【考察】舞台「カストルとポルックス」について、総司と翔の関係とか、タイトルの由来とか、劇中劇「カストルとポルックス」の作者についてのこととか。

このnoteは、舞台「カストルとポルックス」を見た人間による、なんの根拠もない考察と仮説です。
舞台のネタバレを思いっきり含みますので、まだ舞台本編をご覧になっていない方は読まないことをオススメします。

書いている人間の装備
・現地観劇済
・初日公演の配信映像を視聴
・パンフレットあり
・戯曲本あり

考察その①総司と翔、実は双子だった可能性について。

五十嵐家の兄弟については、鷺沼のセリフにて

「総司にはな、年の離れた兄と、弟が居たんだ。」

戯曲本P93

とある。
この「年の離れた兄」とはもちろん霊誠也であり、弟が翔(人間)だ。このあと便宜上、この人間の翔のことを翔①と表記し、劇本編に登場するロボットの身体の翔のことを翔②と表記していく。

五十嵐家の時系列はなかなか複雑かつ、鷺沼(総司)と誠也の2人から別々に情報が出てくるため以外とややこしいが、セリフを拾っていこう。

まず、翔②の中に、幼少期に誠也に桃太郎の絵本を読んでもらった、という記憶がある。
これについて、翔②は絵本を読んでくれた相手を「お兄ちゃん」としか記憶できていないので総司だと思っているが、日記を書いていたシーンで

翔「うん、お兄ちゃん!…あれ、お兄ちゃん?」

戯曲本P50

と記憶の混濁があったあと、ト書きにて

何かを察する三人

戯曲本P50

と続くことから、絵本を読んでくれたのは総司ではない(そして三馬鹿たちもそれに気づいてる)と分かる。
またこれは補足にすぎないが、翔②が総司に桃太郎のストラップをあげるシーンに、総司から「昔よく読んであげたな」というようなセリフがない。もし総司が読み聞かせをしたなら話の流れとキャラクター的にそう言っておかしくはないので、総司が読み聞かせをしているのではないと分かる。
と、いうのと、誠也の幼少期の中の大事な良い思い出として「桃太郎の絵本」があることから、翔①に桃太郎の絵本を読み聞かせたのは誠也で間違いないだろう(誠也くん良いお兄ちゃんすぎない???泣いちゃう)

で、これでなにが分かるかというと、翔①から翔②に「幼少期に桃太郎を読み聞かせてもらった」という記憶が引き継がれて残っていることから、翔①は絵本の内容を理解しある程度記憶できる年まで誠也と一緒にいた、ということだ。

そして誠也からは五十嵐兄弟の経緯が明かされていく。

誠也「お前が物心つく頃にはもう、俺たちの親は出ていったもんな」

戯曲本P134

誠也「仕事が決まり次第、すぐに親から逃げた。もちろんお前らも連れてな。」「ある日、お前達を匿っているところを委員会の奴らに見られてな。」

戯曲本P150

つまり五十嵐家の経緯をまとると

1,誠也誕生
2.総司誕生
3.翔①誕生
4.誠也、総司と翔①を連れて親から逃げる
5.誠也、弟2人を匿っているところを委員会に見つかり、弟達と暮らすことをあきらめる
6.総司と翔①、親の元に戻る
7.両親、総司と翔①を捨てて出ていく

となる、で間違いないだろう。
誠也にとっては「親から逃げた」だが、誠也から見る総司は「親は出て行った」であり、鷺沼からも「誠也は親に捨てられている」とある。誠也が家を出る前に親が出て行ったとしたら、誠也は親から「逃げ」て家を出る必要はないので、両親が出て行ったのは誠也が家を出た後、とするのが矛盾がないように思う。

と、なるとひとつひっかかる。それは鷺沼の、総司の生い立ちについてのセリフ。

鷺沼「生まれてすぐ親に捨てられてっから、コミュニケーションの取り方が分かんねぇのかもな。」

戯曲本P36

時系列の整理でいうと、親に捨てられたのは誠也が総司・翔と離れて暮らすようになった後。だとしたら、翔①に誠也に読み聞かせをしてもらったという記憶が残ったあと、親に捨てられたわけだ。

