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ねこと暮らすことになりました―αとβを保護するまで

ほんのちょっと前までは、思いもよらないことでしたが…。

ねこと暮らすことになりました。


―― ※ ※ ※ ――


わたしがそのねこたちと出会ったのは、8月も終わりのこと。

美術館に出品する作品が完成し、ひと休みして、こんどはてづバに向けて制作に励まねば! と思っていたころ。

引きこもって制作するつもりで数日分の食品を買い込んだ帰り、小柄な茶白のねこがにゃあ、と鳴きながら現れました。

足を止めるとまとわりつくように寄ってきました。

近くには茶トラのねこもいて、わたしがしゃがんで写真を撮ると、何かくれると思ったのでしょう、しきりににゃあにゃあ鳴きながら擦り寄ってくるのです。

ずいぶん痩せて毛並みの悪いねこたちです。…きっと誰かが無責任にも捨てていったのでしょう。

持っているものは人間用の食料でねこの食べられそうなものはないし…。それにそこは団地の敷地内で、野良猫の餌やり禁止の看板があちこちに立っているのです。

どうすることもできず、後ろ髪を引かれる思いで立ち去りました。


調べてみると、猫の餌はコンビニでも手に入るようです。

翌日、辺りが薄暗くなったころ、コンビニまで行ってカリカリを入手。

何だかとても悪いことをしているようでどきどきしました。

ねこたちは昨日と同じところにいました。

しゃがんで餌を出すわたしを、通りかかる人がじろじろ見て行きました。「団地で餌をやるのは違法なのに!」と聞こえよがしに言っていく人もいました。

ねこたちはカリカリをむさぼるように食べました。一日にねこがどれだけ食べるのかも知らず、ほんの少ししかなかったのですが。


ねこに餌をやるのは違法なのか。

マナー違反ではありますが…。

飢えて死にそうになっているねこを見殺しにするのが正しいことなのか?

自分で餌を見つけられないのは自己責任?

ごみを漁ったらまた迷惑がられるし…。

悪いのは見捨てた人なのに。



地域猫活動というものがあります。

飼い主のいないねこさんを、野放図に増えないよう不妊去勢手術を施したうえで、地域のねことして面倒を見る(ごはんやトイレなど)、というものです。

目印としてお耳をV字にカットするのが桜の花びらのようで、さくらねことも呼ばれます。

不妊去勢手術という”不自然”なことを同意も得ずに行うこと(人間ならば大問題です)、根本的な問題解決にはならないことなど、賛否がありますが…。

本来なら、すべてのねこたちはお家に入れてしまうべきなのかもしれません。ねこたちがサバイバルしているだけで、ごみを漁られたり用を足されたりした人間は迷惑と感じるのですから。それに結局のところ、不十分な食事以外にも、交通事故や感染症など、お外は猫に良い環境とは決して言えないのです。

でもそんなことは不可能です。

すでにそこにいるねこたちと、ねこに煩わされたくない人たちと、何とか折り合いをつけるための地域猫活動なのです。


ねこたちは野生の生きものではありません。野良猫とはかつて飼われていたねこたちとその子孫であり、完全に人の手を離れて生きていけるものではないのです。

昔ならいざ知らず、のらねこたちの役割も居場所も、許容する心のゆとりも今はないように思います。

ねこたちが迷惑がられずに生きていくには、誰かが責任を持ち、ごはんと水とトイレの始末など、適切に管理することが必要なのです。といって、ごはんが豊富にあればねこたちはあっというまに手に負えないほど増えてしまいます(当然のことです)。自然淘汰や殺処分するのでなければ、不妊去勢手術は必須なのです。



