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「第十三帖・明石」2021/12/15 源氏ゆる語り

今回はまず謝罪から。
あたくし、この日の配信の最後で、酷いうっかりをやらかしてます。

住吉大社の場所のお話をしてましてね。
住吉大社って、ここなんですよ。地図参照。

住吉大社のサイトはこちらです。
https://www.sumiyoshitaisha.net/

滋賀で生まれ育ち、神戸の大学に通い、後に大阪の吹田市で6年ほど、そして高槻市で10年ほど暮らして、現在東京に住んでおりますあたくし。
家庭教師の仕事や音楽活動で大阪のあちこちに行ってはおりましたが、大阪といえど南北に広く、あたくしは生活圏に近い北寄りの一部地域以外は疎い。かなり疎い。

そして、一番の問題は、住吉大社に2回行ったことがあるのですが、その2回とも、東大阪で仕事を済ませた後に次の仕事が住吉大社の近くだったため、その間の時間にお参りをしていたのですね。

その「東大阪にまず行ってから」という部分と「住吉大社に行った」部分が記憶の中で混在しておりましたためか、なんと、この日の配信で「東大阪にある住吉大社」などという間違った紹介をしてしまったのです!!!

みなさま、大変申し訳ない。そして住吉大社の神様にも申し訳ない。

さらにいうと、住吉大社に行くには南海電鉄もしくは阪堺電車ですね。
最寄りは近鉄じゃないです。まぁ途中で近鉄を使うルートももちろんありますが、住吉大社の最寄り駅は南海か阪堺の駅です。これも記憶の混在によるものです。

配信後にご指摘いただいて、自分でも「あれ?ちゃうやん!」ってなって。もう心臓バクバクしました。ということで、翌週の配信の最初にお詫びと訂正をしてますが、こちらでも改めて。
大嘘をお伝えしちゃって大変申し訳ありませんでした。

しっかり調べて話すのではないちょろっとした余談の中にこういうミスが起こりがち。気を引き締めて配信せねばなりませぬな。
今後とも気をつけますが、それでも言い間違えなどは起こるものですので、みなさま、お気づきのことがあれば遠慮なくご指摘お願いいたします!

それでは、「第十三帖・明石」始めさせていただきます。
アーカイブはこちら

須磨の巻の最後に源氏が見た不気味な夢は、その後も数日間続いています。
暴風雨もおさまらず、雷もいっこうに鳴りやまない。ひどい雹が降ったりもする。
一方、都でも雨がやむことなく降り続き、政も途絶えている。何かのお告げかと皆が恐れているとのこと。
そんな中、住吉の神にひたすら祈りを捧げる源氏や家来たち。すると雷はいよいよ激しく鳴り響き、ついに源氏のいる神殿の廊に落ちます。

少し風がおさまったのを見計らって、焼け残った廊を避けて仮の場所でひどく疲れた体を休ませ、うたた寝をしていた源氏の夢に桐壺院の霊が現れます。13:30くらいからお話ししているところですね。
この時の桐壺院のセリフ、生前の罪とは何かということですが、これはよく話題になるポイントです。

ちなみにこの辺りでお話しした内容では、7:30頃からの「下々の民の言葉がよくわからない」みたいなのも、平安時代の常識としては面白いポイントですね。配信では途中から方言の話にそれてしまいましたが。
地域だけでなく、身分によっても言葉の差が大きく存在していたんですね。

そしてアーカイブ20:30くらいから、明石の入道がついに登場します。
住吉の神のお告げを受けて、源氏の元に舟をよこした明石入道。
系図、貼っておきますね。

あ、この日は本当に言い間違えが多くて、
23:05では、須磨の巻から通して「自分は無実の罪だ」と主張することの多い源氏に対して「罪がないくせに」と突っ込んでますが「罪があるくせに」の言い間違えです。ツッコミを間違うとはなんたること!
あと、23:44には源氏のいる明石の浦に到着したと言っちゃいましたが、源氏がこの時いるのは須磨の浦です。ちなみにこの言い間違いについては、28:15くらいにふと気付いて慌てて訂正してますが、その時に「今日ずっと言い間違えしてた」と思い込んで焦ってます。聞き直したら全部ではなかったですね。ここだけでした。

え〜、ちなみに源氏が暴風雨の中で、「どれほどの過ちを犯したからといってこの海で命果てることがあろうか!」と気を強く持って神様に祈っている件、配信でもお話ししていますが、ちとわかりにくいので補足を。
これは反語的表現で「自分はたいした過ちも犯していないのだから死ぬはずはないのだ!」という意味合いだと解説にございます。
前回の「須磨」の巻の最後にも、海を見ながら
「八百よろづ神のあはれと思ふらむ 犯せる罪のそれとなければ」
 〜八百万(やおよろず)の神も私を憐れんでくださるだろう、なんの罪も犯してはいないのだから〜
なんていう和歌を詠んでますよね。その後に突然の暴風雨が起こるわけですけども。