なにがひっかかるのかというと、まあ曖昧な表現の話なので微妙なラインであるが、鷺沼の言う親に捨てられた年齢「生まれてすぐ」は、下の弟が読み聞かせしてもらったことを覚えておるような年齢を指すか?ということだ。

読み聞かせをしてもらった記憶がどのくらいの年齢から残るのか私は分からないが、少なくとも絵本のストーリーを理解できる、という意味では2歳くらいからなのでは?と思う。1歳前では難しいだろう。
そうなると、兄である総司は、小さくとも3歳くらい、のような気がする。

「生まれてすぐ」という言葉から、私は1歳になるかならないかくらいの子供を想像した。ハリーポッターも生まれてすぐ両親が死んだ少年だが、ハリーの両親が死んだのはハリーが1歳と3か月くらいの頃。3歳くらいの、自分で歩いて言葉をしゃべるような子供を「生まれてすぐ」とは表現しないのではないか?というひっかかりだ。

ではなぜそんな矛盾が生じるか。解消するヒントはなにか。

そこで、総司と翔①は双子だったのでは?という考察だ。

上記の矛盾は総司と翔①は年の差がある兄弟だ、としたときに発生する。もし2人が双子だった場合、2人してギリギリ桃太郎の絵本を覚えていられる年齢(2歳にならないくらい?)だとしたら、「生まれてすぐ」にも当てはまる気がする。

鷺沼は五十嵐家の兄弟について、誠也のことは「年の離れた兄」と言ったが、翔①の年齢についてはなにも言わなかった。つまり
鷺沼のセリフ、そして舞台上で出てくる翔②が総司と比べて幼く見えることから発生するミスリードなのでは?という仮説である。

翔②は総司と比べて幼いように見えるが、これは翔②が翔①をもとにあとから「作られた」ロボットであるから、とすれば納得がいく。
翔②というロボットに経年の成長があるかは分からないが、もしあるとしても翔②を作る際、総司の頭の中には亡くなった時点での翔①があるため、その状態をオーダーしたら総司とは年の差が生まれるだろう。経年の成長がない場合は言わずもがなだ。同い年として作ったとしても人間である総司は成長してしまうので、当然翔②は総司に比べて幼くなる。

ここまで読んでいただいても「まあたしかにそうかもしれないけど、総司と翔①が実は双子だったとして、だからなに?」という感じかもしれないが、私にとっては大事なことなのだ。

この考察は、私が双子に少し執着のある人間であるから発生し、そしてこのあと話していく舞台表題の「カストルとポルックス」は誰?という考察に繋がっていく。

考察その②「カストルとポルックス」表題考察。カストルとポルックスは誰?

表題の「カストルとポルックス」は言わずもがな、双子座の神話に登場する双子の兄弟の名前である。

双子座神話について一応引用しておくと

「双子座」の物語は、ギリシャ神話に出てくる二人の英雄のお話。
大神ゼウスがスパルタ王妃レダに恋をし、度々白鳥に化けては彼女の元を訪れました。
二人の間に生まれた双子の兄弟は、カストルとポルックスと名付けられます。
仲が良かった二人はやがて成長し、勇者となって戦いの中に身を投じるようになります。供に戦場を駆け巡り、多くの戦功を上げていく二人でしたが、兄のカストルは敵の矢に当たり命を落としてしまうのです。
弟のポルックスは深く悲しみ、兄の死が耐え難く、受け入れることができません。
彼はゼウスの血を引いて不死身の身体を持っていたために、兄と同じように死ぬことができず、大神ゼウスに自らの死を懇願しました。
大神ゼウスは、兄を慕うポルックスの心に打たれ、その願いを叶えてあげます。
こうして二人は、冬の星座を彩る一つの星座「双子座」として空にのぼり、いつまでも仲良く輝き続けるのでした。

https://koyamachuya.com/space/81094/

という話であり、細かい解釈は伝承によって色々違うが、まあおおむねこのストーリーである。

私は諸事情(ヒント:葵咲本紀)の影響で双子萌えを発症しており、今回、この舞台表題が発表されたときから「なに!?佐藤流司氏の双子解釈が聞けるってぇのかい!!!」と大興奮していたため、このタイトルの「カストルとポルックス」がどう回収されるのか?どう神話と繋がるのか?という視点で初回観劇してしまった。

