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稲森和夫さんと過ごすクリスマス

今回は私の性教育を伝えたい背景の部分をお話していきます。

実は凄い人だと知らなかった時に、私は稲森和夫さんとお逢いしました。

亡くなられた時には福岡に住んでいたため、京都へと向かい、お別れの会で感謝の挨拶をさせていただきました。その時の投稿がこちらです。

施設のことも書かれていて、色んな思い出や感謝が溢れて1人で泣いてしまったことを今でも覚えています。素敵な挨拶の時間でした。

中学生なので15年以上前のクリスマスに、可愛いお爺ちゃんがいるなぁ。ぐらいの気持ちで挨拶したことを覚えています。

「皆さん、今日は楽しんでくださいね」と一言だけ話して、机に並んでいるケーキや頂いた七面鳥をがっつく子供たち。

そう、私は稲森和夫さんが建てた児童養護施設で育ちました。京都大和の家という施設です。

元々は奈良県に暮らしていて、父親から性的虐待を受けたことにより家出を決意し、児童養護施設へ入所することになりました。

ただ、当時はその施設は奈良の中でも1番に児童の多い施設だったので、

常に誰かが怒っていたり、常に誰かが大声で泣いているという騒がしい施設で半年間過ごしていました。

職員の方も全員の面倒が見切れないほどの人数。100人近くは居たかと思います。そんな中、施設の中でも私は性被害を受けてしまいます。

その話をTikTokで説明しています。施設バレしないように、動画で撮影しましたが音声だけで同時の話を公開しています。

@chie_lovewisdom

性被害を受けていた児童養護施設に行ってきました。 noteに色んなお話書いてます📔 #恋愛 #心理学 #脳科学 #量子力学 #fyp #lgbt

♬ オリジナル楽曲 - 知英(Chie) - 知英(Chie)

その性被害が原因で、奈良の里親暮らしを少し経験してはまた違う場所へ向かい、京都の施設へと行くことになります。

悪いことをしていない子どもだけが、あちこちに追いやられてしまうことによって、特に大人に対して憎むようになりました。

だって何も悪いことしてないもん。そりゃそう思う小学生になっても当たり前でしょう。

ただ奈良の施設とは違い、10人以上の人数が同じ部屋で暮らす騒がしい生活から、京都の施設ではまさかの1人部屋を与えてくれました。

え?この高級施設はなんじゃい。富裕層の施設じゃん!と驚いていたことを今でも覚えています。

そんな中、全児童が集まるクリスマス会では色んな会社やお店から料理やケーキを食べまくれるという幸せな行事がありました。

ケーキは1人1つなのですが、大人や幼児達が食べないことを良いことに、あちこちのテーブルでケーキをかっさらうような中学生でした。

そういった甘いものを怒られない程度に奪うように食べ続けた結果、今は甘いものを一切食べなくなりました。食べ過ぎるのもある種のダイエット方法かもしれませんね。笑

奈良の施設では、実は私の性被害については誰にも公言するなよと男性職員から口封じされたのですが、

ちゃんとした理由もなく男性に言うなよ?と言われると、は?なんでなん?と思うことができたため、

内緒で児童相談所の担当職員さんに、「言うなって言われたんだけど…18歳の◯◯君からこんなことされてん」と伝えることが出来ました。

今思うと、児童相談所の担当の方が2人とも女性であったこと、言うなと言われた職員が男性だったことで、その事実を伝えることが出来たんだと思います。

もし、私が好意を抱いている女性職員から、誰にも言わんようにしててな。なんて優しく言われたら黙っていたかもしれません。

逆に、児童相談所の担当の職員が男性だった場合、わざわざ嫌なことを話すのも疲れるし言うのはやめようと、

ぐっと我慢して性被害を児童相談所の職員に言わなかったと思います。そう思うと、どこかで守られていたように感じます。

児童養護施設へ行く前に家庭裁判所から事情聴取を受けたのですが、あまり今のように決まった質問などがなかったのか、

聴き取り役の方からの質問がグサグサと胸を抉られるような内容の言葉が多く、途中で感情を感じないように無心で頑張ろうと返事をしていました。

なんでやめてと言えなかったのかな?
なんで他の兄弟は気付かなかったのかな?
お母さんにはなんで言えなかったのかな?
というような質問です。

小学生で恐怖心を人に説明なんてできません。本当に怖いと喋れなくなるし、動けなくなるものですが、

この心ない質問によって、より大人が嫌いになるキッカケにもなり、自分に対して「私は弱い人間なんだ」と思い込んでしまいました。

要は父親を含む両親、奈良の児童養護施設職員、家庭裁判所の聴き取り役と、そして私の住む環境を守ってくれない法律を恨みました。

父親を捕まえてくれると思って勇気を出して警察署へ行ったものの、大きくなってから兄から聞いたのですが、

「子供が言うことなんで、知英の言ってることは嘘やと思います」と警察署に返事をしていたお母さん。

周りの大人は目の前の傷付いた子どもに対して、何を守ろうとしていたのか?私には分かりません。

誰にも言うなよと言った施設の職員さんも、当時の施設長が異常なほど厳しい方だったために、揉め事=職員の努力不足と指摘されたくなかったように感じます。

「俺たち職員がこの問題をどうにか解決するから、他の職員や児童相談所の人には言わんといてな。」

と言う表情には焦りのようなものを感じていました。子供は言葉よりも感情を察するのが敏感だと思います。隠す気だなと瞬時に悟りました。

大の大人がその場で解決させようとする問題と思っていたり、そんなの時間経てば忘れられることよと子供に伝えてしまう大人(親)が居てしまう。

これって、めちゃくちゃ怖くないですか?何が怖いって、子供へのメンタルに対してではなく、

その大人が性認識をよく分からないままにして、放置しているということ。

正しい性教育の話を大人が子どもに教えてあげるチャンスは何度もあったはずなのに、否定・隠蔽・放置する人が多かったという事実。

性って何なの?と思うようになったのは、小学生からなので、そこから私の性への探究が始まったのかもしれません。

だから自然とそういった答えへと繋がるような出逢いや、お仕事を私に経験させてくれたのでしょう。

知りたいなら見せてあげるよという、私の潜在意識の中で求めてきた道が「性」でした。

やっと32歳になって性の在り方や扱い方が見えてきたもの、それが5000年前の性教育である東洋医学であったり、

科学的なエビデンスが書かれている性科学なども自然と情報が巡り合うようになっていき、

自分の経験と知識がやっと線となり、性を大切にする道を広めていきたいと強く感じるようになりました。

私の弱さによって、性で傷付けてしまった恋人もたくさん居ます。それでも愛してくれたり必要としてくれたり、同情や共感をしてくれる恋人とも出逢いました。

人が大きく変わる瞬間は1つだけ。人と関わった経験でしか人は大きく変われないと言われています。

傷付いた経験も、傷付けた経験も、愛し愛された経験も、私が何かの目的のために大きく変化させられ続けているかもしれません。知らんけどね。

不安や恐怖心から学ぶ性教育ではなく、楽しく正しい性教育を広げて、色んな女性の抱えるモヤモヤを解決していけるよう、私は今日も行動していきます。

ちょっと今日はあれですね。宣誓のようなブログでした。笑

また北原孝彦さんとお話した撮影については、改めてきちんと書こうと思います。

一先ず、今日は宣誓のみのお気持ちをここに残しておきます。ではでは、今日も1日お疲れ様でした🌙

知英

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