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【選挙ウォッチャー】 2024年元日の能登半島地震・情報まとめ(#3)。

 元日に能登半島地震が起こって、今日で2週間になります。
 震源地の「奥能登」は、山と海が調和する風光明媚な場所ですが、この魅力と長所こそが、救出や復旧を難しくする要因となっています。今も孤立している集落が多数存在したままになっていて、輪島市や珠洲市の市街地には入れても、そこから先に点在している各集落に向かうのは、「自衛隊しかいない」という状況です。
 だからこそ、人命に関わる「最初の72時間」がどれだけ大切だったのかという話になりますが、1万人の自衛隊が待機しながら、1000人しか投入しなかったことは失政以外のナニモノでもありません。ただ、この検証はあとでやるとして、現在は、孤立した集落の人たちの震災関連死を防ぐために、さらなる救出活動が必要になるという段階だと思います。


■ 「物量の低下=国力の低下」である

 今回の能登半島地震は、けっして他人事ではありません。
 それは、もし次にまたどこかで地震があった時には、今回の能登半島地震と同じことが起こる、もしくは、今よりもっと救出されない事態になるのではないかと考えられるからです。
 今回の震災対応でわかったことは、「この国にはもう物量作戦を展開するだけの力がないのかもしれない」ということです。それでも本気になればできると信じたいですが、どうしてこれだけ「渋滞、渋滞、渋滞」と言いながら、いつまでも渋滞が解消されないのかと言えば、渋滞を解消するための工事が進んでいないからです。まったく工事をしていないのかと言えば、けっしてそういうわけではなく、工事は工事で進めているけど「遅い」という現象が起こっています。これはもちろん、現場の土木のオッチャンらの能力が低いわけでも、怠けているわけでもありません。単純に発注先の数が少ないのではないかと思います。つまり、「一気に投入して、一気に修理する」ということができていないのです。
 どうせ一気に工事しても、のんびり工事しても、修理する道路は同じなのですから、「そんなもん、一気にワーッとやったら一気に渋滞が解決するがな!」ではあるのですが、工事を発注する国や県の職員も「よし、のんびりと工事しよう!」と思うはずがないことを考えれば、「こんな時に金に糸目をつけている場合じゃないんで、ガンガン工事するで!」とならない懐事情なのではないかと思わずにはいられません。つまり、予算がネックになっているのではないかということです。
 また、「渋滞しているなら空を使えばいいじゃん」ということになりますが、渋滞を解消するための工事すらままならない懐事情だとすれば、そう簡単に空を飛べないことにも合点がいきます。空を飛ぶのは、陸を走る何十倍もコストがかかるからです。
 だからと言って、「じゃあ、しょうがないか!」になるのが一番頭が悪いので、お金がないならお金がないなりに工夫をしなければなりません。例えば、輪島市や珠洲市、能登町などの被災地から金沢方面に通勤している人がそれなりにいるはずなので、その人たちのホテル代や駐車場代を補助し、観光客が激減したホテルの客を補填をしながら車の通行量を減らすことだってできるかもしれません。(もっとも、あの手この手のアイディアを次々に思いついて、細かく実行できるのであれば、最初からこんなに貧しい国になっていないという説もありますが。)
 とにかく「怠けている」のであれば、本来のポテンシャルを発揮していないだけマシなのかもしれませんが、さては「本気を出してコレである」という可能性があり、どうしてこうなっているのかと言えば、「あまりに無駄なものにお金を使い過ぎてきたから」という、これまでの政治のツケを払わされているのではないでしょうか。そうなると「とてつもなく根本的な話」になってしまい、今すぐ変えられることではありません。みんなが政治に興味や関心を持って、「バカに政治をさせない」という努力が必要になります。


■ 見えてきた「渋滞ポリス」たちの正体

 今回の能登半島地震では、温かいコタツの中から「渋滞」を監視する「渋滞ポリス」たちが大量発生しました。彼らは「能登半島地震は他県の迷惑ボランティアで大渋滞はデマ」という『短いタイトル』さえ、まともに読む力がないので、「渋滞しているのにデマだと言うのは、それこそがデマだ」になりました。