舞台本編を見ると分かるが、劇中に双子と明言された存在は登場しないし、一見タイトルが回収がされていないように思える。

と、いうところから発生したのが、さきほどの考察①「総司と翔①は双子だったのでは?」というものだ。

もしそうだとしたら、今回のお話は双子座の神話とは逆、というか双子座の神話を2重に積み重ねた
・兄が死ぬ
・不死の力(ロボット)を持っていた弟が、それを兄に渡すことで兄を生き返らせ、自分は死ぬ
・兄は弟の力で生き返る
という、双子座神話を綺麗に下地にしたストーリーとなる。

また双子座神話は「星座になる」という結論で双子の兄弟が「永遠」になるわけだが、今回のお話では星座ではなく「ロボット」になることが永遠の象徴となる。と、かなり美しいタイトル回収だ。

ということで、私の中ではさきほどの考察①と合わせてだいぶスッキリしたのだが、ここまでのことをぶち壊すようことを承知でいうと、なんていうか、双子に固執することがこのお話の本質ではないのかも?とも思う。

パンフレットの対談でも佐藤氏から「兄弟愛の話」と言われているとおり、このお話は双子かどうか、ではなく、兄弟のお話である。
それはこのお話の兄弟が、総司と翔をメインにしつつも、どうしたって無視できないほど誠也という兄の愛情も含まれていることからも、そうなのかなぁと思う。

双子座の神話は、人類の歴史に古くから残る双子の神話と思いがちだが、それはそもそも「兄弟」の話。
兄弟の残された方が、死んだ兄、あるいは弟を惜しみ、その命の復活を願う。
総司が翔①を作ってほしいといったように。翔②が総司を生き返らせてほしいといったように。誠也が翔②に対し、2人も弟を失いたくはないと言ったように。

兄弟の命が続くことを願う。そして願うことでそれが叶い、永遠になる。
双子座、カストルとポルックスの神話のその部分こそがこのお話の本質であり、テーマだったんじゃないかなぁと、ここまで考えた上で思っちゃったわけだ。

どうなんだろうね。私は自分でも自覚のある通り双子に執着があったのでこういうことを考えてしまったんだけど、双子への執着がそこまででもない人はこのあたりどういう解釈だったんだろう…まあいいいか…

「星に願いを」

ところで。
ストーリーのキーアイテムというか、メインモチーフである「星」。
そして「星に願い事をすると叶う」という価値観は、どうしたって名曲「星に願いを」を連想する。
そして「星に願いを」は今回の舞台の翔②と同様、人間に作られたモノ・人形に命が宿り、そして本当の人間になっていく物語「ピノキオ」の主題歌である。

タイトルが「カストルとポルックス」なら双子座の神話は下地にしてるだろう、というのは無理のない考察だが、「星に願いを」から「ピノキオ」も下地にあるだろう、というのは無理だと言われれば無理な考察ではあると思う。

しかし、もしそうだとしたら。
「カストルとポルックス」という双子座の神話。星座のお話を、星座、星に願いを託した物語「ピノキオ」で語られた「人工物は人間になれるのか」というテーマにつなげるの、あまりにも美しいな~~~!!!と感嘆してしまう。

そして「ピノキオ」が最後、ゼペットを救うために命をかけたことで人間になれたように、翔②は総司を救うために自分の命を捨て、そして総司とともにひとりの人間としてこれからを生きてく。

そう思うと、あのラストシーン。
客席の頭上まで広がるような星空のシーンが、さらに美しいものだなぁと思えるのだ。

考察その③鷺沼の目的はなに?

