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学ぶことで自由になる。

学ぶことを「高尚なこと」と思うなかれ。
課題があるから学ぶのだ。それはいずれあなたを助ける。

先の記事。一人で初めて過ごす大晦日に、あまり仲が良くなかった母に、大晦日電話してしまったという話を書いた。

私が就職した時に、第一希望の病院(の附属看護学校だった)に就職せず、隣県の大学病院に就職し、初めて、自由になれる、となぜか思った。

我が家は多分、非常に厳しく、自由度も低く、洋服も決まったお店のものか母のお下がり、興味を持った習い事も、「夜に出かける」という理由だけで、高校生になっても許してもらえないというちょっと特殊な環境だった。
何か教育哲学があるというわけではなく、その理由がわからない指導を受けるので、未熟な私は常に混乱し、怒られないように生活するだけで精一杯で、
いつも頭痛がしていたように思う。
学校も、地域で一番の学校を望まれた。
それを日々経験すると、子供というものは「自分の安全のために」行動するものだ。

私は、心理学の本や哲学の本などをよく読んだ。

そして気がついたのが、母は「きずな喪失症候群」ではないかということだ。

それに気づいてからは、自分なりに対処法を学んだ。
そして最近は、彼女は「愛着障害」だったんだろうと理解した。

その息苦しい毎日を経験しても、やはり思うのは、
「自分で首につけたリードを噛みちぎる」ことができたことは、さまざまな先人の哲学者や心理学者の知恵に感謝だ。

   誰だって口に出せないことがあって塞いでいる
   自分でつけたリードを噛み切った獣

”Mirage collective”の歌詞の一説  


いわゆる高偏差値の大学に行くはずの進学校と言われる高校から、教師に「専門学校は前例がないから進路指導できない」と言われ、学歴を気にする親からは反対されても、「看護師」になるための「専門学校」にいった。

両親が震撼するほどの初めての反抗だった。

学ぶことで、私は本当に自由になり、自分を取り戻した。
自分を傷つけたり、変な道の手招きに逃げなくても、
学べば、不自由から心から自由になり、そして、環境としては、元の不自由な生活に戻っても、自由な心と人生を取り戻すことはできる。

学ぶことは、学校の勉強だけではない。

そういう過程を知っているから、私は自信を持って言える。
アクセサリーや人をマウントする学歴を身につけるのではなく、
本当に学んで、自分を楽にしてほしいと心底思っている。

そんな高尚なことは望んでいない、という病院や指導者を見るたびに
がっかりする。

学ぶことを「高尚なこと」と思うなかれ。
課題があるから学ぶのだ。それはいずれあなたを助ける。


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