 この記事で伝えていることは、そんなに難しいことではありません。あえて難しい言葉を使わず、かなり平たい言葉で書いてあるので、それくらいは理解してほしいと思いましたが、簡単にまとめると、こうなります。

・渋滞する場所は限られており、ほとんどの道は渋滞していない。
・渋滞の原因は他県の迷惑ボランティアではなく、やむを得ない事情によるものであり、これを責めることはできない。
・「行くな」を呼びかけるなら、もっとピンポイントにするべきだ。

 今回、コタツから渋滞を監視する皆さんの力により、現地に入るボランティアの数は、かなり抑制されたと思います。これにより、これだけSNSが発達している中、被災地の厳しい現状を伝える機会は減り、現地で困っている人たちは、ひっそりと困るだけになりました。
 この「ひっそりと困る」という現象は、僕たちのアプローチの精度を大きく鈍らせます。被災して避難所にいる人たちが「きっと何かに困っているんだろうな」というところまでは我々にも想像ができますが、具体的に何に困っているのか。「寒い」なのか「おなかが空いている」なのか「トイレが汚くて行きたくない」なのか「風邪をひいている」なのか「手持ちのお金がない」なのか「家に帰りたい」なのか「誰かと連絡を取りたい」なのか、それがわからないので、最適解が見つかりません。
 困っていることが具体的にわかれば、寒いなら毛布を、おなかが空いているなら食糧を、トイレに行けないなら携帯トイレを、風邪をひいているなら薬を、といった感じで、解決するための最適なアプローチを考えることができます。しかし、現地に辿り着く人が大きく抑制された結果、震災から2週間経っても、被災した人たちが具体的に何に困っているのかをキャッチしにくい状態が続いています。しかも、それは渋滞を回避して辿り着くことができるはずの被災地にまで及び、「渋滞を回避して行ける避難所」「行けない避難所」を仕分けることもできていません。グラデーションマップさえも作れないのです。その理由は、まるで被災地全体が渋滞で困っているかのような粒度の粗い話が世の中に流れ過ぎているからです。これもまた「渋滞ポリス」たちが作り出している環境の一つです。「渋滞ポリス」の中に、「ここは渋滞しているけど、ここは渋滞していないので行けるはず」とか「ここはこの時間に渋滞する傾向にあるが、この日とこの日はこの時間に解消されていた」みたいなことを考える人間は皆無です。そんな能力があるなら、そもそも「渋滞ポリス」になっていないからです。
 しかも、「被災地に入る人はマスクを着用するべきだ」という話に、かなりたくさんの「5類になったんだから、マスクは自由だ」という反論がありました。どういう人たちが「渋滞ポリス」なのかが、よくわかるエピソードではないでしょうか。しかも、一番厄介なのは、これで自分たちこそ賢いと思っているところです。