さて、ここからはちょっと話題を変えて、今回のお話のキーマンであり謎の多い人物「鷺沼」の話である。

初回が現地観劇だったのでカラコンの演出に気付かなかったのだが、舞台挨拶フォトと配信を見て、あ~~なるほど…となったし、配信で見ると途中で総司の片目が青くなっているのが良く分かり、劇中で語られる「総司=鷺沼」は確定している、と分かった。
(余談だけどどうして、誰かから片目をもらってその先の人生を生きていく、という設定ってこんなにエモいんだろうね…)

では鷺沼について。鷺沼は

総司「多分、俺が失敗した未来なんだよ。鷺沼さんって。」

戯曲本P187

とある通り、未来の総司であり、失敗したifの総司だ。

鷺沼のセリフでも

鷺沼「とにかく、俺の人生は失敗だったってわけだな。」

戯曲本P38

と自覚もあるご様子である。

では鷺沼の「失敗」とはなんだったのか。

それはおそらく、最後の戦闘シーン、地上を目指す総司が戦っている際に鷺沼が

鷺沼「こっからがキツいんだよなぁ。」「俺も、見てみたかったなー。」

戯曲本P173

と言っていることから、あのあと「星を見ることができなかった」ということが発端の失敗、なのではと考えられる。

なぜ星を見られなかったことが人生の失敗に繋がるのか?という点は一度おいておいて、その失敗「星を見られなかった」のあとの鷺沼(この時点では総司か)の人生を考える。

そうすると、鷺沼が「タイムマシンの発明」に成功していることが見えてくる。
鷺沼が未来から今(劇中時空)に来ていることがなによりのその証拠。そしてダンスバトルシーンで「夢はなんだ?」と問われた総司だが、初日公演では「タイムマ…」といいかけているし、戯曲本でも「タイ…」とセリフがあることから、総司の夢として「タイムマシン」があるのだろう。このセリフだけでは「タイムマシンに乗りたい」か「タイムマシンを発明したい」かそれ以外かは分からないが、まあきっとそういう感じ。

つまり鷺沼は、ダンスバトルをしていた頃の総司の夢「タイムマシン」をそのまま叶えたわけだ。

で、鷺沼と総司の人生の分岐を考えると、それは「星を見たか、見られなかったか」の違いになる。
つまり「星を見た」総司はその後、翔②の後継機(翔③と表記)や三馬鹿のロボットを作り、のちの世を支配するロボットたちのオリジナルを作る。
そして「星を見られなかった」結果は鷺沼となり、その後タイムマシンを発明する。

この鷺沼がタイムマシンを発明したifの未来が「失敗」の歴史だ。
失敗した鷺沼はタイムマシンを作成し、劇中時空、つまり過去へ戻ってくる。
ではなぜここに戻ってきたのか。何が目的で?

総司が成功した未来では、タイムマシンの発明ではなくロボットの発明に繋がる。
そしてこの総司が成功した未来には、おそらくタイムマシンがない。なぜか?タイムマシンがあり使えるのではれば、自分たちの絶滅を悟った人類は間違いなく過去へタイムリープし、人類が絶命する未来をやり直そうとするだろう。

となるともしかして、鷺沼が生きた未来。総司がタイムマシンを発明した未来では、人類が絶命しなかったのではないか?

そして鷺沼の人生についてはもうひとつ。

鷺沼「俺の作った物によって、悲しむ奴が居るって知っちまったからかな。」「そうなるだろうって予想だ。」

戯曲本P37-38

というセリフも謎である。

この「作った物」がタイムマシン?と一瞬思ったが、鷺沼はタイムマシンを作って劇中時空へタイムリープしたあと、「翔②」を作っている。タイムマシンが「誰かを悲しませるもの」と知って製作活動をやめた、では時系列が合わないのだ。

また鷺沼の作品「翔②」についてだが、これもひとつの仮説がある。それは翔②のような自立型二足歩行ロボットはあの劇中の時空において、そこまで珍しいものではなかったのではないか?という仮説だ。つまり翔②のようなロボットがある程度の数生産されていて、出回っていた、という仮説。

根拠はいくつかある。

ひとつは冒頭の翔②のセリフ。誕生日のお祝いはケーキ?というシーンの

翔「僕たちロボットは食べ物食べられないしねえ。」

戯曲本P17

で、翔は「僕たち」と複数形で言っていることから、この時期、ロボットは複数存在した、ということ(まあ2023年現在もガンガンいるしね)。

またこの少し前に翔②に紹介映像としてト書き指示があるが、ここに

AIのCMのような映像。

戯曲本P14

とある。CM?と、いうことは量産されていた?
あくまで「のような」だからそれが確定でCMかどうかは分からないが、ト書きでそう指示があるということは、そういうことなんじゃないの~?と思ってしまう。

