藤井風さんのTwitter削除に思う 【vol.1】

藤井風さんが、今までのツイートを全て削除されました。

新しいファンにしてみれば、彼のアマチュア時代にまで遡れるタイムマシンみたいな魔法のツール。
昔からのファンにとっては自分の歴史までをも含んだ大切な場所。
デビュー前からのファンの中には、自らの半身を剥がされるような、切ない思いをされた方もいらっしゃることでしょう。

しかし、よくもまあ、こんなにも、バッサリと。

「 執着を手放す」というのが彼の座右の銘だとしても、見事過ぎます。

彼のしたことは、潔くて、かっこよくて、
そして、ちょっぴり、
ほろ苦い。

私たちでさえこんなに寂しい思いをするのですから、ご本人のお気持ちはいかばかりかと。

【なぜ全てを削除したのか】
藤井風さんはもちろん、Twitter自体や、フォロワーさんを否定しているわけではないと思います。

それではなぜ藤井さんはTwitterに
「 もうええわ」したのでしょうか。

逆に考えてみれば、いわば「 公人」とも言える立場になってからも、よくもまあ、昔からのTwitterを続けていらしたものです。

「チケット欲しい方、ワシに直接DMください 」みたいなツイートが残ったままのページ。 
音楽はもちろん、お笑いが大好きで、素直でピュアで、ファンを大切に思う、20代の青年の豊かな優しさが溢れるような、素敵なページでした。

初めは「 このツイートは誤解を生むかもしれない。このツイートは誰かを傷つけるかもしれない。」というものだけを選んで消していたのでは?と思います。

でも、そのうちに
「 Twitterに執着している自分」に問題があるのではないか?と考えを変えたのかもしれません。

一度公に出したものは人の目に触れ、心に触れます。
ネットから消しても、それら全てを消すことはできません。
スクリーンショットなどをされていれば、全てを消し去ることなど到底無理なことは、風さんもご存知のはずです。
俗に言う、デジタルタトゥーというものですね。

それならばなぜ?

【もうええわの精神】
そう、風さんは、Twitterに執着していた自分に、さよならしたのかな、とも思います。

Twitterは即時的に話題を共有できるツール。
ライブ感があり、新しい情報が掴め、それを元に人と交流できるネットの社交場でもあります。
自分の音楽を愛してくれるファンと交流ができ、気持ちの共有ができる。

でも、彼にとってそれはもう
「 行き詰まったよろこび」となってしまったのかもしれません。
彼の代表曲である「 もうええわ」の歌詞にその理由を見た気がします。

「 こころ軽くして
自由に歩いてみたいなら
すれ違った人だって
過去だって怖くない」

そう、Twitterは、彼にとって「すれ違った人や過去 」だったのかもしれません。

だからこそ
「手放す時は今 」と決断したのではないでしょうか。

【Twitterでのあれこれ】
私自身はあまり目にしなかったのですが、昨今、藤井風さんのTwitterをめぐって色々なことがあったようですね。

私は、何かを見てちょっと不快になったとき、
嫌な気持ちになったとき、自分の気持ちを整理するために、いつも軸として考えることがあります。
「 この感情の元はどこから来ているのだろう?
もしかしたら羨望や嫉妬が原因なのではないだろうか」と。

あー!そうか!
これはやっかみだったか。
そうか
それならば反応せずにスルーしよう。 

そう思うと目の前が晴れてスッキリした気持ちになることがあります。

【藤井風さんの「 いいね!」が持つ力】
普段Twitterで、楽しいツイート、心に残るツイート、元気が出るようなツイート、などがあったときに皆さんはどうしますか。

そうですよね。
いいね!をしますよね。

友だちが「いいね! 」してくれたら嬉しい。
見知らぬ人が「いいね! 」してくれたら、またそれも嬉しい。

そして・・・藤井風さんが「 いいね!」をしてくれたら?

ファンだったら嬉しくて、きっと舞い上がってしまいますよね。
俗に言う「承認欲求が満たされた 」状態になるからだと思います。

そして同時に、嫉妬される対象になってしまうかもしれません。

同じように、
「藤井風さんに偶然会って写真を撮ってもらった 」
「 お目にかかってお話ができた」
「 ご家族にお会いできた」
そんな幸運をSNSに上げると
批判の対象となってしまうことがあります。

「このコロナ禍に 」
「ご家族の生活に影響が出たら 」
「 近隣に住んでいる方にご迷惑ではないのか」
「 プライベートの時にお声をかけるなんて」
などなど。

【人として大切なこと】
ここでひとつ、考えたいことがあります。
私たちはよくわかっています。
熱烈なファンだということは、いつでも話しかけて良い、と言う理由には決してならないと言うことを。

残念ながら、相手にとっては「あなたは見知らぬ人 」なのですから。

道端で知らない人から急に握手を求められたり、あとをつけられたり、待ち伏せされたりしたら、普通は恐怖でしかないでしょう。

しかし、目の前に憧れのアーティストがいても凛とした態度を取れるなんてなかなかできることではありません。

人はその狭間で苦しみます。
(vol.2に続きます)

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