そのねこたちと出会ったとき、わたしが最初に考えたのは地域猫のことでした。

さくら耳の地域ねこさんには、あちこちで出会います。みんなごはんをもらってかわいがられ、幸せに暮らしているように思えました。

調べてみると、わたしがそのとき暮らしていた神戸市には条例があり、手術には助成金も出るようです。市を挙げて活動を推し進めているのでした。

活動団体として登録すれば、腕章を交付され、手術の費用も負担してもらえます。登録の条件は地域の住民を含む2名以上。決して難しい条件ではありません。

…しかし。わたしはそのとき、マルチハビテーション制度で部屋を借りており、更新なしの定期契約で住民票も移していなかったのでした。

地域の住民が、ねこが生涯をまっとうするまで責任をもって面倒を見る、というのが地域猫活動です。少なくとも3年後には出ていくことが決まっており、知り合いなども一人もいないわたしには、地域猫活動はできないのかもしれない…と思いました。

それに、場所の難しさもありました。行政が後押しする活動といっても、そこは団地の敷地内です。犬猫の飼育の禁止はもちろん、餌やりや散歩も禁止の看板があちこちに立っているくらい、神経を尖らせているのでした。公営の団地だったなら、条例を盾に言い張ることもできたかもしれませんが…。どうも厳しいように思えます。

そもそも、そのねこたちにとって、地域猫として生きることが最善なのだろうか…。足を止めると警戒もせず寄ってくるようなねこたちです。注目されていると気づくとさっと距離を取るふつうののらねこたちとは大違いです。人懐こくてかわいいというよりも、むしろ不安を感じました。車道をふらふら歩いていたり、どうみてもお外の生活に慣れていないのです。

ごはんが充分にあっても、危険の多い外での生活より、里親さんを見つけて飼い猫になったほうがこのふたりには良いのかもしれない。…でもそう簡単に見つかるものだろうか。小柄といっても茶白のほうも子猫とは言えないし…。大きくなったねこは敬遠されがちのようだし…。


考えがまとまらないまま、わたしはボランティア団体さんに連絡を取りました。

地域猫活動を行うボランティア団体さんなら、里親を探すのも手伝ってくれるかもしれません。近くのボランティアさんを紹介してくれるかもしれません。痩せこけた捨てねこたちに何ができるか、知恵を貸してくれるかもしれないと思ったのです。

しかし、返事はありませんでした。


世の中に哀れなのらねこは掃いて捨てるほどいて、ボランティアさんは大忙しなのだからすぐに返事がこないのは当たり前…と思い、わたしは当面ねこたちの観察に専念することにしました。

痩せこけて毛並みの悪い、見るも哀れなねこたちです。当然憐れむ人はわたしの他にもいて、ねこたちはごはんをもらうようになっていました。

しかし、場所も時間も、内容もまちまちで、責任を持った適切な餌やりとはとても言えないものでした。買い物帰りの袋からちくわを取り出して放るおばあさん。鞄から取り出したキャットフードをその場において立ち去るおじさん。中には車から降りて餌をやり、そのまま車で去る人もいました。

話しかけてみたこともありますが、迷惑そうな(後ろめたそうな)そぶりで足早に去ってしまい、地域猫活動の有志には到底なってくれそうもないのでした。

ともあれ、ねこたちが飢えることがなくなったのは良いことです。水をあげる人はいなかったので、わたしは毎日水を持っていくようになりました。シャイな茶トラは水を得ることができなかったようで、お椀に水を注ぐと、いつまでもいつまでも飲んでいるのでした。

食べものの心配がなくなったとはいえ、毛並みはあいかわらず悪く、皮膚が荒れ、ときには鮮血で濡れていることもありました。ノミがいるのか毛づくろいの仕方も不自然です。病院に連れて行ってあげたいと強く思いました。


連絡したボランティア団体さんからは、メールの返信も電話もありませんでした。もう一度連絡したものかわたしは悩みました。

しかし、病院に連れて行くだけならなんとかなりそうです。ちょっと離れていますが、池田市の野良猫専門病院「のらねこさんの手術室」では送迎も行っており、捕獲機を使った保護のお手伝いまでしてくださるそうなのです。

なにせ警戒心のない子たちなので、捕まえるのはそう難しくなさそうです。手伝ってもらえれば病院へ運ぶことはできるでしょう。…しかし、そのあとは?

