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「第九帖・葵」2021/11/17 源氏ゆる語り

さぁ!ついに来ました!!
最も有名な、と言っても過言ではない、この巻。
「葵」です!長くなるけどついてきて!

系図を先に載せておきましょう。

ちなみに六条御息所の配偶者である故「前坊」とは亡くなった東宮(皇太子)です。桐壺帝の時代に東宮になった人(桐壺帝の弟)ですが、早くに亡くなってしまったんですね。第一帖では既に亡くなってまして、東宮不在になってます。それで後に桐壺帝の第一皇子が東宮となりまして、この巻で桐壺帝の譲位に伴い朱雀帝となります。

六条御息所は将来的には帝の妃となる予定の人だったのですが、夫が東宮のうちに亡くなってしまい、未亡人となって後宮を出たという、お気の毒な女性なんですね。
そんな年上女性を恋人にしてしまい、挙げ句の果てに「相手が上品で素晴らしすぎて気詰まりだ」なんて冷たくなっちゃうんだから、ほんっとに光源氏ったら、若気の至りとはいえ酷い話です。

葵の上もそうですけど、お妃になるべく一流の教育をされてる高貴な身分の娘というのは、プライドも高いわけですよ。
そういう意味では、未亡人となって後宮を去った六条御息所も、妃として入内するつもりだったのに東宮ではなく臣下に降った光源氏の妻にさせられた葵の上も、ある意味、自分の人生をとても不本意なものと感じていたという点で共通していたとも言えるんですよね。

さて、前置きはここまでにして。
この巻は本当にお話しすべきポイントがありすぎて。大変…。

まずは冒頭から猫が恒例の邪魔をいたしますがww
4分くらいのとこから、この葵の巻での社会情勢の変化についてお話ししています。これも大事なポイント。桐壺帝の譲位によって、少し源氏にとっては窮屈な世の中になってきています。ここは押さえておきたい。
系図を確認しながら聞いていただくとわかりやすいかと思います。

9分40秒〜この物語で重要な役割を担う六条御息所、そして他の女君たちの現状などをお話ししています。

あ、そうそう、伊勢斎宮についてなんですが、
六条御息所の娘は帝の娘(皇女・内親王)ではありませんが亡き東宮の娘であり先帝の孫(女王)ですので、斎宮としての候補に入っていました。
先代の斎宮が退下すると、未婚の内親王もしくは女王(かつて天皇の2~5世孫までの女子がこう呼ばれた)から選ばれます。
これ、説明し忘れてましたね。ここに補足します。

娘が斎宮に選ばれたことをきっかけにして、一緒に伊勢に下ることで源氏との関係を精算しようかしらと悩む六条御息所。切ない胸の内ははかりしれません。

そして!!
17分頃〜、葵祭での車争い。これはもう、聞いてください。
本当に辛い。話してても辛い。改めて書くのも辛い。
20分過ぎからお話ししてる六条御息所の心のうちの哀しさたるや。
泣きそうになりますよ。
恋しい源氏の晴れ姿を、奥の方に追いやられた車の中からそっと見つめる。
彼は自分に気づくはずもない。おそらく見えてないだろう。
こんな思いをするなら、やはり来るのではなかった?…いいえ、もしこの美しい晴れ姿を見逃したなら、それはとても残念だったことだろう…と。
はうううう、哀しすぎるやないですか!

一方で、翌日の源氏の呑気さよ…。
もちろん、前日の車争いの報告を受けて、源氏は六条御息所のことを気の毒に思います。すぐにでもフォローしたい…けど、伊勢に向かう前の禊の期間である斎宮がまだ御息所と一緒に暮らしてるし、そこに自分が行くのはマズいよな〜などと思いつつ、自分は可愛い若紫ちゃんと祭り見物ですわ。
若紫ちゃんの前髪を切ってあげたりなんかして。ほのぼのしてますわ。
この呑気な感じの後に、また六条さんの苦悩っぷりが描かれるんですから、余計に「源氏、てめこの!」ってなりますよね。
なりません?私はなりますw

