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バッハ:マタイ受難曲

マタイ受難曲とは、いかにも重いタイトルだ。絶対に私には書けないテーマだが、しかたがない。タイトルにはクラッシックの曲名を使うと決めてしまったし、自分とのお約束の締切を何日も過ぎて、こんな日になってしまった。あまりにも荷が重いので、今回はお休みにしてしまおうかとも思ったが、逃げるといいことはない。向き合うまで追いかけられる。
 
十字架にかけられるキリストの受難をテーマにした受難曲は「聖金曜日」前後に演奏されることが多い。今年は4月2日(金)。今日だ。

聖金曜日とはキリストの復活を祝う祭(復活祭)の前の金曜日、復活祭(イースター)とは春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、そして、復活祭を迎えるために静かに暮らす期間、四旬節(復活祭の46日前の水曜日から、復活祭の前日まで)の前に、しばらくお肉も食べられないから、ちょっと楽しく騒いでおこうというのが謝肉祭(カーニバル)になる。

職場でのランチタイムに「一番泣ける曲は何か」で盛り上がったことがある。これはマタイ受難曲がダントツだった。誰にとっても「このとがめを受けるべきはわたしなのに。あなたはその罪を被られる。」は痛烈に響くのだろう。

有名なのは、「ペテロの否認」とよばれるシーンだろうか。最後の晩餐の席で、イエスの一番弟子ペテロは、「今夜、鶏が鳴く前に、おまえは私を知らないと3回言うだろう」とイエスに予言される。「絶対そのようなことは申しません!」と誓ったのに、ペテロはイエスを捕えようとする群衆に囲まれ下女に「この人はイエスと一緒にいました」と言われると「何のことを言っているのかわかりません」と答える。1回目。「この人イエスと一緒にいました」「そんな人知りません」2回目、「おまえもあの連中の仲間だ!」「そんな人は知らない!」そこで鶏が鳴く。あぁ、、このことだとペテロは思い出し、外に出て激しく鳴く。そこで、有名なアリア<神よ、憐れみたまえ>が、引き裂かれた心がすすり泣くように始まる。

まさにbreathtaking(息をのむ)美しさのアリアが、いっそう深くペテロの嘆きを際立たせる。「責められるべきなのはわたし」であるのに「あなたがその罪を被る」のに、いくら許しを乞うても取り返しがつかない。自分の弱さ、卑怯さを悔やんでも悔やみきれない。

その嘆きはペテロだけのものではないだろう。この旋律に胸がしめつけられる人は皆、自分もペテロであることを知っている。

それでも自分の価値を否定することが罪であるならば、いかなる人の価値も否定しないことが信仰であるならば、弱いものはどこへ向かったらいいのだろうかと行き止まる。遠藤周作の「沈黙」も同じテーマのように思える。


バッハがカントール(教会の音楽監督)を務めた聖トーマス教会合唱団のマタイ受難曲 第39曲<神よ、憐れみたまえ>は1:12頃から

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聖トーマス教会合唱&ゲヴァントハウス管弦楽団は日本でも度々「マタイ受難曲」の公演を行なっている。

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画:カラヴァッショ「聖ペテロの否認」

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