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〔鶴見線探訪〕潮風に消える国

工業地帯に満鉄の面影を探して

JR鶴見線・昭和駅附近に小さな廃線跡がある。

▶浜川崎方面から扇橋で運河を渡ってくると、昭和駅手前のカーブ付近で一つの線路が東洋埠頭方面へ分岐している。「東洋埠頭専用線」である。


浜川崎方より埠頭方面を望む

▶2011年、最後に残った東亜燃料の工場が閉鎖となり廃止された。

ヤード跡は草生している

▶貨物輸送が減少して久しい鶴見線において今やこの手の廃線は枚挙にいとまがない。ただし、この引込線については1つだけ特筆すべき点がある。
▶敷設したのが南満洲鉄道。あの「満鉄」であるということだ。

南満洲鉄道とは

▶日露戦役の結果、ロシア帝国が敷設した長春-旅順間鉄道を引き継ぐ形で1906年に設立された国策会社である。鉄道のみならず附属地での都市経営や行政の役割も担い、事実上日本の傀儡国家であった満州国において一大権益を築いた。ここではその是非は論じない。

日満倉庫の設立

▶附帯事業の一つとして炭鉱業に注力していた満鉄は1923年に撫順炭販売会社を設立。
▶この撫順炭は盛んに日本へ輸出されており、輸出量の増大とともに京浜地方に貯蔵施設(貯炭場)が計画された。

▶1928年、満鉄総裁・山本条(丈)太郎の指揮により東京湾埋立会社から三井埠頭の隣接地に約六万坪の用地を買収。
▶「満鉄川崎埠頭」と呼ばれ、日満貿易促進の要たることが期待された。
▶埠頭の経営は新会社を設立することに決定し、1929年日満倉庫株式会社(本社:川崎市扇町)が誕生した。
▶埠頭施設は同社の経営安定までの間、暫定的に満鉄本社が保有した。

日満倉庫とは満洲特産物や鉄或は撫順の石炭などを内地に安く移出せんがため、是非とも必要な荷役並びに倉庫施設を行う目的で、前総裁山本条太郎くん残した事績の一つである。(…)
日満貿易を促進するためには先づ以て水陸連絡の完備が必要(…)
此の意味に於て満鉄の鶴見埠頭計画は日満貿易の促進と言ふ重大なる意義を有する。

時事新報社経済部「新日本の工業地帯」経済知識社/1930

専用線の敷設

▶陸揚げした石炭を始めとする貨物の輸送に鉄道を使用するため、1930年に「神奈川県川崎市扇町満鉄埠頭より省線浜川崎駅構内」の専用鉄道を免許申請。1933年に免許下付となった。
▶当初は鶴見臨港鉄道に並行し浜川崎へ直通する計画だったが、1931年頃敷設された早山石油川崎製油所*専用側線から分岐する形へ変更された。
* のち昭和シェル石油_川崎製油所
▶そのため、満鉄線は正確には道路を渡った先のヤード内での分岐となる。

▶1934年に運行開始。車輌は鉄道省700形717号機を使用した。
▶1940年満鉄本社から日満倉庫会社へ譲渡され日満埠頭となる。

その後の去就

▶1945年、戦時統制のため埠頭三社(三井物産川崎埠頭、日満倉庫、横浜港における荷役業者)が合併し川崎埠頭会社となる。
▶戦後1949年には川崎埠頭は解体され、旧日満倉庫は新設された東洋埠頭会社の管理下に置かれた。


参考文献

・高嶋修一「東洋埠頭専用鉄道をめぐって」(鉄道ピクトリアルNo.634)
・松浦章「日満倉庫株式会社と南満洲鉄道」(関西大学『文學論集』第 72 巻第 1・2 合併号)

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