28分過ぎからお話ししている六条御息所の苦悩。
「世の人聞き」や「人笑へ」をとても気にする彼女。
その後に続く左大臣邸での葵の上の病状の悪さ。
そしてまた六条御息所の思い。
この辺り、交互に描かれることの効果に注目していただきたいところです。

六条の苦しみ 
源氏が六条を見舞うもすれ違う二人の思い
帰っていく源氏を見送る六条の切ない思い
断ち切れない恋心、そして未来への絶望

六条さんの苦しみがどんどん深くなることを描いた直後に、左大臣家で葵ちゃんがひどく苦しむ。そしてまた六条が!
この「カメラの切り替え」みたいなのがね、どんどん早くなっていくんですよ。どんどん切り替わる間隔が短くなっていくことで、物の怪と六条御息所がだんだん重なっていくような…そんな効果があるんです。
そして時折挟まれる人びとの噂。六条御息所の生き霊が光源氏の正室の葵の上を苦しめていると。
しだいに六条御息所本人も、「もしや本当に私が…」とますます思い詰めていくんです。

アーカイブ41分頃からお話ししてる「思ふもものを」のくだり。
これ、本当に切ないですよね。と同時に、作者のセンスに唸ります。
ちなみに「思うもものを」という一言は出典不明の和歌を元にしています。

『源氏釈』(藤原伊行によって平安末期に著された現存する最も古い『源氏物語』の注釈書)は
 「思はじと思ふもものを思ふなり 言はじと言ふもこれを言ふなり」
という和歌が元になっていると解説してまして、
『奥入』(藤原定家によって1233年ごろに著された注釈書で『源氏物語』の注釈書としては『源氏釈』に次いで古い)は
 「思はじと思ふもものを思ふなり 思はじとだに思はじやなぞ」
という和歌が元になっていると解説しています。

どちらも、「思わないでいようと思うことも結局は、思ってしまってることになるんだよね」っていう意味です。
源氏のことを思うまい、もう思うまい、そう思うことがすでに彼を思っていることなんだと思い知ってしまう。切ないぞ!六条さんよ!

そして、アーカイブ43分くらいから、源氏と物の怪とがついに対峙します。
ここはぜひ、聞いてみてください。聞いてほしい。

そのうえで、49分頃から、ここまでの生き霊事件についての作者の思惑についてお話ししてるんですが、これをね、ぜひ一緒に考えていただけたらと思います。
重要なポイントは「作者の紫式部は物の怪をあまり信じてなかった」ということ。

紫式部集にこんな和歌があります。
「亡き人にかごとをかけてわづらふも おのが心の鬼にやはあらぬ」

この和歌は「物の怪のついた醜い女の姿を描いた背後に、鬼の姿になった先妻を小法師が縛っている様を描いて、さらには夫がお経を読んで物の怪(鬼の姿になった先妻)を退散させようとしている場面の絵を見て」紫式部が詠んだものです。
現代語にすると
「妻についた物の怪を、夫が亡くなった先妻のせいにして手こずっているというのも、実際は、自分自身の心の鬼(後ろめたさや疑心暗鬼)に苦しんでいるということではないでしょうか」
というような意味です。

物の怪は自分の心の中にある疑心暗鬼が見せるものだと。
こんなことを和歌に詠んでいる人が、大真面目に物の怪を信じて物語を描くはずがありませんよね。

配信の中でもお話ししましたが、
かつて私は、物の怪を信じていないからこそ作者は「この生き霊は六条御息所ではないという余地を残そうとした」という説を踏まえて、この段のお話をしていました。

六条御息所が思い詰めていく様子と、左大臣家で葵の上が苦しむ様子、そして人々の噂、源氏とのすれ違い。これらをジリジリと交互に描き、その切り替えをどんどん早くしていきながら、「六条さんの生き霊と信じる人は信じればいいわ。でもあくまで源氏が勝手に思い込んだだけ。噂に踊らされただけ。六条さんも思い詰めてしまっただけ。証拠は何もない。私はどこにもはっきりしたことは書いてないのよ。物の怪なんて心の鬼が見せるものなのよ。でもみんなそうは思ってない。だから、わかる人だけそれがわかればいいわ」なんて独りごちつつ、紫式部がほくそ笑んでいたのではないかしらと思っていました。
物の怪を信じている人がほとんどだから、あえてどっちでも取れるような余地を残して自分の信条をそこに隠し込んだ、と考えてたんです。