また委員会の下っ端たちが翔②に会ってロボットであると知っても特に驚きなどはなく

黒服2「そもそもコイツ生き物じゃないですよ」

戯曲本P133

という嘲笑があるので、翔②のような人間の見た目をした自立歩行ロボットは珍しくないのでは?となるわけだ。

となると、翔②をつくった鷺沼は、翔②のようなロボットを開発し、量産して売っていた可能性があげられる。

ただ、総司が鷺沼に頼んだことが、イチからのロボット作成なのか、既存のロボットに翔①の記憶や性格を紐づける作業なのか、が分からないので微妙なラインではある。イチから制作だった場合は鷺沼が翔②のようなロボットを量産していた可能性があるが、後者であればそうではない。
が、設定としては、鷺沼が製作者で、製作者を訪ねて総司がやってきて…というほうがカッコイイな~~と思うので、そちらを仮説として一旦採用したい。

となると、劇中時空の数年前、鷺沼は未来から過去へタイムリープしてきて、その時代でロボットを量産し売っていたわけだ。
これ、けっこう危ういことしてない?となる。

じゃあなぜ鷺沼はそんなことをしたのか?という考察への仮説がまだまとまっていない。
そもそも、鷺沼がタイムマシンを作ったのは確定として、なぜ劇中時空の時代へタイムリープしてきたのか、という点も謎だ。なにが目的で?

仮説としては翔①や翔②の死について後悔があり、それを阻止するため、というのもあるが、それにしては不可解な言動も多い。

また、鷺沼は終始、誠也のやることについては疑問を持っている。

まあこれについては、誠也が自分の目論見、つまり両親への復讐のために家を出て委員会へ入ったことの理由が語られる際、総司は死んでいて聞いていないので、その総司である鷺沼も誠也の本音を知らない、というのが理由かな~とは思う。
翔②はこれを聞いていたけど、翔②から総司へ記憶の完全な引継ぎはされていないっぽしね。

というような感じで、見出しにまでしておいてなんだが、鷺沼の目的については絶賛考察中だ。
もうしばらく配信を見たり戯曲本を読みこんだり、あと現地で観劇したりして考察を深めたいな~というところである。

余談:終幕後、総司がつくる翔③の頭には誰の脳が入るのか?

鷺沼のこととは少し離れる(いや時系列としては繋がる?)が、終幕後の未来で総司が作成するであろう翔③。これって、誰の脳が使われるのか?あるいは人間の脳を移植しないロボットなのか。

というのも、翔①から翔②へは、ぼんやりではあるが記憶や経験、習慣の引継ぎがあるようだ。子供のころ誠也に絵本を読んでもらったのは翔①の記憶だろうし、日記をつけるような性質も翔①のものだ。

これをロボットである翔②へ引き継ぐときって、データで引き継いだのか?例えば翔①の行動パターンを学習させて、同じような行動をとるAIを作成したのか。
それとも、翔②の身体に翔①の脳(の一部)を移植し、その記憶を引き継がせたのか。どっちなんだろう。

というのも、翔②から総司へは脳の移植をする、と明言されていて、おそらくそうなんだろう。目が分かりやすいポイントではあるが、総司も「半分は翔」と言っているので、脳も移植されているっぽい。

もし翔①→翔②へ脳の移植があったとしたら、翔①→翔②→総司、へと脳の一部が引き継がれているわけだ。
その場合、翔③をつくるとなったら、総司の頭から脳を取り出して移植するのか?

いや、やっぱそれは無理があるから、そもそも翔①→翔②へは脳の移植はなかったのだろうか。データ学習したAIだったのか?

