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海士の自然と人に導かれる探究の旅 SHIMA-NAGASHI

島根半島から北へ約60km、日本海に浮かぶ隠岐諸島にある海士町。ここは、承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が流され、崩御までの19年間を過ごされた島です。そのような歴史のある場所で、SHIMA-NAGASHIというプログラムに参加してきました。
海士の豊かな自然、歴史や文化、そこで暮らす人々の考え方や姿勢を全身に浴びる。その中で自分は何を感じたのか?なぜ自分はそう感じたのか?モヤモヤを言語化し、言語化によって新たなモヤモヤが生まれる。その往復を繰り返す中で、自分の問題意識や関心が少し見えてきた気がします。
本稿は自身の振り返りを兼ねて、SHIMA-NAGASHIの様子を綴ります。


妖怪現る!? SHIMA-NAGASHI 前夜

誰もいない米子空港駅

SHIMA-NAGASHI前日は、海士行きのフェリー乗り場に近い境港で前泊することにしました。20:05羽田発のフライトで米子へ飛んだのですが、そこからの電車の接続が悪く、タクシーもつかまらない状況に。
誰もいない米子空港駅で待っていると、カランコロン カランカラン コロン、鬼太郎のゲタの音が聞こえてきそう…1時間後、ようやく電車に乗り込み、15分ほどで境港駅に到着しました。地元の美味しいものが食べたかったけれど、翌日に備えてそのまま休むことにしました。

海士の自然に触れる SHIMA-NAGASHI 1日目

フェリーくにが

翌朝、境港駅前から連絡バスに乗り、七類港フェリーのりばへ向かいました。同じくSHIMA-NAGASHIに参加する知人と合流できて、ほっと一安心。切符を購入し、フェリー「くにが」に乗り込みます。フェリーは知夫里島や西ノ島に寄港し、約3時間後に海士の玄関口である菱浦港に到着しました。
港に降り立つと、SHIMA-NAGASHIの主催者である「風と土と」の方々が出迎えてくださり、一気に気分が高まります。SHIMA-NAGASHI、いよいよスタートです!

海に潜る 自分に潜る

海に潜る 自分に潜る

到着して間もなく、着替えるように言われました。昼食後に海に入るとのこと。水に濡れてもいい服を持ってくるようにと案内されていましたが、まさかこんなにすぐ使うことになるとは。先に教えてくれれば、取り出しやすいように荷物を分けておいたのに…と思いつつ、他の参加者を待たせないように急いで着替えを済ませました。
昼食を終えた後、シュノーケルとフィンを持って海へ向かいます。久しぶりのシュノーケリングであること、メイクが落ちることなど、色々気になりましたが、遅れて周りに迷惑をかけないようにと、やや控え目に泳ぎ始めました。
途端に外の音は聞こえなくなり、スーッ スーッ スーッ、自然と自分の呼吸に意識が向きます。眼下にはリボンを寄せ集めたような海藻がゆらめき、小さな魚たちがその間をせわしくなく泳いでいます。水温も一様ではなく、太陽の当たり具合や水の流れによって、温かいところと冷たいところがあるのが分かりました。
さっきまで気にしていたことが急にどうでもよくなり、自分の感覚が一気に開いていくのを感じました。ただひたすらに海の世界を観察しながら、その瞬間に没頭しました。

人生を川に見立て表現する

人生を川に見立て表現する

海で泳いだ後は、「風と土と」の事務所でもある村上資料館に移動し、自分の人生を川に見立てて表現するというワークを行いました。絵を描く人、雑誌を切り抜いてコラージュを作る人など、表現方法は人それぞれ。
画用紙の上に何かを描いてみると、新しい問いが生まれ、それに対する自分なりの答えをまた画用紙に描いてみる。その繰り返しの結果が作品となり、他の参加者に説明し、質問に答えることで、さらに新たな問いが生まれる。
人生の数々のイベントの中で、自分は何を取り上げるのか?なぜそれを取り上げるのか?を考える中で、私は自分の中に二面性があることが分かりました。世の中のメインストリームに乗り遅れまいとする自分と、乗り切れない自分。この川はこの先どこに流れていくのか…問いは深まります。

