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花は宇宙、自分の中心

先日、友人が「花を観ていると、自分の中心を感じる」というようなことを話していました。

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ラナンキュラスをみていたら、花びらが、規則ただしく中心に向かってならんでいるのに気がつき、

それが、本来の自分なんじゃないかな、とふと感じた。

花びらは、外側にいくほど変化している。
外気に触れれば触れるほど変形している。

人もそのようなものかもしれない。

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わたしは、「花の中心をみて、自分の中心を感じる。
細胞がきれいに整うようなイメージで、落ちつく。」
という彼女の言葉を、「きれいだなぁ、素敵。」と思いました。

そして、宇宙のしくみ を連想しました。

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宇宙にみちる生命エネルギーは、純粋で、規則正しい、幾何学模様のようなうつくしさをもちます。

このエネルギーが、水の惑星である地球と交わると、揺らぎ、反射し、屈折し、さまざまな物語として、映しだされていくのだなぁ、と。

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たとえば、人も、その人固有の、純粋な生命エネルギーをもって生まれます。

そのコアにあるエネルギーは、花びらの中心のように、かわらない。
これは人でいうと、その人の芯になる価値観、でしょうか。

外気にふれる部分は、変わりつづける状況のなかで、相互作用をへて変わっていきます。これは経験であり、この時と場と相手だからあらわれる、その人の姿。

そんなことを考えていた日、はじめてみました。

日暈(ひがさ、にちうん)、ハロ、と呼ばれるそうですね。

暈(かさ、halo、英語読み:ヘイロウ)とは、太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。
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暈は雲を形成する氷晶がプリズムとしてはたらき、太陽や月からの光が氷晶の中を通り抜ける際に屈折されることで発生する。

暈ーWikipedia

わたしは、はじめに「空になにかあるぞ」と気がついたとき、とても薄い虹のいちぶなのかな、と思いました。

車でしばらく走って視界がひらけたら、ど~んとこのようにあらわれて。
ほんとうに白い虹のよう。

白虹(はっこう、しろにじ)とも呼ばれるのもわかります。


車を停め、ああきれいだなぁと感動して、しばらく、じっとこの日暈をみつめていました。

そして、この日暈は、わたしが感じている人の姿、”存在” に似ているなぁ、と思いました。

中心にある太陽は、かわらないその人のコアのエネルギー。

雲のなかの氷晶に屈折されてあらわれた暈は、地上の出来事とのかかわりのなかであらわれる、さまざまなその人の姿です。

心のなかで感じていたことを、自然現象をとおして見せてもらえたような気がして、神秘的でおもしろく、包まれている安心を感じました。



この夜に、オリンピックのフィギュアスケート、女子フリー。

アメリカの、マライア・ベル選手の演技『ハレルヤ』よかった。この日みた日暈のイメージとあいまって、祝福のようでした。

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河辺愛菜選手、樋口新葉選手、坂本花織選手、の演技、伸びやかでよかった。

ロシアのカミラ・ワリエワ選手、大きな権力の支配のなかで葛藤する人たち。いろんなことを考えさせられました。彼女が自分らしさをとりもどし、伸びやかに過ごされますように。

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