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大切な人たちとの別れ(家族)

さて、まず最初に何を書こうかと思った時に、やはり真っ先に思い浮かぶのはこれです。
それぞれに細々としたエピソードがありますが、それはまた今度書くとします。

大好きな祖母は、私が中学生の時になくなりました。
いつも穏やかで、優しくて、幼稚園~小学校から帰宅した私は、毎日のように隣の祖父母の家へ行っていました。母に遊んでもらった記憶は信じられないほど全くありませんが、代わりに祖母との記憶が沢山あります。

祖父は、私の長子が0~1歳の頃になくなりました。
私が幼い頃、よく一緒に散歩に連れて行ってくれた祖父。
家の前の道を、毎日箒と塵取りを持って掃除をし、十数年それを続けた結果、市から表彰を受けるなど、真面目な人でした。
遠く離れていても元気で生きていてくれる、それがどれだけ私の心の励みになったことか。
100歳まで長生きしてくれたことも、私の自慢です。

祖父母なくして、今の私は有り得ません。
今だって全く立派でなく社会不適合者ではありますが、祖父母がいなければとっくに死んでいるか、犯罪者にでもなっていたのではないかと思います。
(今後も犯罪者にならないかと言われると、絶対とは言い切れませんけれど)

そして、母。
母は住み込みでビルの管理人をしていました。
とある日、ビル内の店舗の方が出勤した際、いつもは捨てられているはずのゴミがそのままゴミ箱の中に放置されていることに気付きました。
警察が鍵を開けて母の部屋に入ると、母はベッドにもたれかかるようにして、なくなっていたそうです。
いろいろな持病があり、とても働ける体ではなかったのですが、それでも働き続けた結果の孤独死でした。誰も看取っていないので、なくなった時刻もはっきり分かりませんでしたが、なくなって2日ほど経っていたようです。

申し訳ないのですが、私にとっての母は、とても「良い母」とは言えませんでした。隣の家に住む祖母のサポートがありながら、いつも不平不満ばかり言い、どこかへ連れていくことも遊んでくれることもなく、私は母から愛されていると感じたことはほぼありませんでした。
両親は不仲で、普通の会話が交わされるところは一度も見たことがなく、子供の前での夫婦喧嘩も頻繁にあり、母が包丁を持ち出すなどということもありました。
幼い頃は誰しもそうかと思いますが、自分の家族が絶対であり、これが「普通」なのだと信じていましたが、中学生にもなると離婚して欲しいと思うようになりました。
両親の存在が私の価値観に多大な悪影響を与え、人生を歪めてしまったことは、控えめに言っても間違いのない事実で、それゆえに私は母と疎遠になっていきました。
父に至っては存在が私の中で早々に消去されており、中学を卒業して親元を離れて以降、一度も会わないまま、母がなくなる数年前にガンでなくなったのですが、報せを聞いても全く何も感じませんでした。

母ともほとんど会うことはなく、そんなわけで、私が母を引き取るということは、たとえシングルマザーで猫の手も借りたい状況であっても、有り得ない選択だったのです。

警察から電話が来たとき、私は子供を連れて、珍しくファーストフード店にいました。
警察官が名乗ったとき、母の住まいの近所だな、と警察署名を聞いて思い当たりました。治安が悪いエリアなので、何か事件にでも巻き込まれたのだろうか、という考えが過ぎりました。
私が娘であることを知らない警察官は経緯を説明し、
「携帯の履歴を確認したところ、最後に電話をかけたのがあなただったので、事情を知らないかと思い電話をかけた」と言いました。

私が娘だと伝えると、警察官は「しまった」というようなリアクションでしたが、そんな時にも関わらず、私は母への思いの他に、この警察官への猜疑心を抱きました。
本当にそこに気遣いなどあるのだろうか?親の死を突然知らされて打ちのめされる子供の反応を面白がっているのでは?
70歳前の女性が携帯に下の名前だけで登録するとしたら、可能性が高いのは子供ではないでしょうか。
私の心は常に他人への不信感と敵対心とでいっぱいでした。

ともかく、私は幼い子供を連れて、片道40分ほどかけて、警察署へ向かいました。子供になんと説明しよう、でもやっぱり到底言えない…。そんな私の不安をよそに、子供たちは長いドライブで眠ってしまいました。短時間であれば大丈夫だろうと思い、私は一人で警察署へ入りました。

警察の霊安室に、母は安置されていました。
祖母、祖父、母。
なくなった親族に対面するのは3度目でした。なので、頭蓋骨の上に重なった冷えた肌の感触を、私は今もリアルに思い出すことが出来ます。
命の消えた後の冷たい体。一生懸命に生きた後の、終わりを迎えた、体。

出てくる言葉は「ごめんね」と「ありがとう」だけでした。
霊安室の前に警備で立っている男性警官の耳に、私の言葉が間違いなく聞こえていることが気がかりでした。
彼は私がいる間ずっと、そこに立っていなくてはならないのだろうか、と悲しみに暮れながら考えました。車に残した子供のこともあるし、長居はできません。最後に「バイバイ」と何度か繰り返して、私は霊安室を出ました。

あんなに憎んでいた母。彼女が何を思っていたのかを知るのは、もう少し後になります。遺品の携帯電話には、友人とのメールが沢山残っていました。

あまりに長いので、それはまた別の機会に。
もうひとつ、母との別れを超えるほど私にとって大きな別れの話があるのですが、今日はここまで。

母のエピソードでだいぶ話がそれてしまいましたね。反省。
この文章だけを読むと、伝わりづらいだろうな。
積み重ねていきますので、もしよろしければ、お付き合いください。

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