■ 渋滞を回避できる被災地に人が入る意味

 震災から2週間経っても、いまだ被災地の渋滞は解消できていません。
 これは、いまだ道路の修復が完了できていないことに加え、通行する車の量が減らないからですが、この「減らない」というのは、個人ボランティアが殺到しているからではなく、必要な車が往来しているからです。
 先日は、「渋滞ポリス」の皆さんが、たくさんの消防車が渋滞の列に並んでいる動画を出し、「ほら、オマエらのせいで、こんなに消防車が渋滞に巻き込まれているじゃないか!」と言っていましたが、「たくさんの消防車が渋滞の道を走れば、その消防車で渋滞が起きる」という単純すぎるメカニズムを理解できず、「オマエたちのせいだー!」と憤慨していました。
 しかし、国や自治体に加え、こんなに「渋滞ポリス」たちが必死こいて呼び掛けているにもかかわらず、あえて渋滞している道を通ろうとしている人たちがいるとするならば、それは「必要な車」「被災者」です。
 彼らの頭の中では「承認欲求をこじらせたマヌケな顔した無能のバカ野郎が、ちっとも使えない支援物資と『被災地の人たちを笑顔にしたい』などというクソの役にも立たないお気持ちをトランクいっぱいに詰め込み、ノーマルタイヤで被災地に乗り込み、途中でスタックしたあげく、被災地に余計に迷惑をかけ、さらなる渋滞を作る」と考えているのですが、実際、そんな奴は渋滞の道を走っていません。
 今日も見えない何かと戦い、グーグルマップの赤い線とにらめっこしている渋滞ポリスたちは、またこの記事を見て発狂するのでしょうが、僕の提案は「世のボランティアたちは、渋滞を乗り越え、被災地の奥まで物資を届けろ!」ではありません。
 渋滞している場所は限られているので、少なくとも渋滞を回避していけるエリアには、支援の手を届けられるはずです。せめて渋滞を回避して入れる場所に人が入れば、情報が動き出します。
 この「情報が動き出す」というのは、どこで水を調達できるとか、トイレを使える最終ラインはどこであるか、給油できる最終ラインはどこであるかといった「支援に必要な情報の共有」です。人をまったく入れないということは、こうした情報の共有すらできないので、いざ渋滞が解消され、奥能登の支援ができる段階になったとしても、助走がなく、その情報をゼロから構築していかなければならないため、とても効率が悪いです。だから、一律に全員を止めるのではなく、「どこなら入れるのか」を示し、入れるところには入ってもらい、「助走をつける」ということが大切ではないかというのが僕の提案なのです。


■ 「新潟や富山に行けばいい論」と現実

 温かいコタツから渋滞を見守る皆さんが口々に言うことは、「石川はまだボランティアを受け付けていないと言っているんだから、ボランティアを募集している新潟や富山に行けばいいじゃん!」です。
 もちろん、こうしたボランティアも必要なので、応募をして、新潟や富山に行くのも一つの手です。しかし、応募をしていくボランティアは「被災した家の掃除や瓦礫の撤去」などが中心で、ボランティアの種類としては限定的です。
 実際は、もっと多種多様な手を求めており、「書類を書く」「買い物に行く」「薬をもらう」など、日常のあらゆるサポートが必要です。そんな時に、行政書士、タクシードライバー、医師や薬剤師といった気の利いた専門家がいれば便利ですし、専門家でなくても、最も重宝されるのは「細かい雑用ができる人」だったりします。「ボランティア=物資を運ぶ人」だと思うかもしれませんが、実際は、とてもバラエティー豊かなのです。東日本大震災の時には、「ただ話をするだけの人」とか「ハンドマッサージをしてあげる人」などもいました。入るエリアや入るタイミングなどの問題はありますが、「広範囲に人を入れない」というのは、やはり非常に効率が悪いのです。


■ 選挙ウォッチャーの分析&考察

被害の大きかった被災地に入り、役割をまっとうすると宣言した近藤和也議員(引用元リンク

 先日、「地元選出の国会議員すら被災地に入れない」という話をお届けしましたが、何かの目処が立ったのか、調整がついたのか、とにかく被害の大きかった奥能登に入ることを決めたようで、活動を切り替えるというポストがありました。
 このポストを見る限り、被災した方々は、地元の国会議員の顔を見て安心したり、困っていることを直接伝えられたようで、逆に国や自治体の支援の進捗などを教えてもらうことができたようです。聞き取った情報は、国や自治体にも共有されるはずなので、支援のスピードが少しでも上がることを期待しています。
 このように、必要な人まで「入ったら叩かれるのではないか」という空気になってしまったのは、「こんなに渋滞が懸念されているのに、パフォーマンスのために松葉杖で被災地に入り、被災者が食べるはずのカレーを食べた山本太郎」というネトウヨ好みのネタに、音喜多駿のようなアホの国会議員が便乗したことも原因の一つではないかと思います。せめて政治家になるような人たちは、こんな時でも戦略的に物事の解決を考えられるような人であってほしいと思います。

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