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モーツァルト/リスト編:アヴェ・ベルム・コルプス(一隅を照らす)

台風が近い。大型で交通機関にも支障がでるという。こうなると会社のメールには、落ち着かないやりとりが、休日深夜関係なく入ってくる。各地で演奏会をしている複数のアーティストたちの動きに注意が必要になるからだ。早めに移動させる、万一の場合に備えて代役を立てる、早め早めの対応が重要になる。

そして多くの場合、さらに「気づいていない何かがあるかもしれない」と気になってくる。マネージャーは心配性の人が多い。ビックアーティストを成田空港に迎えにいって2時間待つことがざらでも、「フライトが偏西風に乗ったらしく早く着いたよ」と連絡を受けるかもしれないと思わずにいられない。(実際にこの経験をした人多数)

ふっと頭をよぎる。それはどこからやってくるのだろう。始めはぼんやりしていても、次第にくっきりと、小さく固くまとまって、何度も頭に浮かぶようになる。気がついていたのに、やらなかった後悔を知っている者に、この小さな固まりは痛い。

この夏、医師、中村哲氏のアフガニスタンでの活動を紹介するドキュメンタリー「荒野に希望の灯をともす」が上映されていた。存命だった2018年の新聞記事に「なぜそこまで?」と問われ、「『できるのにやらなかった』では後悔が残る。自分に対する一種の見え、ですね。私は古い人間なので、、」と紹介されていた。大切にしている言葉「一隅を照らす」がその根底にあるとも書かれていた。(2018年10月21日 日本経済新聞 聴診器をスコップに替えて アフガンの砂漠に緑の奇跡)

後悔を残したくない、果たしてそれだけで戦火のアフガンで、井戸を掘り、用水路を拓けるのだろうか。それは、このドキュメンタリーの映画監督も同じように感じていたようだった。

「どうして中村医師は、肉体を酷使し、自分の全存在を懸けて、活動することができたのか。」行き着いた答えは、2002年に悪性の脳腫瘍のために10歳で他界した次男の存在だった。中村さんは著書の中で、次男の死についてこう記している。<見とれ、おまえの弔いはわしが命がけでやる><空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちが、いっそう分かるようになった>
2022年7月26日 毎日新聞 中村哲さんが求めた平和

「一隅を照らす」は、「人が見ていようがいまいが、置かれた場所で精いっぱいやる」という最澄の言葉と知った。この場合、照らすべきは自分の心の隅で生まれた気づきひとつひとつでもあるのではないかと思わずにいられない。自分の気づきに応えているか。問われたことに応えているか。10歳の子の死という不条理に、闇にあって自分が灯りとなることで応えたのだと思うと、中村医師の決意の深さに、圧倒される。

映画の最後に「アヴェ・ベルム・コルプス」が流れる。中村医師の三女が「父はこの曲が好きだったと思います」と父を思って弾いているという。

(TOP画像は毎日新聞の記事からお借りしました。)

モーツァルト/リスト編:アヴェ・ベルム・コルプス 金子三勇士
(金子三勇士さんのジャケット写真は別の曲のためのもので、この曲のイメージとはあってないのが、何ですが、、)


ポレポレ東中野で上映中。全国順次公開予定とのこと。私は東中野にいけなかったのでDVDで。
2018年10月日経新聞の記事(右)と2022年7月毎日新聞の記事(左)

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