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自己肯定感と自己受容

2022年末のあなたへ備忘録兼日記兼お手紙22通目。

2022年ももうすぐ折り返しにさしかかる。あと半分、ぼちぼちやろう。

さて。

ここ数年、自己肯定感について考えていて、最近ちょっと新たな展望が見えてきたのでそれについて一席。

私は自己肯定感が低い

私は欠点も多く、能力的にも人に劣るところが多い。 

若くもない、仕事でバリバリ有能でもない、誰とでも仲良くなれるコミュ強でもない。

中途半端で低スペック。

客観的事実はどうだとか、それが正しいとか間違ってるとかではなく、そう思っている。

そう。私は自己肯定感が低い。

幼少期から自己否定、自己卑下が当たり前の半生を送っていた。

自分は人より劣ってる

人並み以下だから普通の人以上にがんばらないと

そう思い、そして人並みにできない自分をまた叱咤する。

とうとうしまいに過呼吸とか出始めて、どうもこの自己否定癖はいかんぞ、と気がついた。

世の中に「自己肯定感を高める」という意識や気運が高まっていたこともあり、ここはひとつと、自分の中のボキボキに折れた自己肯定感を修復することにした。

自己卑下が生む悲劇

思えば、自己卑下ピークの時は、一呼吸ごとに「自分は役立たず」「自分には価値がない」「努力が足りない、怠け者」と自分に毒を吐いていた。

無意識のレベルで自分で自分に毒を吸わせていたのだろう。

そりゃ体もおかしくなるよね。

しかも残念なことに、自分へのダメだダメだという叱責は、そのまま自己暗示になって本当にダメな自分を形作ってしまう。

そうして作られたダメ自分に絶望して、またさらに自己否定感が強化され…

もう、完全に負のループだ。

負ループ。

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フルーツならかわいいのに。

自己肯定感の基盤とは

自己肯定感を高めるための基盤となる意識の核は、おおよそ次のようなこと。

どんな小さなことでも、自分のいいところをほめる

当たり前にできてることだって、実はそれはすごいこと

人類全員に好かれようとしなくていい

ささやかでも、小さな成功体験が積みあがって自己肯定感を支える基盤になるってことらしい。

フム、なるほど!

よー--し、自分をほめるぞ!

と意気込んでみたものの…。

自己肯定感=成功体験なのか?

しかし待てよ。自分のことを褒めようとした時に

自分自身がすごい賞賛に値する何かをできているのか?

…いやできてないでしょ。

仕事で稼ぐとか、マンガでバズるとかじゃなくていいと言っても

朝、時間ぴったりに起きれて…ないな。

時間に遅れず家を出れて…ないな。

今日もスマホ見失ってバタバタしてたな…。

ポンコツすぎてほめるとこないじゃん!

そんな自己矛盾にはまりこんだ。

自己肯定するためには、それに値する成功体験がないといけないと思ってしまったのだ。

すると今度は、

自分をほめられない自分

自分を好きになるべきなのに好きになれない自分

ができあがってしまった。

自己肯定の基礎の基礎、「自分をほめて、好きになる」ができない自分。

こんな、基本的なこともできないなんて…。

またしても負ループにはまる自分。

私には自己卑下、自己否定しか残されていないのか…?

しかし、最近こんな言葉に出会った。

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…どゆこと?

嫌いな自分を受容する

自分を肯定できなくても、嫌いでも、それでもいいんだと受容する

自分のことをほめられない

自分を好きになれない

でもそんな自分だってアリだよね、と受け容れる

そんな考え方もあるのか、と私にはかなり腑に落ちることができた。

そりゃそうだ。

人間どうしても失敗することだってあるし、自分にどうしようもなく腹が立つこともあるんだし。

そんな時、失敗体験に加えて、ああ自己肯定できてない…ってさらに落ち込むのって余計ツラい。

そんな時でも、「こんな自分は嫌いだけど、まぁ、がんばってるよね、お疲れ様」とねぎらうくらいならできそうだ。

そうすれば、たとえ自分で自分を嫌いでも、気持ちはいくらか楽になれる。

私、ダメな部分いっぱいあるけどそこ込みでがんばってるよ、それなりに。

てな感じで、自己否定する自分も肯定していくことにした。

そんなことを考えて描いたマンガがこちら↓

長い人生、自分の機嫌をよくする手段はいくつあってもいい

好きなところは少々、嫌いなところはたくさん。

そんな自分だけど、まぁまぁ折り合いをつけて仲良くやっていこう。

そんな話。

ではまた次回。

読んでくれてありがとう。

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