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「”かわらなきゃ” と思わなくていいんじゃないでしょうか」の意味

「かわらなきゃ」と思うより、ただあるがままの自分にくつろぐといいですよ。という記事を書きました。

このなかで書いた「”かわらなきゃ” と思わなくていいんじゃないでしょうか」の意味をもう少しくわしく説明したいな、と思いました。

現実がうまくいかなくてしんどい、と感じるとき。まずは、まわりの環境や人を責める、批判する、ところからはじまるかなと思います。

この批判の言葉をハッキリと言いきって、相手に伝えるのではなく、自己探求のヒントにする方法はこちら。

そのあと、心理の本などを読んで、自分の考え方やあり方を見直す必要があるみたいだ、と気づきます。

人をかえることはできないのだから、自分がかわらなきゃ、と。

ここで、環境や相手に向けていた批判の矛先を自分に向けます。
「こんなふうに考えてしまうからダメなんだ。」
「こんな気持ちになるからダメなんだ。」
と自分を責めてしまうようになる。

かわらなきゃと思うあまりに『自分を責めてしまう』ようになるのは、ますます事態を悪化させます。

なぜならば自分を責める言葉を使えば使うほど、どんどん自分を委縮させ、あらたな挑戦をすることを怖れさせ、保身のための行動を強めていく、からです。

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本来、人は固有の生命エネルギーをもっていて、それは個性や資質として表現されます。

この個性や資質のことを、もって生まれた能力という意味で「才能」とよびますね。

まわりの世界への信頼をもち自分にくつろいでいるとき、「才能」が伸びやかに発揮されます。柔軟でよゆうがあり発展的です。挑戦は緊張しつつも楽しめるでしょう。

委縮し怖れているとき、「才能」は保身のために多くついやされます。現実世界で結果がでているときにでも、保身からの強気さや行動であればもろく、よゆうがもてず疲れます。まわりの世界を怖れ、ときには怒りを感じているために、摩擦もおこりやすいです。

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「がんばっているのに、なんだか現実が上手くいかなくてしんどい」ならば、せっかくの持って生まれた「才能」を保身のためについやしている部分が多いからだといえます。

「才能」を保身のためではなく、伸びやかに発揮するためには、自分を否定するのではなく、あるがままの自分を認めくつろいでいられるのがいいんです。

本来の自分の持ち味はかわらないし、かえる必要もない。ただ、怖れをとりのぞいてリラックスさせてあげればいい。そうしていると、保身の姿勢が自然になくなっていきます。伸び伸びと自分らしくあれたとき、ふと自分がかわったなぁと思えたりします。


怖れをとりのぞいていく方法はこちら





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