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親身に意識を向けていれば、心は自然に回復する力をもっている

わたしがまだフォーカシングをはじめて間もないときの話です。

わたしは自分の内がわに意識を向けて、まだハッキリとした感覚にはなっていない”何か”の感じに触れていました。

・喉もとがかすかに詰まったような感じ、
・モソモソとした感じ、
・重たく黒いような感じ、

丁寧にその”何か”の感じを言葉にしていきます。

こうしている内に、ふいにその”何か”は、もしゃもしゃと絡まりあった、黒いステンレスたわし のような姿をあらわしました。

ああ、「こんな感じがあるんだねぇ」、とただそのままに、親身な関心をもって、自分の内をみていました。
身体の感覚にも触れながら。

このときの身体の感覚は、というと。
はじめに喉もとにあった、かすかに詰まったような感じがより強くハッキリとし、胸の中にもモヤモヤがあらわれていました。

この胸の中のモヤモヤにも触れていたら、ふいに、
「ああ、わたしは少し前にあの人が言った言葉に傷ついたのだな。言い返したかったのだな。この悲しさを分かって欲しかったのだな。」と気がついたのです。

その出来事が起こったときには、「ささいなことだ」と考えて受けながし、後でも、自分の気持ちをふり返りもしませんでした。

相手に言い返したかどうか、というよりは、本当は傷ついていたのに、その気持ちを、自分自身が無いことにして蓋をしてしまったので、本当は感じていた悲しさや悔しさが、解消されずにずっと残っていたのでしょう。

残っていた感情エネルギーは、ずっと”わたし自身に” 気づいてもらえなかったので、後で、「喉のつまり」として、身体の症状になってあらわれました。

「そうか、そうだったのか」とそのときの気持ちをぜんぶ、親身にみている大きな自分をイメージして、よりそいながら、感じ切ったら、身体はゆるまり、喉のつまりも、胸のモヤモヤもなくなりました。

そして、黒いステンレスのたわし のイメージは、ふいに小鳥に変わり、飛び去って行ったのです。うれしそうに。

そのあとは、スッキリと軽やかな気分になり、もうその相手に何か言いたいとも思わなくなっていました。

もちろん、「これは伝えておかなきゃ」と感じることがあれば、相手に伝えたでしょう。


ちょっとしたことであれば、このように、意識を向けて、本当の気持ちに気がついただけで、重く固いエネルギーはゆるまり軽やかに変わります。

はじめに感じていたのが悲しさや悔しさだったとしても、その奥にある本当の望みに、自分が気がつくと、喜び、すら感じることもあります。

生命はいつも、自分自身に本当の望みを伝えたい。そしてちゃんと受けとってもらえると安心し、うれしいんだなぁと思います。

*****

もっと重くはげしくつらい出来事でうまれた感情エネルギーの場合は、これほどにあっけなく変容することはないですが。

ずっと耳を傾けてもらえなかった感情を、あるがままに認め、大きくまるっと受けとめてよりそうと、だんだんと安心し、調和したあたたかい感覚へとかわっていきます。

フォーカシングの場合は、自分の内にあらわれた感じがどのようなものであれ、かえようとはしません。
大きな、あたたかく包みこむ存在をイメージしながら、ただただあるがままに、親身にみていきます。

そのように意識を向けると、本来の生命エネルギーの質である、調和、前進、拡大、愛、へと自然にかわっていくものだなぁと感じています。

その感じが、そのもののペースで自然にかわっていくことを信頼しています。

自分の内に居場所をつくり、充分な時間をかけ、聴いてほしがっていたら耳を傾ける。

そこにいることが分かったよ、がんばってきたんだね、ありがとう、居たいだけここに居ていいんだよ、と労う言葉をかけることもあります。

自分の内なる存在が、こういうことを伝えたがっている、と感じとった感覚を言葉にして、受けとったよ伝えるためです。

自分を守るために精一杯がんばってきた、内なる人格は、そのがんばりを認め感謝を受けとる必要もあります。

居場所をつくってあげると、はげしい衝動にのっとられることはなくなり、前と同じクセがでてきても、ああ出てきたね、と余裕をもって見てあげられるようにもなります。
そうやって調和した関係をつくっていきます。

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