みたいなのは物語の本筋にはなんの関係もないと思うんだが、なんとなく考えてしまった。翔①の脳が翔②経由で総司にわたっていたら、だいぶシュールである。

考察その④一条犬御の著作「カストルとポルックス」の謎と、劇中劇「カストルとポルックス」の作者について

三馬鹿のうちのひとり、のようなポジションに見せておいて、実はちょっと物語に影響する濃度が濃いキャラクター、一条犬御。途中の工事現場服、かっこいいよね。

一条犬御だが、津田を助けるシーンがあるとか、総司を立ち直らせるシーンがあるとかのほかに、かなり大事な役割というか設定がある。
それは劇中の設定において、上演しているこの舞台・劇中劇「カストルとポルックス」の基となった作品として書籍「カストルとポルックス」という作品があり、その著者が一条犬御である、という設定だ。

犬御「この物語は」「一条犬御著作の書籍『カストルとポルックス』を基に制作されています。」

戯曲本P46

もちろんセリフにある通り、この物語の基には二足歩行ロボット「五十嵐翔」つまり翔②(または翔②&翔③)の日記と語感的記録も含まれているが、劇中劇の表題と同じタイトルの著作「カストルとポルックス」の内容が多分に反映されていないわけはない、と考えられる。

そして、不思議なことが。

それは冒頭、上演予定だったシェイクスピア作品が変更となりこの舞台が上演されることについての

遼斗「我々のオリジナルを作ってくれた人間が、人間に見せるために作った物語。」

戯曲本P5

というセリフだ。

物語を終幕までみると、この「我々(未来を生きるロボット)のオリジナルを作った人間」は、まず間違いなく五十嵐総司である、となる。ならば、この舞台「カストルとポルックス」を作ったのは総司だ。

しかし、「カストルとポルックス」の著者は一条犬御。

もちろん、書籍「カストルとポルックス」と、舞台「カストルとポルックス」は異なる作品だから、作者が違うということもあるだろう。現実ならば。
しかし、物語(ここでいう物語とは、私たちが見ている上演されている舞台「カストルとポルックス」のこと)の設定において、そこの作者を別の人間にする理由は?というところだ。不思議すぎる。

そこでこのセリフの解釈について、「オリジナルを作ってくれた人間」の「人間」が、個人ではなく人類という生物種を指している、という説を推したい。人類が絶滅してから1万年以上経っていたら、人間のひとつの個体がなにを成したかとりも人類種全体がなにを成したか、という記録に置き換わっていても不思議はないだろう。つまりロボットを作り上げたのが総司という個人、というよりも、人間全体としての功績として後世に残った、という可能性だ。
セリフ後半の「人間」は人類全体を指しているっぽいことから、前半の「人間」も人類全体、という可能性はおおいにある。

であれば、書籍「カストルとポルックス」の作者は一条犬御だが、舞台(劇中劇)「カストルとポルックス」の作者は、誰かと指定しない人類全体、ということになる。たとえば書籍「カストルとポルックス」の内容を人類が語りつないでいき、少しずつアレンジが加わった末にできた物語、とかね。

無理矢理、書籍「カストルとポルックス」を書いたのが一条犬御で、劇中劇「カストルとポルックス」を作ったのが総司、ということに理由をつけようと思えばつけられなくもないが、私は

「劇中劇『カストルとポルックス』を作ったのは人類全体」という仮説を推したい。

双子座の神話が、明確な作者が不明になっても数千年語り継がれて今の私たちに届いているように。
一条犬御が記した書籍「カストルとポルックス」と五十嵐翔の記憶・記録が合わさって、その時代とその先を生きる人類に語り継がれていった結果、生まれた物語が劇中劇「カストルとポルックス」。

そしてそれは、人類が絶滅する前、最後の物語だ。

そう思うととてもロマンチックで、良いなぁ…と。なので私の考察④は、そういうことにしておきたいと思う。人間が作った最後の物語のタイトルが「カストルとポルックス」だなんて、なかなかどうしてロマンチックだ。

なぜ一条犬御が「カストルとポルックス」という書籍を書き、そしてタイトルにその名前を付けたのか、は……どうなんだろうね。
書籍「カストルとポルックス」の内容が分からない以上、劇中劇「カストルとポルックス」とどのくらい内容が同じなのか分からないし、何を書いたのかも明確ではない。

ただ、総司と翔。そして誠也。この兄弟を一番近くで見ていた犬御が、幼いころからずっと星に願いを託してきた彼ら兄弟の話を書き残し、その関係になぞらえて双子座の神話「カストルとポルックス」からタイトルを付けたとしたら、とても素敵な話だなぁと思う。そういう友情がある、ということがとてもいいなぁと。

そうだとしたらタイトル付けには、偉人の名言に詳しい博識な雉丘のアイデアも入ってたりして…なんてね。

考察に行きついていない謎:東雲が苗字で呼ばれるのを嫌がるのはなぜ?