元の場所に戻して地域猫にするのか? 里親さんを探すのか?

里親さんを探すとしたら、その間どうするのか?

預かりボランティアさんがそうすぐに見つかるものでしょうか。といって元の場所に戻せば、話は振り出しに戻ります。

考えはぐるぐると回りました。

どうしてわたしにはこのふたりを助けることができないのか。

…わたしが飼えばいいんじゃないか?


そう、わたしが引き取れば話は早いのです。

なぜわたしにはねこを飼うことができないのか?

住んでいるところはペット可の住宅ではないので、引っ越さねばなりませんが、どのみち永住するつもりのなかったところです。引っ越すこと自体はそう問題ではありません。

…しかし、わたしにはねこと暮らした経験がないのでした。何しろ、相手は生きものです。ちゃんと責任をもって面倒を見てやれるのか。

だいいち、仕事はどうするのか。作業をしていると他の何もかもをほったらかしにするわたしです。生活リズムなんてないようなもの。ねこたちとの同居は、お互いにとってストレスになるでしょう。

それに、ねこを飼うにはお金がかかります。日々のごはん代、医療費、その他もろもろ。しかもそれが2倍。

お互いに頼り合っているようなふたりを引き離したくはありませんが…。そのことでいっそう、里親さんを探すのも自分で引き取るのも困難に思えました。

自分のことだけでいっぱいいっぱいなのに…。ねこを養うような甲斐性がわたしにないことは明白です。

けれども、去年のことを思い出しました。

新しい家族が増えるかもしれないと思ったときのことです。

自分には無理だとか、まだ早いとか、いろいろ考えていたけれど、いざそうなってしまうと覚悟を決めて引き受けるしかないと思ったし、それは嬉しいことだったのでした。結局そうはならなかったけれど…。

ねこたちだって、同じこと。覚悟を決めるしかないのでは。

だって、出会ったのですから。


その考えはわたしの中に居坐りました。


もちろん、見て見ぬふりすることだってできたはずです。捨てたのはわたしではない…、わたしにはこのねこたちに対して何の責任もないのです。

他の人たちがするように、ごはんだけあげることだってできました。地域猫活動なんて言い出さなければ、喜ぶねこたちにごはんをあげるのは楽で楽しいことでしょう。誰かが不快に感じても、このねこたちが誰かに迷惑をかけても、知ったことじゃありません。迷惑だと思った誰かが行動を起こしても…、やっぱり知ったことじゃありません。

ねこたちを迷惑に思った誰かにひどい目に合わされようと、事故に合おうと、病気になろうと…。飼い主でないわたしにはどうすることもできないし…。する必要もない。

そんなのは嫌でした。


人間が自然に持っているはずの権利は、ねこたちには認められていません。

動物愛護法は人間の動物に対する振る舞いを規定するものであって、動物たちの権利を保障するものではありません。

ねこたちには生存権を主張することはできないのです。

アニマルウェルフェア(動物福祉)という考えは、少しずつ広まっているけれど、日本にはまだまだ根付いていません。

ねこたちを保護し、その権利を主張するには、所有者となって財産権を主張し、管理責任を持つよりないのでした。


気がつくとわたしはねこと住める家を探しはじめていました。

不動産屋に足を運び、部屋を見に行ったりもしました。

しかし、生活が成り立つかどうかの不安はぬぐえませんでした。


ねこさんを保護し、里親さんを募集するボランティア団体はたくさんあります。サイトに登録したり、譲渡会を開いたりして里親さんを探すのです。

そうしたところは、往々にして里親になるために厳しい条件を掲げていました。

保護されたねこさんたちの幸せを思えば当然のことです。

しかし、自分がそれに該当するようには思えないのでした。

…とすれば、わたしにはねこたちを引き取る資格はない…、ねこたちを幸せにすることはできないのではなかろうか。


考えはぐるぐると回りました。


茶トラは毎日訪れるわたしを待っていてくれるようになりました。姿が見えないときでも、どこからか出てきて、駆け寄ってきてくれるのです。ちゃっかりした茶白はたいてい、茶トラが何かもらっているようだと見ると姿を現すのでした。

