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【藤井風さんの日産スタジアムライブと無料配信に思う】

日産スタジアムで行われた藤井風さんのライブの同時無料配信について、一部で批判の対象になっていた事を耳にした。

チケットに当選した方の中には
「無料配信があるなら、この暑い時期にわざわざ日産スタジアムのチケットを取らなかったのに 」と思った方がいらしたとのことだ。
それに対して、ライブに行きたくともチケットを手に入れることのできなかった方々の気持ちは大きく揺れたようだ。

人の持つ理論や考え方はそれぞれで、何が正しいとか、どれが間違っているとかについては容易に判断がつかない事が多い。

こんな時、私たちは釈然としない気持ちや、批判したくなる思いを一旦抑え、物事の真意を考えてみることが大切なのではないかと思った。

【なぜ日産スタジアムなのか・そしてなぜ真夏なのか】
すべての始まりはあの、2021年のフリーライブなのではないだろうか、と私は思っている。

河津マネージャーがお風呂に浸かりながら思いついたという、あの壮大な構想。

日産スタジアムで藤井風のライブを行い
コロナ禍で夏休みを楽しみきれなかった子供達を無料で招待することができたらどんなに素晴らしいだろう!

そう思いついた時の河津さんのワクワクは相当なものだったのではないだろうか。

これは、河津さんがサッカーがお好きであり、いつも風さんの傍らにいるからこそ「 降ってきた」アイデアではないかと思う。

【日産スタジアム】
日本で一番大きなスタジアムでのライブ。
莫大な費用がかかることは想像に難くない。
しかし、バンドもなく、風さんの出演そのものがボランティアであるライブだとしたら?
それならば子供達を無料で招待することができるのではないか?
アイデアの元は最初はそんなところであったのかもしれないと思った。

【コロナ禍の悲劇がドラマに】
ところが、折しもコロナ禍の何度目かの波にのまれ、観客を入れてのライブは実行不可能となってしまった。

中止なのか。
無観客でやるのか。
無観客で、成功するのか。

そして結果は・・・

みなさまご存知の通り、コロナ禍の音楽の歴史における素晴らしい一幕となり、人の心の中に感動の雨を降らせたのだった。

藤井風さんはいつだってそうだ。
逆風さえ味方につける人なんだ。

そして、無観客でライブをした時、風さんとチームはこう思ったに違いない。
いつかこのスタジアムを観客でいっぱいにしたい。
音楽を、直接届けたい。
できるだけ"Free"に。

【直接届けること】
さて、ここで考えてみたい。
風さんが、海外に公演に出向く真意はなんだろう。
海外にいてもインターネットで藤井風さんに会うことができるこの時代に、わざわざ出向くことの意味は・・・

それはまさに「 直接届ける」ことに他ならないと思う。

そして、海外に直接届けていると、今度は日本のみんなと直接触れ合う機会が減ってしまう。
それならば、日産でドーンと二日間開催すれば、ライブが見たい!と思った多くの方々に来てもらえるかもしれない!

そして・・・
結果としては「 来たい人全てが参加できる」ライブとはならなかった。
応募しても応募しても当たらない「 プラチナチケット」になってしまったからだ。

そんな中で
「 どうにかしてこのライブに来たい人、全員を参加させることができないものか。」
そんな実現不可能なことを、真剣に考えたのではないかと思う。

【フリーライブ】
同じ時間に一斉に届ける。

時間や状況や金銭的なゆとりのある方、そうでない方、日本にいる方、日本に来ることができない方にも同じように届ける。

その「 同じように」「 垣根なしに」の概念を英語に訳すとすればEqual (イコール)ではなく、Free (フリー)となるのではないか?

配信を無料で行うことにあたっては大きな葛藤があったであろうことは想像に難くない。
チケットの争奪戦に興じた方々の反感を買わないか。
遠方から参加する方のご負担については心を寄せないのか。
発表するタイミングはいつが最適なのか。
そんな逡巡はいくらでもあっただろう。
しかし、風さんが、チームが、出した答えは「同時無料配信 」だったのだ。


【ワシもみんなのライブに今日来てます。】
そしてみんなに直接会う、と言うことも今回のテーマのひとつだったように思う。
人に直接会うと言う事はどういうことだろうか?
それはお互いの存在を確認し合うことだ。

実際に隣に座る。
相手の声を聞く。
自転車に乗って会いに来る。
相手が光らせたスマホのライトに気づいて反応する。
藤井風さんはそれを、70,000人ものライブ会場で全て成し遂げたのだ。

ライブ前に
「無料配信があるなら、冷房の効いた部屋でゆっくり見れたのに !」と思っていた方々は、ライブが終わった時にも同じお気持ちだっただろうか。

これは批判ではない。
人の心の機微を慮ることができる人なら容易に想像できるはずだ。

例えば、やっと手に入れた映画の試写会のチケットがあるとする。
仕事の休みも取り、宿泊までして見に行こうと計画していたものが、
全く同じ日の同じ時間にYouTubeで無料で配信されますと言われた時、落胆する人がいたとしてもおかしくはない。

しかし、その出来事と今回の藤井風さんの同時無料配信とは、どこが違うというのだろうか。

そう、藤井風さんの日産スタジアムでのチケットはライブを見るためだけのものではなかったからだ。
それは「 ライブへの参加券」だったのだ。
だからこそ、会場に行けずにYouTubeで見た人の心の中には
「私はこのライブを見たけれど、現地で参加することができなかった」そんな寂寥感が残ってしまったのかもしれない。

しかし、ライブの冒頭、風さんはなんと言っていたか。

「 どこにおっても見てますから」

この「どこにおっても 」の中に、配信を見ている人が含まれていないわけがない。 

そう、藤井風さんならできると思う。
目を閉じて真実を見るというようなことが。

こうして、FreeでFeelin’ Go(o)dな夏祭りは幕を下ろした。

しかし、夏祭りの後がいくら寂しくとも、世界に羽ばたく藤井風さんを私たちはここで、見守ろう。

どこにおっても、見てますから。
そう、私たちも、
あなたのことを。

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