテレビにヘラヘラ出ている。そのわからなさをわからなさとして置いておきたい。べつに理解したくはない。

ケロヨン堂の怪しさも、10代の過剰な、ある意味でロマンチックな幻想で、今思えば、たぶんおじさんは普通にいい人で、ギャルはけっこう歳がいっていた。全然違う雰囲気に感じられた二人は、わりと同じ領域に属す人で、夫婦でも特に違和感はない。強い芳香剤の匂いは、古本特有の匂いをとりたかった等の実際的な理由だったと思う。

店で買った本に店の匂いは残ってない。ただ古くなった紙の匂いがする。

あのおじさんは、ギャルは、いまはどこで何をしているのかな。

【連載】子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山で1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る暮らしと子育ての話。
前回の記事:ゆびさきとタブレットは苺の匂い、味はどこまで味なのか

【著者】籔谷智恵 / www.chieyabutani.com
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。

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