海士の人と交流する SHIMA-NAGASHI 2日目

天川の水を汲む

二日目の朝は、環境省が指定する名水百選「天川の水」を汲みに行くことから始まりました。この水は、奈良時代にこの地を訪れた行基が「天恵の水」と名付けたことに由来しているそうです。
一般的に、島は陸地面積が狭く、河川や湖が少ないため、水を貯めるのが難しく、水不足に悩まされることが多いと言われています。しかし、ここ海士では毎日400トンの水が湧出し、過去に枯渇した記録がないとのこと。この豊かな水源は、カルデラに起因すると言われていますが、詳しいことは分かっていないそうです。そんな海士の特徴を知ることから、SHIMA-NAGASHIの2日目がスタートしました。

べっくさんの話を聴く

べっくさんの話を聴く

天川の水を汲んだ後、私たちは菱浦港にほど近い御倉神社に向かいました。この神社は「風と土と」の代表である阿部裕志さん、通称べっくさんがお住まいの集落にあり、氏神様が祀られている場所です。厳かさと温もりが共存する社の中で、べっくさんから海士町へ移住した理由や、今感じていることなどを伺いました。
べっくさんはかつて、誰もが羨む大手自動車メーカーに新入社員として入社しました。次第に元請けと下請けというピラミッド構造や、その業界構造の中での人間関係に疑問を感じるようになったそうです。そんな時、初めて訪れた海士町で漁師さんと出会い、会社や肩書きではなく、人そのものに対して好奇心を持つ姿勢、そしてフラットな人間関係に強く惹かれたと言います。
私が身を置くSI業界にも同様の構造があり、単金や工数で人や仕事の価値を測ることを、当たり前のこととして受け入れてきました。べっくさんの話を聴いて、私の中にあったモヤモヤが、問いとして浮かび上がってきました。

海士町の方々の話を聴く

続いて、海士町役場の財政課に勤める藤田さんと、海士でカフェを営んでいる五十島さんにお話を伺いました。なぜ海士の人々は人そのもに対して好奇心を持ち、フラットな人間関係を構築できるのか?という問いを携えて。
特に印象に残ったのは、五十島さんの「海士のおじいちゃん、おばあちゃんはしゃんとしている」という言葉です。例えば、部屋に脱いだものが散らかってない、シンクに汚れたお皿が放置されていない、といった日常の一端に、彼らの「しゃんとした」姿勢が表れているというのです。
また、海士には14の集落があり、お祭りや運動会などのイベントも多く、集落内や集落間の人のつながりがとても強いそうです。土地に結びついた民謡や神楽などの文化が今も息づいており、島の方々は自分たちの文化に誇りを持っているとのことでした。
都会では内と外の境界がはっきり分かれていますが、海士ではそのあわいに集落などのコミュニティがあり、そこでの人や土地との関係性が、「しゃんとした」につながっているのではないかと思いました。
一方で、この人や土地との関係性が行き過ぎると、保守的で閉鎖的になりそうな気もします。海士町は少子高齢化、過疎化、地域の活力低下などの地域の課題に、移住者と共に取り組み成果を上げていることは、広く知られているところ。これらをどのようにして両立させているのか?が気になりました。

隠岐神社のおばあちゃんの話を聴く

隠岐神社のおばあちゃんの話を聴く

昼食後はグループごとの散策の時間が設けられました。私たちのグループは自転車を借り、隠岐神社へと向かいました。
この神社は、海士に流された後鳥羽上皇が祀られている場所で、簡素ながらも凛とした佇まいがあります。社務所にいた品のいいおばあちゃんが、親切に隠岐神社の由来や見どころを教えてくださいました。さらに、私たちが見どころまでの道を迷わないようにと、わざわざ社務所から出て、角を曲がるまで見届けてくださいました。「しゃんとした」という言葉が、ここでも頭に浮かんできました。