ただ、お別れの挨拶の際に藤壺さんには「少し思い当たることが」と二人の犯した大きな罪のことを匂わせていることから、このような不幸に繋がる罪が自分に全く無いなどとは思っていないだろう。ということは、ここでは源氏は神様にまでも藤壺との密通の大罪のことを隠し通そうとしているのか?なんていう解釈もありましてね。その話をしています。

なんにせよ、この状況でまだそんなに気を強く持てるとは…、さすが。
光源氏…、恐ろしい子…(白目) ←ガラスの仮面をご存知ない方、すみません。

さて、その後、源氏は明石への出立を決断(26:45くらい〜)、舞台は明石へと変わります。(31:00くらい〜)

ここで明石入道から、お告げについての話がなされます。
3/1の夢、そして3/13のお告げの符合。源氏が謹慎しに来たことは、住吉の神への明石入道の願かけの結果によるものなのか?源氏は導かれたのか?と読者に思わせるくだりです。上手くできてますよね!

そして36:00くらいからは、明石の入道の娘、明石の君のお話。
登場した瞬間から彼女にずっと付き纏うのは「身の程の自覚」
これは明石の君の設定の中心にあるんでしょうね。
ただ、源氏の美しさや気高さに圧倒されつつも、気位はきちんと保っている。田舎育ちと思えない気品と知性、そして思慮深さ。
これが「明石の君」です。

ちなみに作者は源氏の心情表現を通して、明石の君を巧みに紫の上と比較するように描き、読者に二人の違いを印象付けていきます。
これ、今後もすごく大事なポイントになりますよ。

そしてアーカイブ47:00頃〜。京ではさらに状況が悪化。
ここでも3/13という日付が大きな役割を果たします。
朱雀帝の夢に現れた桐壺院。
ここはぜひアーカイブで。弘徽殿大后、強すぎ。

52:45〜、明石ではついに源氏が明石の君と結ばれます。
ここでも強調される明石の君の「身の程の自覚」
しかし卑下する明石の君に対して、源氏は身分の上では見下してはいますが知性や教養、気品については「六条御息所に似ている」という評価を。
これは源氏に一目置かれているということでもあります。

ただ、ここでもやはり作者は一貫して紫の上の立場の優位性を強調(57:00〜、1:02:30〜などで詳しくお話ししています)
ちなみに紫の上との文のやりとりでは、源氏に対する紫の上の返事の内容とその女としての成長っぷりも見ものですね。
皮肉が上手くなってる!!ww

その後も交互に語られる二人の女君と光源氏との関係性。
しかし、その上での紫の上の圧倒的な存在感、優位性、ヒロインとしての絶対性。紫の上という人物が、この物語の女主人公であるのだということを、読者は確信せざるを得ません。
絵日記の件なんかは特にね。これ、かわいいし、素敵ですよね。

1:10:40〜都ではついに朱雀帝によって源氏を許す宣旨が下されます。
彼は母弘徽殿大后の反対を押し切って、決断しました。ようやく。

一方、1:12:55〜明石では、許されたのは嬉しいけど、源氏はちょっと寂しくなってます。ええ加減にせぇよ、オマエww
まぁでも自分の子を孕った明石の君のことをますます愛おしく感じていましたのでね、仕方ないといえば仕方ない。
別れを惜しむ源氏と明石の君。とても雅なやりとりです。アーカイブでぜひ。

そして源氏の2年半にわたる謹慎生活が終わります。何が謹慎やねんて感じもしますが、まぁ、都から離れて冠位も奪われてましたしね、謹慎なんでしょう。楽しい謹慎やのう…ww
衣装や都への土産として申し分ない贈り物なども明石入道が全て準備してくれて、盛大に見送られ、源氏は京へと出立します。

源氏一行は、難波(なにわ)に着いて祓(はらえ)を済ませ(難波は古くから祓の名所でした)、暴風雨の時に願をかけまくった住吉の神の御社には無事帰京したら改めてお礼参りをするという旨を使者に伝えさせて、紫の上の待つ二条院に帰り着きます。

一段と大人びて美しくなった紫の上との再会。
そして官位を取り戻すどころか、出世もする源氏。
朱雀帝との語らい(読んでいて「貴方は謝らなくていいよぅ」と帝を庇いたくなる。本当にこの人はお気の毒。そして優しすぎる…!)
それから実は罪の子である東宮もまた、立派に成長しています。
こうして、源氏は都で返り咲くのです。

最後に、これです。今回のnoteの冒頭に訂正した住吉大社の話(1:24:30〜)
ああ、こんなことなら余計な雑談をしなければよかった〜。
東大阪ではありません〜〜〜。
最寄りは近鉄の駅ではありません〜〜〜。
再度訂正しておきます〜〜。ごめんなさい〜〜。

ということで、平謝りで終わることになりましたが、今回の配信のご紹介はこの辺りで。
お恥ずかしいですが、めげずにアーカイブ貼っておきます〜。


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