そんなふたりですが、誰彼かまわず寄っていくことがなくなり、警戒心を持つようになっていました。特にリュックを背負った人にはひどく怯える様子を見せ、飛び上がって逃げたり、わたしにぴったりと張り付いて固まっていたりするのです。

何かひどい目にあわされたのかもしれません。急がねば、と思いました。


見方を変えれば、警戒心を持つようになったのは良いことではありました。外で暮らしていて、警戒心がないのはとても危険ですから。

しかし、野良で生まれて親に教わったならまだしも、経験で身につけるしかないとは…。なんて残酷なことでしょう。

捨てていった人の無責任さに怒りがつのりました。

茶白は、若いぶん適応力が高いのか、野良暮らしが板についてきたようでした。甘えてごはんをねだりつつも、距離を取るようになっていたのです。しかし、茶トラのほうは、気を許せない状況に衰弱しているように見えました。

やはりぐずぐずしてはいられません。適応できない茶トラも心配ですし、茶白も、野良に適応してしまっては飼い猫に戻すのが難しくなってしまいます。


ともかく診てもらおうと思い、「のらねこさんの手術室」にメールを送りました。

折悪しくその日は休診日でしたが、休みが明けるとすぐに病院から電話がありました。

要領を得ず、悩み相談のようなわたしの話を病院のかたは親身に聞いてくださいました。そうして、

―のらねこが自分から人に寄ってくる、ということはまずないので、やはりそのねこたちはもともと飼われていたのだろう。慣れない環境に必死に適応しようとしているが、ストレスは大きいものと思われる。「かわいそうな子」は里親さんも比較的見つかりやすいが、シェルターやボランティアさんはどこもいっぱいなので、すぐにということは難しい…―

という趣旨の話をされました。里親さんを探すとしても、見つかるまでの間は、やはりわたしが自分で面倒を見る必要があるのでした。

そうして、―ねこたちを引き受ける覚悟を持つことが大事なのであって、条件のようなことは難しく考える必要はないのではないか…―とも仰いました。


話をするうち、わたしはだんだん心が固まりました。

このねこたちを”うちのこ”にしよう。

ねこたちにとってそれが「いちばん良いこと」なのかは分かりません。ねこたち自身がどう思うかもわかりません。

でも、わたしはねこたちを放っておけないし、ねこたちが出会ったのはわたしなのです。

これも巡り会わせです。


すぐにでも診てもらいたい気持ちでしたが、診察はともかく保護と送迎は予約がいっぱいで、ずいぶん先になってしまうということなのでした。

落胆するわたしに、病院のかたは猫専門のお手伝い屋さん「ねこから目線。」さんを紹介してくださいました。

そちらに保護と送迎をお願いすれば、多少は早いだろう、ということでした。



こうして方針は定まりましたが、問題は住むところです。

ねこたちと同居できる家を探さなくては。

何しろ日がな一日引きこもって作業しているわたしと、ふたりのねこがいっしょに過ごす場所です。それなりの広さは欲しいところ。

ちょっとくらい古くても構わないけれど、車がないと生活できないようなところは無理だし…。

いちばんの問題は家賃でした。ねこたちにどれだけお金がかかるかわからない以上、背伸びしてはあとで困ったことになります。

頭を抱えつつも考えをひるがえすつもりのないわたしに、連れ合いは(大阪に住んでいますが、ねこたちと出会った当初から逐一話はしていました。言い出したらきかないわたしに振り回されっぱなしで、申し訳ない限りです)ため息をついて提案しました。

京都の家に戻ってはどうか、と。


春まで連れ合いが住んでいて、今は空き家になっている京都の家は、たしかに古くて住みづらいけれど、立地は便利だし、わたしも住んでいたことがあるので勝手も分かっています。