島前高校の高校生の話を聴く

島前高校の高校生の話を聴く

2日目の締めくくりとして、海士町の唯一の高校である島前高校の生徒たちとの対話の機会を得ました。全校生徒の約60%が島外出身者で、これまでに200人以上の島留学生を受け入れてきたそうです。「なぜ今の会社・組織で働き続けているのか?」「なぜ島前高校にいるのか?」というテーマで、高校生2人と対話をしました。
特に印象に残ったのは、島留学で海士町に来ている高校3年生の話です。彼は「人と関わるのが好きで、卒業後も海士町に残りたい」と話していました。都会の方が人が多く、刺激も豊富なのでは?と私が尋ねたところ、「そう…ですか?」と不思議そうな表情で返されました。「関係性のない人がたくさんいても意味がない。関係性のある人がたくさんいることに意味がある」と語った彼の言葉が、私の心に深く響きました。
島前高校の生徒たちと話していると、「大人」と「子ども」という関係性ではなく、フラットな関係性でお互いに分かり合おうという感覚になっていきました。大人として「いいことを言わなければ」といった気負いは消え、むしろ「大人」って何だろう?という問いが浮かび上がってきました。

願いを言語化する SHIMA-NAGASHI 3日目

北乃惣神社のおじいちゃんの話を聴く

最終日の朝、チェックアウト後に余裕があったので、宿泊先の集落にある北乃惣神社を訪れることにしました。
境内に入ると、おじいちゃんが草刈りをしている姿が目に入りました。「おはようございます」と挨拶をすると、おじいちゃんは「神輿、見ていくか?」と社の扉を開けてくださいました。社の中はきれいに掃除され、夏祭りに向けて倉庫から出されたお神輿がありました。おじいちゃんは、7月に海士町の各集落で開催されるお祭りのことや、それに向けた準備の段取りについて、教えてくださいました。前日に聞いた集落での人や土地とのつながりの話が頭に浮かんできました。

何を守るために何を変えるか?

私が大切にしている想いや願いを言語化する

SHIMA-NAGASHIの最終日、これまでの2日間のモヤモヤと言語化の往復の過程を振り返り、自分の問題意識や関心を「私が大切にしている想いや願い」「私が会社や社会を通じて実現したいこと」として再び言葉にしていきました。その中で浮かび上がってきたのは、「人と人との関係性」というキーワードです。
島前高校の高校生との対話を通じて感じた、「大人」や「子ども」といった記号ではなく、一人の人間として向き合える関係性の心地よさ。肩書きや役割などの記号は組織の目的を効率良く達成するための手段であり、私たちの一側面に過ぎません。それにもかかわらず、私たちはしばしばそれに囚われ、全てをそれで判断しがちです。私はそうした枠を超えて、人そのものに好奇心を持ち、関係性を築ける自分でありたいと改めて思いました。
海士の人々は、集落という人や土地との強いつながりを持ちつつ、島外の人とも積極的に交流しています。外の世界を知ることで、自分たちの島のことが分かり、自分たちの文化に誇りを感じる。だからこそ、それを守りたいという思いが生まれ、課題に対して自ら行動を起こす力となる。そんなサイクルが回っているのではないかと感じました。
私はSI企業でマネジメントに携わっていますが、お客様や利用者にとって価値あるデジタルサービスを届けるには、このサイクルがポイントになるのではないかと思いました。自組織だけでなく、お客様や利用者も含めてチームとして捉え、フラットな関係性の中で私たちが守りたいものを追求し、課題の解決策を共に創造する。そんな未来を描きつつ、そこに向けて自分は何をすべきか?を考えたいと思いました。

SHIMA-NAGASHI後日談

海士とのお別れ

SHIMA-NAGASHIから約1ヶ月が経った先日、「風と土と」の方からフォローアップのヒアリングがありました。久しぶりにSHIMA-NAGASHIを思い出してみると、感覚を研ぎ澄まし、形式知と暗黙知の往復に没頭していたあの日々から遠のいている自分に気づきました。同時に、あの時、あの場所で感じたことが身体に深く刻まれていてことにも気づきました。その感覚は常に私と共にあるわけではないのですが、迷った時に方向を示してくれる羅針盤ような、流されそうな時に引き戻してくれる錨のような体験だったと、振り返って思います。
この感覚はメンテナンスやアップデートが必要だと思うので、また海士を訪れたいと思います!

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