ありのままって。


ちょっとなぐり書き。


-------------------------------

自分の本質をしっかり理解していて、

しかも素に近い自分を認められている(覚悟できている)人って

同年代ではどれくらいいるもんなんだろう?

-------------------------------



だいたいどういう人間なのかはある程度わかっている、つもり。

ただ、本当の自分はオブラートに包んだ中にある気がしている。



昔の記憶


昔、それこそ思春期の多感な時期は、
そのオブラートに包んだ中身はさらけ出しだった。

思ったような表現がたくさんできたし、
それなりに尖っていたし、
自分の中の繊細さでなんとなく世界を捉えることができていたように思う。


でもとかく傷つきやすかった。


自分の感受性が自分を傷つけて、
生きづらくしている。

自分を表現しているはずなのに、
自分が壊れていく感覚が怖い(実際に人生に不都合な状態にもなっていたし)。


だから
文章を書くことも
写真を撮ったり何かを作ることも
ピアノも
やめた。


-もっと、賢く生きなければ。

もっとそう、利口に、客観的に、タフに。-



そうやってからもう何年も経つと、
心はうまく鈍化して、
量産型とまでは行かないにしても
ちゃんとやってきた。つもりではある。

その代償として、熱烈な表現はもう書けなくなってしまっているけど。



でも。



最近夫と話していて気づいたことがある。
「いつも自分はクリエイティビティでつまづく」と。
彼がいうには、
問題解決や効率・要領、数字には俄然強いんだけれど、
私みたいなエモさはかけらも持ち合わせていないんだそうだ。
というかそもそもわからないんだそうだ。

あ、そうか。
そういう人もいるもんなんだと。

つまり、
自分に対しても同じように
「そういう人もいるもんなんだ」と。



認めてしまえば


認めてしまえば簡単だ。

私にも、私なりの表現したい世界(場面や景色)があって、
うまく生きるためにそれを消しつつも、
やっぱりどこかでそれを表現して生きていきたいと思っていたり
そういうものに触れると涙が止まらなくなる。
激しく嫉妬もしてしまう。

認めてしまえば、そう、簡単。

オブラートを剥がして、世界をみる。

ただし、苦い。きっと。


私にはその覚悟もスキルもない。

自分の中の叙情性の正体が
一体何なのかも。




今度は苦い自分に耐えられるだけ力が、備わっているのだろうか?

自問しながら、今日も。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
1
いつか書家を夢見る、書道勉強中の身。 仕事は、読み物系コンテンツ制作のディレクター。