なによりわたしとねこたちには充分すぎる広さがあり、この先住む人もおそらくいないので、ねこたちが好き放題しても文句を言われることもないのでした。

理想的な場所です。…しかし、躊躇してしまうのは、所有しているのは連れ合いの親族であってわたしの縁者ではない、というところでした…。

荷重っ。気まずっ。…と思いましたが、ねこたちのことを思えば、背に腹は代えられません。頭を下げるくらい、どうということはないのです。

こうして京都に舞い戻ることになったのでした。


連れ合いに話を通してもらい、住む場所が確保できたので、わたしはねこから目線。さんに連絡を取りました。

じつはねこから目線。さんには少しご縁がありました。ねこから目線。さんは地域猫活動についての啓蒙も積極的に行っていらっしゃるのですが、連れ合いが立命大の土曜講座でお話をお聞きしたことがあったのです。

それで、ねこから目線。さんを紹介されたとき、ぜひここにお願いしよう、と思ったのでした。

猫専門のお手伝い屋さん、という少々珍しいお仕事のため、大忙しのようで、メールでのやり取りには少し時間がかかってしまったのですが…。

ともかく、なんとか予約を取ることができ、てづバが終わった次の週、病院に連れて行ってもらうことになりました。

それまでの間、何事も起こりませんように…、とわたしは願いました。


じつは、やり取りをしている間に、猫捕りのような人を目撃したのです。

茶トラと茶白がいる、少し離れたところに、ねこがたくさんいるところがありました。定期的にごはんをもらっているようなので、茶トラと茶白も移動して仲間に入れてもらえばいいのに…と思ったこともありましたが、なわばりのこともあり、そううまくはいかないのでしょう。

唐揚げなど人の食べるものをもらったりして(ほんとうはあまり良くないのですが)、まるまるとした太ましいねこたちなのでした。

お耳カットのしるしがないので、手術は受けていないようでした。子猫を見かけることもあり、だんだん数が増えているようで…、目に余る、と思われなければいいけど…と心配していたのですが…。

ある日、通りかかると、網を手にした人が花壇の植え込みの間を走り回っていました。

大きなかごも置いてありました。

ねこを捕まえようとしているようでした。

当然ながら追いかけまわして捕まるようなものではありません。捕獲機も使わず、専門の人には見えませんでしたが…。捕まえてどうするつもりなのか、不安になりました。

声をかけられるような雰囲気でもなかったので、そのまま通り過ぎましたが…。

数日後もういちど通りかかったときには、ねこたちはあいかわらずいたので、捕まえることはできなかったのかもしれません。

しかし、そのあとそこでねこを見かけることは、だんだんなくなっていったのです。


事故、病気、人の悪意…。野良猫に及ぶ危険はいくらでもあるのでした。

すべてのねこたちをお家に入れてしまうことは不可能です。

だからこそ、地域猫活動は意味を持つのだと、つくづく思いました。

誰かが管理し、責任を持っているねこだと示すことができれば、多少は…。周知しなければ意味がないことではありますが。


病院を予約し、引き取るつもりになったとはいえ、首輪を付けたわけでもなし…。茶トラと茶白も、人が見ればあいかわらず野良猫なのでした。何の保障もありません。

しかし、保護して病院に連れていくまで、わたしにはどうすることもできないのでした。

じりじりする思いで数日を過ごしました。


…その間に、てづバの出展がありました。

わたしの本業なのですが…。

一度にひとつのことしかできないわたしです。すっかりねこたちに気を取られて、制作はおろそかになっていました。

なんとか、道ばたの草花コサージュをひと通り用意し、出展は無事終えましたが…。

さっそく仕事に支障が出始めています。あああ、不甲斐ない(。-_-。)


できれば、ねこたちをお迎えする前に、引っ越しを済ませてしまえると良かったのですが。

なわばりを生活の基本とするねこたちです。引っ越しが彼らにどれだけ負担となるかは、想像するにかたくありません。

それに、ペット不可の団地住まいです。ねこをお家に入れるのは言うまでもなくマナー違反。…犬の気配は、あちこちでするのですが…。ひとがやっていれば良いというものではありません。