最後に、考察にいきついていない謎をひとつ。
それは東雲さんがなぜ苗字で呼ばれるのを嫌がるのか?という点。

東雲さんは情報も少ないし、良く分からないことが多くてな~~
家族と自分との関係にトラウマというか、家族のことを思い出すことで自分のトラウマが掘り返されしまうから?というのは思い浮かんだんだが、その場合はもっと「やめて!!」みたいな反応で「苗字で呼ばないでほしい」と言いそうな気がする。

セリフを言っている東雲さんの感じからすると、どちらかというと「自分の苗字が嫌い」と思っていそうな印象を受ける。

仮説というかもはや二次創作のレベルだが、
もしかして東雲さんは両親が強盗殺人に殺されたあと、だれかの家の養子に入ったのではないだろうか?だから両親の名前(自分の生まれたときの名前)は「東雲」ではなく別の苗字で。養子に入った家の苗字が「東雲」だったからその名前で戸籍は登録されているけど、東雲さん的には殺された両親と同じ苗字でいたい、あるいは、殺された両親につけてもらった下の名前を気に入っているし大事にしたいから苗字で呼ばれたくない、とかかしら。

だとしたら東雲さん、かわいいところがあるなぁというか。
生い立ちからして仕方ないが、両親との数少ない思い出やつながりにしがみついている、悲しくもかわいらしい子供のような人なのかもな~なんて思ったりしました。

余談だけど、「東雲(しののめ)」って苗字、カッコイイよね。

同僚(?)である誠也が苗字の「霊」が偽名で自分でつけたっぽいことを考えると「東雲」も偽名である可能性もあるな~とは思うんですが、どうなのかな~~

個人的には、「東雲」は養子にもらわれた先でついた苗字であり、両親につけてもらった「修太」という名前を気に入っているからそれで呼ばれたい、という理由だったらキャラクターとして魅力的だなぁと思いました。

以上。


ここからは考察でもなんでもなく、すごく好きだったな~みたいなところの羅列です。

ます、演出やストーリー、その他いろんなものが、当たり前だけど今までエンターテイナー「佐藤流司」氏が表現してきた世界の詰め合わせというか、材料全部集めてそこから新たに調理してオリジナル料理にしました、みたいなエッセンスをたくさん感じて、これは最高のファンサービスだな…と嬉しくなりました。佐藤流司を知っていれば知っているほど楽しいし、知らなくても楽しい。そういう感じがしました。

個人的なところでいうと、廃墟の世界観みたいなのが私もかなり好きで、うわ~~好き…となりましたね。下町っぽいというか、増築を重ねてお店が色々ある感じが九龍城っぽいというか…
そういう世界観、大好きなので、非常に嬉しかったなぁ。

あとは、佐藤流司氏という人は、ものすごく「舞台」が好きな人なんだなぁと思って嬉しくなりましたね。ピンスポで遊ぶのとか、舞台上で早着替えがあるのとか。そういう舞台ならではの「面白さ」「遊び」みたいなものをたくさん感じて、あ~~この人は舞台という世界が大好きでいてくれるんだなぁ、と温かい気持ちになりました。私も舞台が大好きなので。

あとはこれだけ考察して色々と考えて夢中にさせてくれる作品を見せてくれたことに圧倒的感謝!!そしてこの舞台をリアルタイムで、しかも現地で見られる。その環境にいられることにありがたいなぁと思うほかありません。
客降り演出あるのも嬉しかったねー!


鷺沼さんの考察はまだ続けますが、いったんこれで公開することで意思表示といたします。
ここまでお読みくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。

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