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まやかしとしての「平等」

 こんにちは、チーフKENです。noteではお久しぶりの投稿になります。およそ4ヶ月ぶり?これまでの間、ありがたいことに多くの企業案件をいただいており、そちらの仕事をしていました。
 さて今回のテーマですが、少し哲学的な要素を取り入れたお話をしたいと思います。
 私たちが住んでいる日本という国は憲法によって「平等」が保障されています。世界規模で物事を見てみれば、憲法で平等や権利が唱えられている国は少数派でしょう。そういう意味で日本は誇り高い国家です。
 一方で、もう少しミクロな視点で物事を見てみましょう。私たちの日常生活等を考えるとき、果たして「平等」と言えるのだろうか。私がふと思ったことをつらつらと書き並べていきたいと思います。


着眼点①:食事

 私たちの日常生活の中で欠かせないものの1つが食事です。1日3食、最低でも1食は食べ物を口に入れているでしょう。この食事から見ても、ある意味での格差があるのではないかと考えています。
 大半の人々は会社などといった組織に所属しているでしょう。組織に所属している以上、時間的な自由、場所的な自由が制限されてしまうことは不可避です。当然ながらランチの時間もきっちりと決められているのが大半でしょう。決められた時間の中での食事は軽く済ませられるもの、ないしは流し込めるもので済ませるパターンが多いです。コンビニ等のサンドウィッチやおにぎり、牛丼を5分程度で流し込むということが例として挙げられます。
 かたや一方で、時間的に余裕があり、高額なランチを2時間かけて食べる人々も存在します。いわゆる「港区女子」ではないですが、3000円するランチを時間をかけて食べるというパターンもあります。
 3000円の食事を数時間かけて食べる人々、300円の食事を数分で流し込むように食べる人々、どちらも存在している現代社会を「平等」という言葉1つで片付けられるのか。少し疑問を持っています。


着眼点②:働き方

 働き方に関しても甚だ疑問に思うことがいくつかあります。リモートによる在宅ワークができることが明らかになった2020年代ですが、そんな中でもラッシュアワーの満員電車に揉まれながらわざわざ通勤する人々もいます。朝からストレスフルな環境で通勤し、決められた時間に決められた空間に拘束されるのが当たり前とされています。
 かたや一方で、時間にも場所にも縛られずに仕事をしている人たちがいることも事実です。自宅だったり旅先だったりお洒落なカフェだったり。それでいて普通の会社員よりも何倍も稼いでいるというのがほとんどです。
 どちらも存在している現代社会を「平等」という言葉1つで片付けられるのか。かなり疑問に思っています。


着眼点③:お金

 私たちが常に考えているのがお金です。収入、資本金、税金、借金など種類は様々です。間違いなく不平等は存在しています。
 しかしお金に関しては、知識によって有利な位置に来れると思っています。まずお金に関する知識は学校では絶対に教えてくれません。読書など、自分で勉強していくしかありません。こういった自分で勉強するかしないかで大きな差が開くことになります。
 少し残酷なことを言いますが、無知であれば権力者や頭の良い人たちに搾取され続ける人生のままです。それが嫌なら勉強するしかないと思っています。少なくとも私は絶対にそんな人生は嫌です。だから日々学び続け、そして実践に移しています


さいごに

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」というセリフ。どこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。このセリフはまさに今の現代社会を的確に示しているのではないでしょうか。
 お金については学校では教えてくれず、自分自身で情報を掴みにいくしかないこと。働き方や生き方など自分の知らない世界があること。世の中は必ず勝者と敗者で分かれること。
 これらすべて、平和ボケな思考回路で生活をしていると気づくことはまずありません。
 さらに今後の日本は人口が減少していき、消費税をはじめとした税金の課税率は間違いなく上がっていきます。年金制度も崩壊する可能性が高いです。社会保障も機能しなくなるリスクが大きいでしょう。
 そのような未来が訪れる中で、無知でい続けることは自殺行為と言っても言い過ぎではないです。
 無知であると搾取される人生で終わってしまいます。是非とも知識への投資はしていただきたいと思います。


チーフKEN

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