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久しぶりに書いてみる

5月に転職してから、時間的にはかなり余裕があったのだけれど、あれもこれも勉強しなきゃ感があったせいで、プライベートなことを整理して書くことができていなかった。

こんなほったらかしのnoteですが、以前の投稿に「スキ」の通知がたまに届いて。こそばゆいような不思議な気持ちになった。

「現在の誰か」が「過去のわたし」に向き合ってくれたこと。

「現在のわたし」は、恥ずかしくて「過去のわたし」に向き合うことを躊躇ってしまうのに。

現在と過去が対峙する時間のラグ。

多くの人が既に意識している常識かもしれないけど、書き物というのは、すべて時間のラグを孕んでいて、ある一時点でのわたしの意思・感情が、今のわたしとは分離して、独立して存在している。

コントロールできない何か、になってしまったようで少し怖い。

でも、文字として残して置かなかったなら、今のわたしに欠片として引き継がれている部分を除き、消え去っていたものたちであり。

あったのに、なかったことになることも、もっと怖い。

この間、二十歳頃に書いた日記をふと開いて、あまりに別人格がいてびっくりしてしまった。

若くて、少し生意気。だれ…?

今のわたしとあまりに違うから、知らぬ間に葬り去ってしまった誰かに思えて、生きて日々変化していくことは、同時に自身を屠っていくことのようにも思えた。

28歳、年齢を強く意識して、囚われて。日常の連続の先に変化があるとは思えなくて。虚しくなることが最近多い。

それでも、たぶん、ちゃんと、わたしは日々変わっている。

文字に残すこと、そして、それを読み返してあげることは、変化を確かめる方法の1つなのだと今更ながら思った。

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