(備忘録)甲州廻米置場石碑について
静岡県にある、山梨県有地
静岡県静岡市清水区港町一丁目1番地に山梨県の県有地*がある。
実際の該当箇所は石碑が建っている場所ではなく、県道75号線を挟んで向かい側の画地である。
*「県有地」であり、土地の所有者が山梨県という法人(地方公共団体)であるということ。山梨県の飛び地ではない。念のため。
碑文の全文
設置者は清水市(当時)。静岡県HPによれば鈴木与平氏*の肝いりで設置されたという。
*現・鈴与グループ創業者
甲州廻米置場とは
江戸期、富士川を通して甲斐国から江戸へ回送する年貢米を一時貯蔵する拠点施設だった。「甲州廻船置場」「甲州城米積場」とも表記される。
*廻米…米を産地から消費地などに廻漕すること。また、その米。(精選版日本国語大辞典)
諸藩は廻米方を置いて藩自身の機構による廻米体制を確立している。(百科事典マイペディア)
甲斐国・鰍沢河岸(甲府代官所)、青柳河岸(石川代官所)、黒沢河岸(石和代官所)から発送された物貨は富士川を南下し、岩渕(静岡県富士市)で中継、蒲原(同清水区)まで陸送、再び船に積み替え清水湊へ回送された。これは富士川河口の堆砂が著しく河口港を形成できないことによる措置であった。
なぜ山梨県有地になったのか
山梨県の全面的保護下で誕生した「富士川運輸会社 清水出張所」の敷地となったためとされている。1882年(明治15)に山梨県が静岡県から購入*した。
*今後登記事項証明書、旧土地台帳等の取得による調査が必要
富士川運輸会社とは
1873年(明治7年)、山梨県が鰍沢・青柳両河岸の関係者へ指示し、設立させた陸運会社である。この前年、太政官布告第230号「私ニ物貨運送ノ業ヲ営候儀一切令禁止候条」が発出されている。本社は山梨県・鰍沢に置かれた。
1880年(明治13)、富士川運輸会社は青柳出張所、黒沢出張所とともに清水出張所を開設した。
*なお清水出張所の正確な位置については現在未確認であり、今後調査が必要
明治初頭の富士川舟運
碑文には「明治5年まで存続した」とある。
1868年(明治元)、新政府は金納化を図るため廻米輸送を中止。また塩輸送も各河岸の既得権排除のため陸路(吉原-精進湖-甲府)へ切替えたことから富士川舟運は一時途絶えたものの、1872年(明治5年)、この「御入塩仕法」が失敗に終わると富士川による通運が復活した。
そして山梨県有地へ
年表(まとめ)
1741(寛保元) 甲州廻米置場が清水湊へ設置
1868(明治元) 廻米を中止し富士川舟運が一時途絶
1872(明治5) 地券発行(土地所有権が確定)
富士川舟運が復活
1873(明治6) 廻米置場跡の静岡県による払下げを山梨県が阻止
太政官布告第230号発出
1874(明治7) 富士川運輸会社設立(本社:山梨県鰍沢)
1876(明治9) 蒲原出張所を設置
1878(明治11) 同社が富士川物貨運輸規則、
富士川運輸物貨ノ危険請負規則を制定
1880(明治13) 同社が清水、青柳、黒沢の各出張所を開設
1882(明治15) 廻米置場跡(清水出張所敷地?)を山梨県が購入
1922(大正11) 富士川運輸会社解散
参考文献等
増田広実「日本における内陸水運の発達」(1979国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告)
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/4237/files/BKSW220004.pdf
増田広実「蒲原新水道の建築と経営について」
*富士川舟運に関する文献は増田氏のものしかヒットしない
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