HSPの私が生きる道(15) - 我慢できない人が我慢できない
表題の通りである。
共感していただけるかどうかわからないが、明確にそう自覚したので書き留めておく。
道端に唾を吐いたりポイ捨てしたり、果ては咳払いまで、そういうことをする人に対して「なぜ我慢できないのか」と憤っていた。10代の頃から、どちらかといえば「正義感の強い、真面目な」人間だった。
美術を志してからは、その正義感は和らぎ、もっと物事の本質を見よう、そうすれば共存の道も見えてくる、そういう考え方にシフトした。
就職して入った会社は、類型的な正義感が幅を利かせるツマラナイ所だった。
会社に適応しようとすればするほど私の思想は「退行」した。
ついに心療内科にかかって、最初に下された診断は「適応障害」だった。
よくもまあ10年以上も「適応」できたものだと思う。
それは、いわゆる「コミュ障」で「陰キャ」な私を許容してくれた周りのお目こぼしのおかげでもあり、そして「適応」できなくなったのは、お目こぼししてくれる人が会社から去ったせいでもあると思う。
しかしながら、そもそもそれは周りの空気や言外の意図を敏感に察知する、私自身に備わっていたHSPという気質の為せる業だった。HSPという概念について知ったのは、皮肉にも「適応障害」後のことだった。
私は別に正義感が強いわけでも真面目なわけでもない。むしろその逆だと思っている。それなのに周りはおしなべて私をそう評価する。私はこのギャップに大いに苦悩してきた。不本意な評価に対してもそうだが、実際は、自分自身のHSPという気質に苦しんでいた。炭鉱のカナリアに喩えられるように、常に些細な刺激を拾い上げ、ある意味では針小棒大に扱い、頭の中ではいつでもアラームが鳴っていた。
だが、他の人は必ずしもそうではなかった。
私は浮かないように、少し前の言い方をすれば「KYと言われないように」努めていた。今思えば、苦しくないわけがなかった。
我慢できない人を見るのが我慢できなかった。
そういう人に対して、私が憤慨する様子を見た誰かが、正義感が強すぎるとか、クソ真面目だとか、そういう「誤解」をするのも無理はない。
だがそれは、脳内で常時アラームが鳴りっぱなしなのに、社会性の名の下に、カナリアのように鳴き叫ぶことができず、(男が騒ぐなみっともない、という類の伝統的ジェンダー観も手伝って)ひたすら平然を装って「我慢」し続けていたせいで、ただ「我慢」をしない人が羨ましかっただけだ。「正義感」の実体なんて、案外大したことなかったりする。
私は今、物心ついて以来ほとんど初めて、過剰な我慢をしない生活を送っている。自称フリーランスのアーティスト、その実態は、やがて打ち止めになる手当をもらいながら在宅で仕事をし、わずかな報酬を得ているだけの、無職引きこもりの中年男性という「救いようのない存在」である。それは分かっている。分かった上でその道を行くと決めたのだ。
会社員時代のような規則的な生活とは程遠いが、外界からの刺激を最小化し、自分の脳内アラームが鳴りすぎないように、または鳴っても自分の意思で処理するための、自分に最適化した環境を、生まれて初めて自力で構築できている。
極力、誰にも迷惑をかけない。
そして、誰にも迷惑をかけられない。迷惑被るとしたら、それは基本的に己の不摂生の致すところである。
「カネがない、稼げない不幸」を説きたければどうぞ。
ただし、私はずっとずっと「カネがあっても、稼げていても不幸」だった。
今の生活が褒められたものではないことは重々承知の上で、私はようやく自分自身にとっての幸せがなんであるかを掴みかけている。
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