今は少し考えが変わりました。
紫式部がほくそ笑んでいると思うのは前と同じです。そして、物の怪を信じてない作者が「どこにもはっきりした証拠は描かず、現代において科学的にも説明できるような語り方で生き霊事件を描いている」という点においても、以前と捉え方は変わっていません。ほんと脱帽します。

ただ少し以前と考えが変わったのは「物の怪を信じてないからこそ、物の怪を演出して描ききったのだ」と思うようになった点です。

つまり、
「ほんとは物の怪なんて信じてないけど、みんなは信じてるからこのように描いた上で、わかる人にはわかるようにしておくの」という消極的ともいえる姿勢じゃなくて、
「ほうら、六条御息所の生き霊としか思えないよね〜。そういう風に書いてるからね〜。ほらほら、そうとしか思えないでしょ〜?」って、ガッツリ創作してる姿勢。信じてないからこその、「現実には無いことを真に迫るように工夫して描いている」という姿勢。こっちだと思ったんです。

彼女の中では「証拠は何もない」なんて当たり前なんでしょう。だって結局は「心の鬼」なんですもの。だからこそ、証拠がないのに源氏や六条御息所が「生き霊」と信じ込んでしまうように、そして読者も当然のようにそう信じて読むように、彼女が力を入れて「物語(フィクション)」を書いたのではないですかね。

だからこそ、千年経った今でもリアリティたっぷりに読めてしまう。科学的にも幻臭とか自己暗示とか人の噂の影響とか疑心暗鬼による思い込みとか、そういう風に説明できてしまう。彼女がよりリアルに生き霊事件を描いたからなんですよね。ファンタジーではなくリアルに迫る小説を描いたんです。
ま、その意味でも、思考が何百年も先に進んでますよね。うん。
かっこいいなぁ紫式部…って改めて思います。うっとり。

さて、力の入った補足説明になってしまいましたが、配信ではこの後58分くらいから、葵の上との死別のシーンをお話しします。
これがまた、もう!!なんでしょう、この上手さ!絶妙のフラグの立て方!
生き霊についての話で今までになく長くなってるので、ここにはもう書きませんが、アーカイブ聞いて。ww

その後の悲しみの様子、関係者とのやり取り、そして六条御息所との文のやりとりなども、見どころでございます。
六条御息所、本当にかわいそうですよね。切ないです。

そして、葵の巻、ここで終わるかと思いきや!!

1:07:30くらいから、お話は急展開します。
こんな事件が起こっている間に、女としてずいぶん成長した若紫ちゃん。
そう、ついに源氏は彼女と新枕を交わすのです!!
おい!オマエ!早くないか!?
いや、しかし、ようやく…ともいえるかもしれません。
正妻の葵の上が亡くなった後、大切に育んでいた若紫を改めて自分の「女」として迎え入れる。
ちなみにこの新枕の場面は大変特別な、珍しい描き方をされます。
こんな新枕の表現は、他にないのではないかしら?

正式な結婚ではないが、正式な結婚の儀式に則った作法。
それは彼女を大切に思っている証です。
しかしそれは世間に知られず、秘密裏に行われます。
彼女の裳着と、実の父である兵部卿宮への知らせは後になるんです。
これについては1:23:25からお話ししてます。
実は重要な問題なんですよね〜。まだ全部はお話しできませんが。

ちなみに1:18:30くらいから、世間では源氏の正妻の死をどう捉えているかのお話もしてます。
前の巻で恋仲になってしまった朧月夜さんのことも。

いや〜〜、すっかり長くなりました。
この巻は仕方ない。だってモリモリに大事なことが詰まってるんだもの。
というわけで、最後にもう一度アーカイブを貼っておきます。



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