…しかし、てづバのじゅんびでてんてこまいして、けっきょく引っ越しの算段はつけられなかったのでした…。

ねこたちを保護するまでは動けないので、ねこたちを病院に連れて行って、手術が終わって帰ってくるまでの間に引っ越さなくてはならないわけですが…。何しろ相手は生もの。こちらの思惑通り捕まってくれる保証もありません。

やはりちょっと無理がありました。

それで、引っ越しの日取りは10月のはじめとしました。

手術をしたばかりのねこたちを動かすのも、と思い、少し間をあけたのです(後にそれは杞憂だった…と分かるのですが)。

ひと部屋をあけて、手元にあったクッションフロアと壁紙で養生し、何があっても大丈夫なようにし、準備を整えて、待ちました。


約束の日が来ました。

幸い、いいお天気でした。これなら少なくともねこたちに会えないということはなさそうです。

いつもは、暗くなってから会いに行くのですが、念のため幅を取って明るいうちから予約を入れていました。

しかし、どうも落ち着かず、約束よりも早い時間でしたが、わたしはねこたちのいるところに向かいました。

明るいうちは隠れていることが多いのですが…。珍しく茶白がひとりでいました。茶トラの姿は見えません。

ともかくも会えたことにほっとして、わたしは茶白に近寄りました。

茶白はにゃあにゃあとごはんを催促しました。

しかしここで何かあげては、捕まえることができません。

ごめんね、もう少し待ってね…と言いながら、とりあえずお水をあげましたが、欲しいのはこれじゃないと言いたげな茶白。

うろうろしたり、座ったり、そわそわする茶白を引きとめつつ待っていると、やってきた車がわたしたちの前で止まり、ふっくらした優しそうな人が姿を現しました。

ねこから目線。のスタッフさんでした。


挨拶もそこそこに(何しろ捕まえるべきねこがそこにいるのです)、スタッフさんはてきぱきと捕獲機を準備しました。

銀色の檻のような捕獲機はおそろしげでしたが…。ねこたちを一瞬で確実に捕まえるにはこれがいちばんなのでした。

しかし、茶白は何の疑問もいだかないようで、捕獲機においしいごはんが用意されると、いそいそと近づき、熱心に食べ…。

ばちんっ!

と扉が閉まりました。さすがにびっくりした茶白は、なかで飛び上がって大騒ぎしましたが、スタッフさんが手際よく布でくるむと、少し落ち着いたようでした。

ねこを捕まえる我々を、犬を連れた年配のご婦人が不審そうに眺めていきました。

はたから見れば、我々もあの猫捕りと大差ないのでした。


布でくるんだ茶白を車の中に運んだところへ、どこからか出てきた茶トラが駆け寄ってきました。

なんと素晴らしいタイミング。捕まる茶白を目にすることもなく、スタッフさんを待たせることもなく。

スタッフさんは急いでもう1台の捕獲機を用意し、流れるように茶トラも捕まったのでした。


病院へはわたしは同行しないので、同意書や何かを書かなくてはなりません。

スタッフさんが茶トラをくるんで車に運び込む間、わたしは同意書に記入していました。そんな我々に、ふわふわの小さな犬を連れた、先ほどのご婦人が近づいて声を掛けました。

