痛みはヒーリングプロセスの一環

こどもの頃から症状のあるアレルギー性炎症に対しても
今月から痛みだした五十肩にも
我慢できる範囲なら、薬は飲まない。
半年くらい前からそんな姿勢でやっている。

我慢できるなら薬を飲まないのは、治癒の過程でかゆみや痛みが生じているという流れ・理由が理解できたから。
納得できたから。

なにか、身体に異常が起こる。
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そしてそのあと、どこかの時点で炎症が起こる。
それは「治癒のため」に。

炎症は、●異物をを排出するためだったり、●身体の硬直やゆがみをとるためだったり・・何かの理由があっておこる。
アレルギー物質だとか、なんらかの刺激だとかは引き金でしかない。
燃えているのには理由がある。
必要だから生じる。
なぜ炎症がおこったのか?
そこに思いを馳せて、さぐっていく。

もしも生活態度に気づきがあればそこを改善しつつ、症状を経過させる。
経過をさせ、症状が治まったとき、身体は以前よりも良くなっている。

どうしても辛いときには、薬もしょうがないと思う。
必要悪というのもあると思う。
バランスということ。
このとき大事なのは、問題の先送りの自覚を持っておくこと。
痛みやかゆみはなくなっても、治癒のプロセスを止めたということを理解しておくこと。
服薬する薬の副作用にも気をつけること。

そして急性期を脱したら。できるなら副作用がない、あるいは少ない緩和のアプローチを取り入れながら、症状を経過させる。
それができたら、以前よりすっきりと生まれ変われるのだと思います。

<参考文献>
風邪の効用   野口晴哉
からだは嘘をつかない  アレクサンダー・ローエン
新・免疫革命  﨑谷博征

他にもいろいろな本があるのですが、今の心境や考えにいたるのに、特に影響を受けた3冊です。

ものごとの本質はシンプルだと、この分野でもまた感じました。🙏

(からだは嘘つかない より抜粋)
『病気はすべてからだが健康になろうとする試みであるといえるでしょう。
すべては、からだが感じていることと闘いそれをコントロールするのか、あるいはそれを理解し寄り添うのか、にかかっています』 P23

『動けないわけではなかったので、医者にわが身を任せたくなかったのです。
自分のからだに対する責任を、他人にゆだねたくないのです。
動き回れるかぎりは、からだが自己治癒すると信じていたからです。さらに私は、痛みがヒーリングプロセスの一環であるとの認識があるので、痛みに対して恐怖がありません。』 p197   (抜粋おわり)


「私は、痛みに対して恐怖がありません」
・・・🙏

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