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いつか見うる夢の話 -友人の夢から派生して-

友人が夢を見たそうです。面白い夢だったのでそこから派生して1本書きました。

こちらが友人の夢。先にこっちを読んでね。



「安易に野良猫に触ってはいけない」母はよくそう言っていた。潔癖のきらいが少しある人だったから大方それが理由だろうと思っていたが、今更になってその言葉が響いてくる。或いは野良猫とは地域猫のことではなく、もっと広くを指した『物の例え』だったのかもしれない、とか。

猫に噛まれた指先がじくじくと痛む。3日経てども治りそうにない。むしろ傷口が滲み広がっていく所を見るに、これは最近巷で流行っているという例のやつだろうと素人でも分かる。ニュースで各所が騒ぎ立てているのは耳に入っていたが、身近な人が被害に遭ったような話は聞いたことがなく、オブラートを1枚隔てたようなどこかフィクションめいたくすんだ色合いでもって感知していた。そのオブラートは猫の唾液で溶けていったということになる。

治療 ── ではなく摘出という言い方になるらしい ── の方法は未だ見つかっていないと聞く。そして感染 ── 或いは侵略 ── は急速に進み、程度によっては持って5日らしいとも。右腕を遡上していく傷跡は最早肩口に差し掛かろうとしていて、この炎天下において美白主義者のコスプレをしようとも隠しきれなくなってきた。もういい加減外には出られない。専門機関に連絡したところでその先も知れている。私がそこに電話をかけないのは、単に私が母親のように生真面目な人間ではないから、というだけに留まるだろうか。

缶ビールを求めてベッドを這い出す。道すがらスマートフォンを取りチャットアプリを開く。ご丁寧に一番上にピン留めしてある連絡先を開き、文字を打つ。「どうしてる?」消す。「元気?」消す。「話したい事があ」消す。「今まで」消す。消す。適切な距離感と温度感が分からず往復を繰り返す。電話をかけるのは憚られた。電話口の向こうに人の声が聞こえたら嫌になってしまいそうだ。かといって私は彼の最寄り駅すら知らなかった。しょせんは互いに野良の人間だ。

それに、と私は自分を丸め込むように口に出す。例の感染は人間の意識レベルにまで干渉し、手を加えてくるらしい。今私が彼に会いたがったとして、それは本当に私の意思なのか、それを証明する手段は現時点で地球上のどこにもない。言ったところで彼が応えてくれるのかも分からないし、会ったところでその先の進展は望むべきではない。いかんせん持ってあと数日の命だ。確かに私は母よりも不真面目だったが、母よりもいくらか賢いという矜持があった。理知的な私の自我は、偽物の私、或いは本当の私を抑え込んでチャットアプリを閉じさせた。寂しいとか人恋しいなんて言える年でもご身分でもなかったし、未知の感染症が私を『素直たらしめた』なんてことがあればとんだ失態だと思った。

結局私は一生このままか。冷蔵庫の稼働音が部屋の中を反響している。缶ビールはあっという間に空になっていた。不貞腐れてベッドに舞い戻ろうとする私の足元で、私を噛んだ猫が媚びるようにニャアと鳴いた。そういえばここはペット不可の物件だったかもしれない。


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