【共助公助自助論】

もちろん、フェイルセーフした上で言っていることです。例えになっているかは微妙ですが、僕の哲楽思想形成の一例をあげておきます。

「自助、共助、公助」という並びがあるが、どうもこの順番が僕にはひとつの誤解を与える気がしてならない。

ヒトとしての生存本能:災害に出会ったそのときに、起こす行動。
共助:自分が助かったとき、自分の周りにいる人の救助行動を起こす。また、ともに生存し続けられるような行動をする。
公助:われわれを助けてくれる公的救助。二次災害に対する備えを持っている。
自助:災害直後の混乱期から脱し、将来への見通しを考えられるようになった際に起こす行動。

災害時、自助は最後に立ち上がるものであって、最初の自助らしきもの=「動物のヒトとしての生存本能」=「自分を助けるのは自分だけだろう」というものとごっちゃに考えてしまうから、どっか思考が捻じ曲がってしまいがちになるのだな。

共助の際は二次災害への備えの有無はあまり関係ない。「わが身を捨てて」とか、「わが身を省みず」とかの行動がままあった。

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