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わたしがアイドルになるまで



地下アイドルになって4年。
途中、活動休止期間はあったものの、「中堅」なんて呼ばれ方をする芸歴になっているらしい。


学校生活を“ちゃんと”送れない自分が嫌になり不登校気味になりながら、ギリギリ高校を卒業した。
そしてその年、18歳の春、アイドルになることを決めた。


行きたい大学や、学びたいこと、将来就きたい仕事
自分の意志があまりにもぼんやりしすぎていたけれど、わたしにも『歩けたらいいな』と思う道はあった。


ほんの少しの理想とのズレを立て直せないまま、学校生活を続けることがつらくなった。

勉強は好きだったが、受けていない授業の続きを板書するのが苦痛で、ノートを取ることもやめた。毎度友達に進捗を教えてもらうことも出来ず、先生の元へ質問に行くのも昔から凄く苦手だった。
当然勉強についていけなくなり、全ての学期末試験で追試を受けまくった。

『歩けたらいいな』と思っていた道は、どう考えても今自分がいる道と繋がることはない。
そして、"ぼんやりとした意志"が道を繋げる努力を促すことはなかった。

「アイドルがやりたくて大学受験をしなかった」
そういうことにしよう。と自分に言い聞かせていた様な気が今はすこしする。


アイドルになって、0からまた始めよう。

怖気付かないうちに、グループを探して何組かに応募した。
ひとつだけ、最終審査までいけたグループがあった。最終審査は配信審査で、わたしは完璧主義且つニートだった為1ヶ月一度も欠かさず毎日配信をした。他の誰にも配信"時間"で負けたくなかった。
今はもうそのグループはないけれど、そのオーディションの頃にわたしを見つけてくれた人もいる。
思えばその頃からもう既に、わたしのアイドル人生はスタートしていたんだろう。


結果、どこにも受からないまま春が過ぎ、夏の香りがしてきた頃。
それはもう「運命」と呼ぶには充分な出会いだったと思う。

メールを送って、面接をしてもらって、歌唱審査をしてもらった。

歌唱審査のあと、
癖のない歌い方だった。まっすぐな声だった。みたいなことを言われた気がする。
褒めているわけでも残念がっているわけでもなく、ただ淡々と、感想を言われた。

「伸び代に賭けようかな、と。」

あんまり嬉しくない言葉で合格を告げられた。



4年間、CHICKEN BLOW THE IDOLを名乗っているけれど、
もしこの経験値をあの頃のわたしに移行してチキブロのオーディションを受けても、また歌唱審査で「伸び代に賭けようかな」とか言われるのだろうか。
言われるのだろうな。

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