「保健所に連れて行くの? そのねこたち」

「いえいえ、まさか、そんな。病院に連れて行くんですよ。」

「そう…。」

納得したのかしないのか、ご婦人はまだ何か言いたげです。

そうして…、この子たちはうちのベランダにいたのよ、と仰ったのでした。

引っ越したから、と。


このひとが彼らを放りだしたのか、と思いました。

飼っていたわけじゃないから…と仰るのですが、どう見ても野良ではないねこたちです。ごはんを与えて世話をしていたに違いなく、責任だってあったはずです。

どうすればいいか分からなかったし…。そうはいっても、こんなところに放り出していく以外の選択肢だってあったはずなのです。

保健所を選ばなかっただけましなのかもしれませんが。

スタッフさんはやんわりと、うちのように里親探しをサポートする団体もあるんですよ…と伝えましたが、どうもぴんときてはいないようでした。

「病院に連れて行って、どうするの?」

「手術をして、いろいろ診てもらって、里親さんに引き取ってもらうんですよ」

わたしが何も言わないので、スタッフさんが答えました。

「見つかるかしら? こんな大きいねこたちなのに」

疑わしげにご婦人は仰いました。

わたしが引き取るんですよ、とは言いませんでした。

言いたくありませんでした。言ったら最後、続けてそのご婦人をなじりそうでした。

「でも、とっても性格のいい子たちなんですよ」

知っています。その”性格の良さ”のせいで、この子たちがどんな目に合ったか。

「どうなったか、心配していたんですよ。里親さんが見つかるといいけど。ほんとにいい子たちなんですよ」

いまさら保護者ぶらないでくれませんか。


ご婦人が行ってしまったあと、わたしはどっと疲れてしゃがみ込みました。

スタッフさんは困ったように、ああいうかたは、多いんですよ…と仰いました。特に昔のかたは、ねこは外で暮らすものと思っているから、ぴんと来ないらしくて、と。

地域猫、保護猫活動に日々従事していれば、こうしたことは日常茶飯事なのでしょう。

いったんねこの面倒を見るということは、そのねこに対しても、社会に対しても責任を持つことだとは、考えも及ばない人がたくさんいるのです。


車の中で、ねこたちは、ときおりにゃー? と声をあげるほかは静かにしていました。

去勢手術の同意書(ふたりとも男の子でした)にサインをし、必要事項を記入し終えると、わたしはスタッフさんに連れられて病院へ向かうねこたちを見送りました。

ねこたちと出会ってから、1か月になろうとしていました。


―― ※ ※ ※ ――


そうして、手術を終え、再びスタッフさんに連れられて家の扉をくぐり、おずおずとかごから出てきたときから、ねこたちはうちのこになったのでした。

最初の日からしっかりとごはんを食べ、トイレの場所を覚え、ごろごろと寝転がり、部屋の外に出たがり…。すっかりふたりはうちのこでした。

そうは言っても、はじめてのねこ暮らし。わからないことばかりで、いろいろありましたが…。それはまた別の機会に。

スムーズにはいかなかった引っ越しの顛末なども、また…。書けるといいですが(^ ^;)


いまでは、3人で京都の家に暮らしています。

ずいぶん思い悩んだ末、ふたりの名前は、茶トラをあるふぁ、茶白をべーたとしました。

のらねこ1号αとのらねこ2号βです。

反対も(もっとかわいい名前がいい、とか)ありましたが、わたしにとって1ばんめと2ばんめのねこたち、という意味も込めて、そう名付けました。

おっとりしたあるふぁと、野良暮らしで辛酸を嘗めたことが忘れられないのか、食に対する執着が半端ないべーた。

まだ慣れないところもあって、右往左往していますが…。お互いに少しずつなじんできています。

ねこたちも、わたしも…。これで良かったと言えるよう、日々を暮らしていこうと思います。



―― ※ ※ ※ ――

(追記)

その後、最初に連絡を取ろうとしたボランティア団体さんから、お返事をいただきました!

どうもメールの不具合であったようです(^ ^;)

すっかりつやつやのもっちりさんになった今のふたりの写真をお送りすると、たいへん喜んでくださいました。

お返事がいただけなかったことで、いろいろ考えもし、疑心暗鬼にかられてしまったことでしたが…。やっぱりねこを助ける人は良い人ばかりだなぁ、と思うと嬉しいです。

もしあのときすぐにお返事があり、近くのボランティアさんを紹介されていたりしたら、ひょっとしたらこんなふうに一緒に住むことにはなっていなかったかもしれない…。巡り会わせですね。